第108話 傷ついた絆

【前回までのあらすじ】


 ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、単身彼女の説得へと向かった灯夜。ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴはそんな彼に自らの過去の記憶……ミイナと出逢い、契約を果たして共に戦っていた日々の光景を見せるのだった。


 異国の戦場――――生と死が交錯する地獄の中で、次第に戦いにのめり込んでいくミイナ。サラーヴの計らいで共に戦う仲間を得た彼女は、少しずつだが優しさを取り戻しているように思えたが……




◇◇◇




 そこは、地獄だった。


 当然のことながら、このぼく――――月代灯夜が本当の地獄を知っているはずはない。けれど、サラーヴさんの記憶から再現されたその光景は……まさに“地獄”という言葉以外では表し得ないものだったのだ。


 ほんの十数分前まで、ここでは戦勝を祝う義勇兵たちのささやかながらも賑やかなうたげが開かれていた。

 ついさっきまで、笑ってお酒をみ交わしていた人達。それが今では、もはや人の姿すら留めない黒焦げのかたまりとなって周囲に散乱している。


 降り注いだ大量の爆弾が地面を穿うがち、吹き荒れる爆炎の嵐が去った後、そこには生きて動いている人間は誰も残っていなかった。


「ふざ……けるな――――ッッ!!」


 ただ一人……ミイナ先輩を除いては。


「あたしの戦いは無駄だったっていうのか! テロリスト連中を追い出せば、この国は平和になるんじゃなかったのかよッ!」


 不意の爆撃は、先輩たちの敵――――テロリスト国家によるものではなかった。あろうことか、それは味方……この国の正規の軍隊による攻撃だった。

 元から民族間の対立を抱えていたこの国の政府は、テロリストとの戦いが一段落すると見るや、異民族を主とする義勇兵たちを排除しにかかったのだ。


 おそらくこの一件は政府によって隠蔽いんぺいされ、義勇兵たちは表向き戦争による尊い犠牲者として処理されたのだろう。


「こんな……こんなものを見せられる為に、あたしは必死で戦っていたのかよォ――――ッ!!」


 けれど、そんな政治的な判断など先輩にとっては何の意味も持たない。共に戦った戦友たちを目の前で理不尽に奪われたミイナ先輩。その行き場のない慟哭どうこくが……沈黙の空にむなしく響き渡る。


「あたしは、思い上がっていたのかもしれない。この力が、【炎の魔人イフリート】の力があれば、すべてが上手くいくと……誰の力にも屈する事なく、今度こそ守りたいものを守れるのだと。だが……」


 がっ、と地面に拳を叩きつける先輩。焼き固められた黒い砂の上に、赤い血のすじが刻まれていく。


「全然、足りてないじゃないか! あたしが欲しかったのは、誰かを守れる力だったのに……こんな所で一人、ぶざまに生き延びる為のものじゃなかったハズなのに!」


 なおもミイナ先輩は拳を振り上げ、叩きつける。何度も、何度も……そのたびに赤い飛沫ひまつが飛び、地面に黒い染みを増やしていく。


「やめて先輩! もうやめてよっ!」


 これは、過去の光景……今さら変えることなんてできない記憶の中の出来事。

 そんな事は分かっているつもりだったけど、ぼくは駆け出さずにはいられなかった。叫ばずにはいられなかった。


 ぼくが見たのは先輩の過去のほんの一部にすぎない。けれど、彼女がたどった道の過酷さは痛いほど分かる。

 長い戦いの日々からやっと解放される……そう思った矢先のこの仕打ち。

 

 一時は戦いの狂気に囚われかけたとしても、ミイナ先輩は誰かのために戦うことを選び、そして戦い抜いたのだ。なのに……


「先輩は悪くない! 先輩のせいでこうなったわけじゃないんだ……ミイナ先輩が、自分を責めることなんてないんだよっ!」


 駆け寄って、ぼくは手を伸ばす……しかしその指先には何の手ごたえもなく、まぼろしのように先輩の肩をすり抜けた。


「っ……!」


 届かない。ぼくの手も、声も……目の前にいるはずの先輩に届かない。こんなに近くにいるのに、想いを伝えるすべが何もないなんて。


 ――――やがて、ミイナ先輩はゆっくりと立ち上がり、こちらを振り返った。もちろんぼくの存在に気付いたわけではなく、後ろで彼女を見守っていたサラーヴさんの方へ向き直っただけだ。


