第111話 伝えたい想い、刃に変えて……

【前回までのあらすじ】


 ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、単身彼女の説得へと向かう月代灯夜。ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴの想いを託された灯夜は、あらためてミイナと対峙した。


 何故こんな事をするのか。問いかける灯夜に、ミイナは己の心の内を……苦境にあえぐ人々をよそに平和な日常を享受する者達への憎しみを吐露する。

 邪悪そのものとも取れる言動に、しかし灯夜は疑問を感じずにはいられない。彼女が狂気にのまれてしまったとはどうしても考えられなかったのだ。


 固く閉ざされたミイナの心。そこに踏み込むべく、灯夜はついに最後の賭けに出るのだった――――!




◇◇◇



 ――――沈黙が、あった。


 時間にすれば、それはほんの十数秒程度のものだったのだろう。けれどぼくには……月代灯夜には、まるで永遠に近い空白に感じられたんだ。


「…………フッ。何を、言い出すかと思えば。あたしを止められるのはあたしだけ、だと?」


 沈黙を破ったのは、ミイナ先輩の言葉。


「くだらない。当たり前過ぎて返す言葉もないわ! やはり所詮は育ちのよろしいお嬢様……この不知火ミイナが、今さらそんな言葉遊びに踊らされるとでも思っているのか!?」


 彼女らしい、高圧的な罵倒の言葉だ。けれどそれを放った表情が、わずかな声の震えが……そして何より、ぼくの言葉に応じるまでの「間」が――――彼女の動揺を雄弁に語っている。


「言葉遊びなんかじゃ……ない!」


 そうだ。今のぼくには遊んでいる余裕なんてこれっぽっちもない。ぼくの言葉は、ミイナ先輩の心に最短最速で突き刺さすべく練り上げた渾身の言葉。彼女の心の壁を貫くために研ぎ澄ませた――――言葉の刃だ。


 それは先輩の心をえぐり、深く傷つけてしまうことだろう。けれど、今の先輩の心に……その奥にある魂の芯に届かせるためには、そのぐらい強い言葉が必要なんだ。


「あの遠い異国で戦っていた不知火ミイナは、誰かのために命をかけられる強くて誇り高い人だった。そして、ぼくが学園で出会ったミイナ先輩は猫たちとたわむれる優しいお姉さんだった」


 彼女の心を堅く閉ざした氷を解かせるのなら、ぼくはもう手段を選ばない。後でどんな目に遭わされたってかまうものか!


「でも、今のあなたはどっちとも違う! 敵を倒すためだったら街ひとつ犠牲にしても構わない。それどころか、そこに住んでいる人が不幸になるのが嬉しいなんて……そんな情けない事を言う人が、不知火ミイナの名を名乗るなんて許せないっ!」


「な、なにい~!」


 激昂するミイナ先輩。当然だ……ぼくのような年下のひ弱な子にここまで言われて、怒らない人はいない。


「昔のミイナ先輩が今のあなたを見たとしたら、きっとぼくと同じことを思うに違いない。そして、あなたの前に立ちはだかるはずだ……自分の命をかけても、止めようとするはずだ!」


 そう。今のミイナ先輩がやっている事は、かつての自分を否定するような行為だ。それが一時の気の迷いでなく、意図されたものだとするのなら。


「そして先輩。あなた自身もそれを望んでいるんじゃないのか? かつての自分のような……いや、誰でもいい。自分より強い相手に、倒されたかったんじゃないのかっ!」


「――――ッ!」


 先輩の顔が苦悶に歪む。ぼくの言葉が、胸の奥深くまで突き刺さった証拠だ。

 だが、まだだ。まだ足りない!


