第110話 火花散る舌戦!

【前回までのあらすじ】


 ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、単身彼女の説得へと向かう月代灯夜。ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴの想いを託された灯夜は、あらためてミイナと対峙する。



 彼女への問いかけを通し説得の糸口を探そうとする灯夜。だが、ミイナの答えは悪魔のごとく冷酷で憎しみに満ちたものだった――――!




◇◇◇



「……何を、そんなに驚いている? 街ひとつ焼かれるくらいの事、海の向こうではそう珍しくはない――――フッ。ぬるま湯のような平和に慣れきったお嬢様には、到底思い至らぬ惨状かもしれぬがな」


 不知火ミイナ……血で血を洗う本物の戦場を見てきた彼女にとっては、それは当たり前の出来事だったのだろう。人々の日常が無惨に壊される光景こそが、彼女にとってはごく日常的な事だったのだ。


「そして、お前がそう感じるという事実こそがこの世界の歪みを表しているのさ。そう、この国は平和すぎる……ここでは事故や病気を除けば、自ら望まぬ限り“死”に触れることはない。夜眠ったら朝目覚めるのは当たり前――――生きていられるのが当然の世界。それがどれだけ幸せなのか、お前は考えた事もあるまい?」


 それは、確かにそうだ。この国に住んでいる人々はみんな、平和であることを当然のものとして毎日を過ごしている。ぼく自身だって妖と戦っている時以外は、日常生活の中でそうそう命の危険を感じたりしない。

 そもそも“平和じゃない日常”なんて想像自体、好き好んでするものじゃないのだ。


「不公平だとは思わないか? 今も多くの人間が明日をも知れぬ日々に怯え暮らしているって時に、この国の奴らは平和な日常に何の疑問も持たずに生きている。戦争やら紛争やらが起きている事を知ってはいても、それは所詮海外ニュースの向こう側での話……別の世界の出来事とばかりに気にも留めやしない!」


 ミイナ先輩が語気を荒げるのに応じるように、その身体の上を走る禍々まがまがしい呪紋が輝きを増していく。黒い炎が勢いを増し、竜巻のように彼女の周りを荒れ狂う。


「……明日自分が同じ目に遭うなんて、夢にも思っちゃいない。だから、解らせてやるのさ」


 歪んだ笑みを浮かべながら、彼女はそう言い放つ。今やその存在そのものが、悪魔に等しく邪悪なものに満たされているように。


「この街に住んでいるのは、あたしが地獄を見ている間のうのうと平和で幸せな日常を満喫していた連中だ! そんな奴らが明日どうなろうが知った事じゃない。逃げるヒマがあっただけマシだと思うべきなのさ! あの妖を倒すための犠牲と考えりゃ、街ひとつなんて安すぎるくらいだろうに!」


 ――――彼女には、そう言う資格があるのかもしれない。サラーヴさんが見せてくれた過去はミイナ先輩が見てきた地獄のほんの一部でしかないけれど……そこからでも、彼女が生きてきた日々の過酷さはわかる。

 地球の裏側で苦しんでいる人たちの存在を知識としては知りながら、何もしてこなかったぼく達この国の人間を……彼女が憎んでしまうのも仕方のないことなのだろう。


「誰かの幸せの裏では、必ず他の誰かが不幸になっている……この世の幸せは、他人の不幸によって支えられているんだろうな。それを知っているから、幸せな奴は不幸な奴を助けない。そうする事で、自分の幸せが目減りするのがイヤなんだろうぜ」


 ――――けれど、やっぱり違う。


「そしてここは、その幸せな連中の街だ。顔も知らぬ誰かを踏み付け、蹴落として得た幸せで生み出した豊かな暮らし。自分だけが良ければいいという手前勝手な都合で作り上げた……悪徳の象徴!」


 ここまで彼女の話を聞いて、ぼくはようやく確信が持てた。【アライメント・シフト】による不知火ミイナの暴走……しかし黒き悪魔の炎は彼女の背を押しこそすれ、意志そのものをねじ曲げたわけではなかったことを。


「それを……ぶっ壊してやるんだ。自分が幸せで当たり前だと思っている奴等が、こぞって絶望に突き落とされる様を……自分達が蹴落としてきた奴等と同じ地獄に落ちる様を、ここから笑って見下してやるのさ!」


 あははは、と高らかに嘲笑こうしょうする悪鬼のごとき姿。それは禁断の力を求めた者がたどり着く、恐ろしくも悲しい末路。


 しかし、ミイナ先輩のそれは――――違う。【アライメント・シフト】なんて、単なるきっかけにすぎなかったのではないか?