「……今、ようやく解った。お前がなぜ、足手まといにしかならぬ義勇兵たちと共に戦えと言ったのか。あたしが一人で戦うことを良しとしなかったのか」


 一陣の風が、爆撃の後の焼けつくような熱気を吹き払う。代わりに流れ込んだのは、寒気をもよおすような冷たい空気だ。


「サラーヴよ。お前が見せたかったのはこれだったんだろう? 【炎の魔人】の力……所詮は借り物の力を振り回していい気になっていたあたしに、教えたかったんだろう――――この程度の力では、結局誰も守れやしないってことを」


「違う! サラーヴさんは先輩のためを思って……ミイナ先輩が、優しい顔で笑えるようにと……」


『そう、言えればよかったの。けれど……その時のワタシには言葉にできなかった。何を言っても、あの子には言い訳にしか聞こえないだろうって……』


 サラーヴさんの頬を一筋の涙がこぼれ落ちる。その時になって、ぼくはようやく気づいた……ぼく自身もまた、涙を流していたことに。


『ワタシのせいで、あの子を悲しませてしまった……あの子の心の傷をえぐって広げてしまった。良かれと思ってしたことが、逆にあの子を大きく傷つけてしまった……』


「……強く、ならなきゃあな。もっと、もっと強く――――どれだけ敵が多かろうた、一匹残らずブチのめせるくらいに……強く!」


 ひときわ強く言い放つミイナ先輩、そのかおに落ちた影は……黒い炎をまとい暴走する「あの」ミイナ先輩と同じものだった――――。




『――――それからなの。ワタシの声はあの子に届かなくなった……またあの子を傷つけるかもしれないという想いが、無意識のかせになっているのかもしれない。そしてそんなワタシの言葉を、あの子はきっと聞きたくないの』


 記憶の世界が暗転し、意識が現実へと引き戻されていくのを感じる……その途中でも、サラーヴさんのすすり泣く声はぼくの心に響き続けていた。


 悲しい想いのすれ違い。それが、ふたりが一心同体の絆を結びながらも、言葉を……心を通わせることができなくなった原因だったのだ。


『ワタシの言葉は届かない。その資格もない……けれど』


 暗闇が弾け、ぼくの視界は真っ白に染まる。その中で、


『アナタの言葉は、きっと届く。だってアナタは――――』




◇◇◇




 ぼくが再び目を開けた時、そこには元の暗い池袋の空が広がっていた。


「フッ、サラーヴが何を言ったか知らないが、そんなものはあたしを止める理由にはならんぞ」


 そして、黒い霊装姿のミイナ先輩。どうやらぼくがサラーヴさんの記憶を見ていた時間は、現実ではほんのわずか……それこそまばたきする程度の間にすぎなかったようだ。


「さあ分かったならそこをどけ! お前がいかに弱かろうと、手加減するつもりはないのだからな!」


 高らかに彼女は宣言する。その言葉には一片の情けも容赦もない。自分の前に立つ者は誰であろうと叩き潰す……それがあの地獄の日々から得た、不知火ミイナの答えなのだ。


 ――――けれど。


「……どかない! それに、戦うつもりもない!」


 両腕を大きく広げ、ぼくはあらためてミイナ先輩の前に立ちはだかった。


 正直言って、先輩を説得できるという確信はない。でも、説得しなければという意志はより強まっている。サラーヴさんが見せてくれた記憶が……そして彼女自身の想いが、ぼくに勇気を与えてくれたから。


『――――アナタは、あの子のために泣いてくれたヒトだから』


 想いを託してくれたサラーヴさんのためにも、ぼくは――――



「それでも……ミイナ先輩、ぼくはあなたを止めます!」

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