「あなたは、否定されたかったんだ。全力で戦い、敗れることで……自分の正義を否定してほしかったんだ! 戦場で唯一絶対である「力」に、自分を止めてほしかったんだ!」


 ――――アライメント・シフトを起こすほどの強い精神力を持ったミイナ先輩が、簡単に闇に飲まれるなんて本来あり得ないことだ。

 それが起こった理由はひとつしか考えられない。そう、彼女自身が闇を望んだとしか。


「誰かが止めてくれたらって、そう思ったんでしょう……自分が間違っていると知りながら、あなたは自分自身で止まれなかった。あまりにも長く戦い続けているうちに、あなたは戦い以外の道が見えなくなったんだ……戦う以外に、問題解決の方法が思い浮かばないくらいに」


 戦争が終わった後、日常に戻れずにすさんでしまう帰還兵の映画を見た事がある。ミイナ先輩もそれに近い精神状態にあったんだろう……他にいくらでも道はあったのに、彼女にはそれが見えなくなっていたのだ。


「自分を倒してほしい……そんな身勝手な理由で街を壊して暴れ回るなんて、ぼくは後輩として恥ずかしいよっ!」


 突き刺した言葉の刃をねじり、より深く心をえぐる。苦痛と怒りに声の無い悲鳴をあげる先輩の姿から、引き裂かれる魂の手ごたえが伝わってくる。


「そんなあなたとは誰も戦わない。ぼくだって戦わない。誰のためにもならない戦いを続ける人となんて、誰も戦いたくないんだ!」


 ――――自分が放った言葉が、今まさに他人を傷つけている。その実感がぼくの心を静かにむしばんでいくのがわかる……つらいけど、引き下がるわけにはいかない。


「あなたが本当に戦わなきゃいけないのは、自分自身の心の歪みだ! 自分との戦いに、他人を巻き込むんじゃない!」


 言った。言ってしまった。ぼくの言いたい事すべて――――伝えたい想いのすべてを。


「…………」


 けれど、伝わっただろうか? うつむいた先輩はただ沈黙を続けるだけだ。


 ぼくの言葉は彼女を傷つけただろう……それは間違いない。でもその内に秘められた意味を、想いを――――不知火ミイナはどう受け止めただろうか?

 その次第によっては、あわれ月代灯夜は消し炭となって池袋の空に散ることになるだろう……合掌。  


『ダイジョブだよ、とーや!』


 生死を分かつ沈黙の中で、しるふの明るい声がスッと効く……あっ、消し炭になる時はしるふも一緒なんだった。これはうっかりしていたぞ。


『とーやのキモチ、ちゃんと伝わってると思うヨ。とーやがこんなに真剣になって説教したんだもの。アクマだってクイアラタメルに違いないっテ!』


 そ、そうかなぁ……そうだといいけど。


『ダメならダメで、アタシが一緒にケシズミにでもなんでもなるから安心してヨ!』


 いやいや、どう安心しろと……ぼくがツッコミの言葉を探し始めた時だ。


「……フッ」


 かすかな、空気がもれるような音がミイナ先輩の唇を揺らす。ついに来た――――審判の時が。


「こんな国で、こんな場所で。戦いの何たるかも分からぬ世間知らずのお嬢様が……」


 熱のこもった空気が、今までよりさらに張り詰めていくように感じる。これは……


「フッ、フフフ……大それたことを、抜かすものだ……お前ごときが、お前のような生っちろいガキが――――」


 まるで火の着いた導火線。彼女が語り終えた時、すべてが終わるのだという悪寒が背筋を駆け巡る。

 残念だけど、ぼくにできる事はこれで全部だ。他にもやりようはあったかもしれないけど、ぼくはベストを尽くしたはず。


 ここで終わっても悔いはない、とまでは言えないけど……自分がした事に、後悔はない。


「この不知火ミイナが……お前ごときに、見透かされるとは……な」



 不意に、突然に――――空気が変わった。


「え……?」


「お前の言う通りさ。あたしは……己の死に場所を探していたんだ――――」

 

 静かで、穏やかな声だった。けれどその表情からはまだ、怒りも苦しみも消えてはいない。

 ただありのままの表情で、ミイナ先輩は寂しげにそう言い放ったのだ――――。

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