第107話 戦場のミイナ

【前回までのあらすじ】


 ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、単身彼女の説得へと向かった灯夜。

 ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴの悲痛な叫びを聞く灯夜だが、ミイナ自身にその声は届いていないと知り愕然とする。


 そんな灯夜に自らの記憶を見せるサラーヴ。眼前で繰り広げられる過去の光景の中で、彼はミイナとサラーヴの出会いの瞬間を目の当たりにするのだった――――!




◇◇◇



なんじの名は……“サラーヴ”!」


 まばゆい光が広間に弾け……次の瞬間、オレンジ色の炎が渦を巻いて視界を覆いつくす。その渦の中心に立つのは、契約を果たし霊装に身を包んだ少女――――幼い頃のミイナ先輩だ。


『生きるか死ぬかの瀬戸際で、あの子は力に目覚めたの。ワタシと心を重ね……ひとつになる力に』


 そこからはあっという間だった。サラーヴさんと契約したミイナ先輩は、ものの数分もしないうちに武装したならず者たちを制圧していた。

 無数の機関銃から放たれる弾丸の雨は、彼女の身体をかすめることさえできない。大半はその目にも止まらぬスピードに置いていかれ、数発のまぐれ当たりでさえも身にまとった霊装の炎の前に融け落ちてしまうのだ。


『あの子は怒ってくれた……すべてをあきらめていたワタシの代わりに。これは運命なんだと、思った。ワタシはあの子のために……あの子に出逢うために、生まれてきたんだって』


 ――――戦いは終わった。けれど、失われたものはあまりにも大きかった。


「あたしは戦うぞ、サラーヴ」


 炎の中に崩れ落ちる神殿を背に、そう言い放つミイナ先輩。


「ここで受けた恩は、もう返せなくなっちまった……あたしにできるのは、こんな事をしでかした奴等の仲間に、しかるべき報いを受けさせてやるくらい。それが死んでいった皆への……せめてもの手向たむけだ」


『……戦うことは好きじゃない。誰かを傷つけるのも嫌。けれどあの子の正しい怒りを、否定したくなかった。ワタシは誰かのために戦う道を選んだあの子の、力になりたいと思ったの』


 ミイナ先輩とサラーヴさんの、これが出会い。蒼衣お姉ちゃんから聞いた時は「まさか」という感じだったけど、実際にその光景を見せられた今ではただ納得するしかない。彼女が生きてきた人生は、ぼくの想像を軽く絶するすさまじいものだったのだ。

 

『こうして、ワタシとあの子の戦いが始まったの。けれど……』


 伝わってくるサラーヴさんの思念に、不意に悲しげな色が混ざる。


『ワタシはすぐに、それを後悔した』


 ――――再び場面は変わり、突然の爆音と衝撃がびりびりと耳を打つ。

 そこは戦場だった。銃弾と共に怒号と悲鳴が飛び交う、まるで地獄絵図のような惨状。荒野に陣を構えた完全装備の軍隊が、砲火を交えているのは……


「ミイナ先輩!?」


 いや、それはすでに戦いと呼べるようなものではなかった。二十、三十人じゃきかない数の兵隊に、戦車らしきものまで混ざっている軍用車両の群れが、たったひとりの少女を取り囲んで――――


 蹂躙じゅうりんされて・・・いた。


 まだ、契約からそう時間も経っていないはずだ。なのに、ミイナ先輩はもうイフリートの力を完全に使いこなしている。まさに、一騎当千……彼女はすでに人の手に負える存在ではなくなっていた。


 ぼくがしるふと契約し、魔法少女になってすぐの頃。樹希ちゃんに言われた事がある――――術者は、その力を人間同士の争いに使ってはいけないのだと。


 術者が制限なしに力を振るえば、それはあやかしが暴れるのと同じように今ある世界のバランスを簡単に壊してしまう。樹希ちゃんの話によると……術者や妖が公的には“存在しない”扱いになっているのは、それが明かされた時の混乱を収める見通しがまったく立たないからだと言う事だ。


