第112話 言葉が紡ぐ決着
【前回までのあらすじ】
ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、単身彼女の説得へと向かう月代灯夜。ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴの想いを託された灯夜は、あらためてミイナと対峙した。
自分の言葉が彼女を傷つけてしまうと知りつつも、灯夜はその想いのたけを叩きつける。そんな灯夜の気迫を目の当たりにし、また彼の言葉が隠していた己の本心を言い当てた事で……ミイナのかたくなな心には、確かにほころびが生じつつあった。
「あたしは、己の死に場所を探していたんだ」――――そしてミイナは語り始める。彼女が闇に墜ちるに至った、その呪われた道程を…………!
◇◇◇
周囲を包んでいた熱が、わずかにやわらいだ気がした。池袋上空を流れる熱い風――――黒い炎の化身たる不知火ミイナがまとう熱気の渦に、一筋の涼風が吹き込んだかのように。
「誰かのために……戦う力を持たない者たちの代わりに、戦う。言われてみれば、かつてのあたしはそんな子供のような正義感で動いていたのかもしれないな」
はるか遠く、過ぎ去った日々を懐かしむ老人のように語るミイナ先輩。ほんの数年とはいえ、そこで彼女が体験した濃密すぎる時間を思えば……その少女らしからぬ表情も相応のものなのだろう。
「だが、その結果は……サラーヴの目を通してお前が見た通りだ。守りたかったものを全て失い、ただ一人生き延びた。無様だろう? 自分には力がある、何でもできると思い上がった結果が……この有様さ」
全力で、命さえ懸けた上での――――挫折。それが彼女を歪ませた大きな要因であることは間違いない。
しかし、こうも人は変わるものなのか? 今のまるで悪鬼のような姿は、憎悪に満ちた言動は、ただそれだけが原因だったのだろうか?
「あたしは自分を呪った。この程度の力で誰かを守れると思った、己の愚かさを呪った……そして、更なる力を求めた。フッ、サラーヴも見せてはおるまい……この先の光景、子供が見るには堪えられぬものだからな」
ゆっくりと、天を仰ぎ見るミイナ先輩。ひとつため息をついてから、諦めたようにまた口を開く。
「そいつは、案外と簡単に手に入ったよ。いや、最初からあたしの中にそれはあったのさ。ドス黒く濁った――――悪意の塊みたいな力が。憂さ晴らしに暴れ回るうちに……怒りと憎しみのままに戦うたびに、そいつはハッキリと存在感を増していった」
ぼくがサラーヴさんに見せてもらったのは、先輩の過去のほんの一部でしかない。それは彼女がサラーヴさんと契約してから致命的な挫折に至るまでであり、そこから今のような姿に変貌を遂げるまでの“過程”が抜け落ちていた。おそらく彼女の人生で……もっとも悲惨であったろう期間が。
今ミイナ先輩は、その“過程”での出来事を語ろうとしている。彼女が変わってしまうまでに何があったのか……それを語ることが、自分の心の奥深くまで刺さる言葉を放ったぼくへの、先輩なりの返礼なのだろう。
「――――目の前に広がる焼け野原に、肉の焼け焦げた匂いにふと気が付いた時には、もう手遅れだった。あたしはただ、強い力が欲しかった……それがたとえ悪魔の力と呼ばれるものであっても、力さえあれば今度こそ……とな。けれど、そうじゃあなかった」
先輩が再び、真正面からぼくを見た。あれほどまでに荒れ狂っていた怒りも、憎しみも……噓だったように静かな表情で。
「強くなって、初めてそれが
煮えたぎる炎のようだった彼女の瞳を満たしているのは……悲しみ。凍てつく氷河の谷底のような、深く冷たい悲哀がそこにあった。