 この暴走そのものが……いや、暴走することこそが彼女の望みだったとしたら。


「……ミイナ先輩、あなたは間違っている」


「フッ、何がどう違うと? 戦場で正しいのは強さだけだ。力無き者の言う事など何の意味もない」


「そうかもしれない! あなたの見てきた戦場では、力だけが正義だったのかもしれない……けれど!」


 そんな戦場に、あの時の彼女は飛び込んでいったんだ――――自分自身の意志で。


「あなたが……不知火ミイナが戦ってきたのは、そんな正義を振りかざす相手とでしょう! 力を持たない人たちの代わりに、あなたは戦っていたんじゃないんですか!?」


 戦いの中で、力に飲まれそうになった事もあっただろう。でも、彼女の戦いそれ自体は……常に誰かのためのものだった。


「自分には関係ないって、見て見ぬふりだってできたはずだ! でも、先輩はそうしなかった。理不尽な暴力で傷つく人たちを……見捨てたりはしなかった!」


五月蠅うるさい! あたしはただ、自分の気に食わない奴にケンカを売ってまわっただけだ! お前の言うような綺麗事で動いたわけじゃない!」


 ミイナ先輩が声を荒げて叫ぶ。今までの、どこか他人事のように突き放した態度とは違う――――彼女自身の、生の感情が入った言葉。


「だいたい、お前にあたしの何が分かるって言うんだ! たかがお嬢様風情ふぜいが、知った風な口を聞くなッ!」


「知って……いるよ! ぼくは見たんだ。先輩がサラーヴさんと契約するところを! 死んでいった人たちへの恩に報いるため、戦うことを決めたところを!」


「な、なにい!?」


 初めて見せる、動揺のかお。そうだ、ぼくは知っている……すべてではないにしろ、彼女が見た戦場をぼくも見てきたのだから。


「サラーヴさんが、見せてくれたんだ。あなたの過去を……自分勝手な理由で弱者をしいたげる悪意と、命がけで戦う姿を」


「――――そうか。サラーヴがな……フッ、あたしには何も言わないくせに、赤の他人のお前にはむやみに饒舌じょうぜつなようだな」


 心の動きを悟られまいとするように、平坦な声色。しかしその横顔には、寂しげな影が差したように見えた。


「サラーヴさんは、何も言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。自分の言うことを聞いたせいで、あなたが酷く傷ついてしまったのを後悔して……」


「だまれ! あたしがする事に、あいつが何の文句があると言うんだ! 今も黙って力を貸し続けているのが、その証拠だろうに!」


「それだって全部、先輩のためだよ! 自分にできるのは、ただ先輩の力になることだけだと……言葉は届かなくても、少しでもあなたのためになりたいって!」


 ――――今までずっと、その想いを伝えられずにいたサラーヴさん。かつて静流ちゃんに嫌われたと思い込み、長く彼女と向き合えずにいたぼくにはその気持ちがよくわかる。

 伝わらなくたって、想いは消えない。むしろ強く大きくなるものなんだって。


「くっ……たとえそれが真実だとしても、現実は何も変わったりはしない。この黒い炎の力を手にしたあたしを止めたいのなら、結局それ以上の力を持ってする他にないのだからな!」


 内に生まれた動揺を振り切るように、再び冷たく言い放つミイナ先輩。ぼくの言葉は確かに彼女の心に届いたはずだけど……まだ足りない。

 そのかたくなな心を動かすには、もう一歩深く踏み込まなくてはならないようだ。


「そうだね、止められない……もし止められる人がいるとしたら――――」


 他人の言葉で簡単に揺らぐような人じゃない。今までの問答でそれは充分すぎるほど分かってる……だったら!


「それは……ミイナ先輩、あなただ!」


「なにい!?」


 これは、賭けだ――――先輩の心が完全に闇に落ちたのでなければ。その奥底にまだ、光が残っているのなら。



「不知火ミイナを止められるのは他の誰でもない……あなたがあなた自身で止まるしかないんだ!」

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