「悪魔の力だけを都合よく手にできるなんて、そんな美味い話がある訳がない。当然のことだ……悪魔の力を持った者は、もはや悪魔そのものと何も変わらん。あたしは今まで潰してきた奴等と同じ、理不尽な暴力の化身になっていたのさ……」
それはぼくが見た事のない表情。ミイナ先輩は、泣いているように見えた――――あるいは本当に、涙を流していたのかもしれない。
たとえそうだとしても、彼女自身の放つ炎の熱によって雫になる前に蒸発していただろうけど。
「それから先、あたしの行く場所はすべて戦場になった。あたしの力を恐れる者、逆に利用しようとする者……奴等はどこにでも現れて、いつでも勝手に争いを始めたものさ。倒しても倒しても、懲りる事なく……な」
先輩が求めたのは、戦いを終わらせるための力。けれどその力そのものが、新たな争いの火種を生み出す事になろうとは。
「あたしの存在は、この世界を脅かすものでしかなくなった。あたし自身が争いの中心と化したのだからな。もはや守るも何も……ない」
いつか聞いた、願いを叶える悪魔の話をぼくは思い出す。いかなる願いも叶える代わりに、それは必ず本人の意図せぬ皮肉な形で叶えられるという……
「自ら命を絶つ事も、考えはした。だが、それではあたしに命を預けてくれたサラーヴに申し訳が立たん。だからせめて……せめて戦いの中で。倒すべき強大な敵との戦いで、然るべき死を迎えるべきだと思った。それが今のあたしに出来るただひとつの――――善いことだと信じて」
ああ、なんという悲劇だろう……彼女は誰に相談することもできずに、たった一人で追い詰められていくしかなかったのだ。
それをそばで見ていたサラーヴさんの気持ちが、今では痛いほどわかる。想いを伝えることもできず、絆を結んだ相手が苦しむ様を目の前で見せられ続けるなんて……あまりにも酷い拷問じゃないか。
「フッ、だがな……そんなあたしのちっぽけな願いさえ叶いはしなかった。まず、あたしを殺せる敵が居ない。向かってくるのは実力の差すら分からぬ取るに足らない小者ばかり……そんな奴等に付き合って死んでやれるほど、お人好しにはなれなかったよ」
確かに、今の先輩と戦って倒せる相手なんて……いや、戦いらしい戦いが出来る相手を探すのも難しいだろう。
「そして何より厄介だったのが……強いくせにまともに戦わない奴だ。ひとりで正面から戦える力がありながら、そいつは仲間を囮にしてあたしを罠に嵌めた……大勢の仲間を平然と捨て駒に使ったのさ。
双樹院はたしか西の術者の総本山だとかで、東の天海神楽学園とは対立しているって話だったはず。苦々しい語り口からも察せるように、それは彼女が望んでいた敗北とはほど遠いものだったのだと思う。
「やがて途方に暮れた奴等は、あたしを東に売り渡した。うさんくさい取引の材料としてな。あたしがあの学園に来たのはそういう経緯でだ……まずは西との温度差に驚いたよ。こっちの連中はよく言えば温厚、悪く言えば腑抜けた奴ばかりだ。監視も緩かったんで、早々に出ていくつもりだったんだが――――」
くるり、と横を向く先輩。その視線の先には、くすぶる街の上空にたたずむ……紅の竜姫の姿があった。
「ふと、面白い話を聞いてな。何でも
頭の中で途切れていた点と点が、ひとつに結ばれたのを感じた。ミイナ先輩のような人がなぜ学園に所属していたのか……なぜ妖対策室の下で妖を追いかけていたのか。
「そして、ようやく出会えたんだ。誰よりも強い、あたしの全力を逃げずに受け止められる最高の
――――すべては強者との戦いのため。戦って、自分という災厄を終わらせるため。
それが不知火ミイナが絶望の果てに見出した、血塗られた旅の
「……これが、お前が知らないであろうすべてだ。絶対の強者たる【竜種】と戦い、一矢報いて死ぬ。フッ、あわよくば相打ちくらいには持ち込みたいものだが……な」
そこで再び、ぎらりと鋭いまなざしがぼくに突き刺さる。
「だがそんなあたしの願いを、お前は命をかけても
激しい口調で問いかけてくるミイナ先輩。その気圧されそうな迫力にさらされながらも、ぼくは少しだけほっとしていた。
「あたしがその気になれば、何を言おうがひねり殺されるのは分かっているだろう! それなのに何故、お前はあたしの前に立ちふさがる! 圧倒的な力の差を前にして、己を犠牲にしてまで叶えたい願いとは――――何だッ!」
荒れ狂う暴力の化身にも見えたあの先輩が、ぼくと「話」をしている――――自ら問いかけ、ぼくの答えを待っている。
「……何だも何も、ない。ぼくの願いは最初からたったひとつだよ」
月代灯夜という非力で無力な存在が、言葉だけを頼りに必死で立ち向かう姿が……その信念が、彼女を動かした。不知火ミイナに「対話」という戦いを余儀なくさせたんだ。
ここまで来てようやく、ぼくと先輩は対等になった――――同じ話し合いのテーブルに着いたのだ。言葉を交わすのに、もはや力の差なんて関係ない。
「池袋の街も、あの【竜種】の子も。そして、ミイナ先輩も……みんな助ける! だれも見捨てたりなんて、しないっ!」
「……!」
一瞬、先輩の姿がぐらりと揺らいだように見えた。届いているのだ……ぼくの言葉が。その上に乗せた想いまでもが、すべて。
「ミイナ先輩が何を望み、何のために戦ってきたのかが分かった今、なおさら退くわけにはいかない! だってそうでしょう。先輩の願いが叶ったら、先輩は救われない。先輩の願いは、先輩自身を不幸にする願いなんだから」
「それが……どうしたというのだ! あたしが何を願おうが、お前の知った事ではあるまい!」
「先輩は優しいから、選べなかったんだ。自分が幸せになる道を……周りの人たちを不幸にする道を選べなかった。誰かを助けるためには自分を犠牲にする以外にない。そう思い込んで……」
「なら……ならば、あたしはどうすればよかったんだ! ただ存在するだけで争いの炎をまき散らすあたしは何処へ行けばいい? いったい何を願って生きていけばよかったんだッ!」
それは、孤独の中でずっと自分を厳しく律してきたミイナ先輩の……心からの叫び。誰にも打ち明けられなかった魂の悲鳴。
「けれど、今は違う! ミイナ先輩には、天海神楽学園のみんながいるじゃないか! 同じ霊装術者の仲間や、お姉ちゃ……蒼衣先生だって力になってくれる! みんな先輩が思っているほど、弱い人たちじゃない! それに、ぼくだって――――」
不意に、目の前の先輩の姿がぐにゃりと歪む。暖かい雫が頬を伝っていくのがわかる……ぼくは、泣いているのか。悲しいのか嬉しいのか、そのどっちともつかない涙があふれて止まらない。
「そりゃあぼくはみんなよりずっと弱くて、頼りにならないかもだけど……それでもできる事があるなら、ミイナ先輩を助けられるのなら、何だってやってみせるからっ!」
――――正しいと信じたなら、決して諦めない。それが、ぼくの覚悟……ぼくが憧れた、魔法少女の覚悟なんだ。
「……フッ。強いな、お前は……まあ他人から見ればただの無茶、命知らずの向こう見ずにしか映らないだろうが」
ふっ、とため息をつく彼女。いまだ厳しい表情なれど、そこには今までのような「険」はない。
「その無茶を貫き通す覚悟を、お前は持っている。力の強さとはまったく違う強さを……お前は持っているんだな」
「ミイナ先輩……」
「あたしもそろそろ認めなきゃならないようだ。お前のやりたい事は、戦う
その時になって、ぼくはようやく気付いた。彼女を包んでいた黒い炎、地獄の底から溢れ出すかのような灼熱の闇が……ゆっくりと薄れ始めていることに。
「月代灯夜…………お前の、勝ちだ」
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