「本来なら、もっと早くに存在を開示してしかるべき法整備を行うべきだったんでしょうね。けれど、できなかった……二度の世界大戦とそれに続く東西冷戦の時代、術者は“存在しない”はずの戦力として重宝されていたから」


 確かに、国家存亡を懸けた戦いの中では使えるものは何だって使うだろう。昔からいくさの時には吉凶の占いが重要だったというし、某国の有名な独裁者はオカルトにのめり込んでいたという話もある。それこそ術者は、戦車や戦闘機にまさる戦力だったのだ。


「そして何より、一般人の目にえない物をどう規制すればいいのか? 各国がそこで二の足を踏み、どこが最初に宣言を出すかでもめて、互いに牽制し合っているうちに……機会を失った。冷戦が終わってなまじ平和になったせいで、今更パニックを引き起こすような真似はどの国もしたくなくなったのね。面倒な事を先送りにするうちに取り返しのつかない状況になっていたなんて、夏休みの宿題を放置した子供と同じレベルよ。笑い話にもならないわ」


 ――――術者及び妖の存在は秘匿するべし。また戦争行為等、人間同士の争いに用いる事を固く禁じる。


 結局、それだけが国家間の同意による不文律として周知されることになったという。だからぼく達は、基本的に一般人の前で術を使うことを許されていないのだ。

 まあ、緊急時にはそうも言ってられないのだけれど……


 ミイナ先輩がやっているのも、本当はいけないことだ。でも、それを知っていたところで彼女は止まらないだろう。

 ……実際に目の前で命が奪われる様を見た今だから、ぼくにも先輩の気持ちが少しは理解できる。


「ご大層に雁首がんくび並べたところでこの程度! お前たちが殺せるのは……無抵抗の相手だけかァ!!」


 炎の暴風、いや竜巻と化した先輩が次々と敵兵をなぎ倒していく。その姿はもう破壊の権現ごんげとしか言いようがない。

 けれど、ぼくが何より戦慄したのは――――


「力で、問答無用にねじ伏せられるのがどんな気分か! 頭の悪いお前等にもよく分かっただろう。分かったなら……懺悔ざんげして死ねェ!!」


 ――――あかい破壊の嵐の中心で、彼女が恍惚こうこつの笑みを浮かべていたことだった。


『向き不向きとかそんな次元じゃない。あの子はまるで、戦うために生まれてきたような子。そしてあの子自身……戦うことに、壊すことに喜びを感じ始めていたの』


 先輩には、生まれもっての戦いの才能があった。それがイフリートの力を得て大きく花開いたのだろう。

 ――――才能と力と、それを活かせる戦場ばしょ。さらに自分のやりたい事がすべて一直線に重なった時、人はどんな感情を抱くだろうか。


 サラーヴさんが感じた不安のわけはそこにあった。ミイナ先輩は、戦うという行為に取り憑かれつつあったのだ。


『このままでは、いつか必ず取り返しのつかないことになる。だから、ワタシは……』


 炎で紅く染まった視界が不意に開け、ぼくの前にまた違う光景が映し出された。そこはまた戦場……だけど、軍隊と戦っているのは先輩ではない。

 砲火にさらされているのは、着の身着のままに銃を持っただけの市民だった。建物の影から反撃を試みているようだけど、その戦力の差は明らかだ。


「あいつらに、力を貸してやれだと?」


 振り向けば、ミイナ先輩の前で懇願こんがんするサラーヴさんの姿があった。


「あんな連中、あたしにとっちゃあ足手まといにしか……ああもう、分かったって!」


 乗り気じゃないそぶりを見せつつも、サラーヴさんの泣きそうな顔を前にしぶしぶ首を縦に振る先輩。


「相棒のお前がそこまで言うなら仕方ない――――付き合って、やるよッ!」


 言うが早いか、風のように駆け出すミイナ先輩。その標的は近くにいた兵士だ。


「フッ、そういえば人前ででかい力を使うのはご法度はっとだったか? ならば……」


 飛び込み様にみぞおちに一撃――――ぼくが目で確認できたのはそこまでだった。最後に足を振り上げた姿勢から見るに、とどめは蹴りだったんだと思う。

 とにかく、敵兵が意識を失うまでの時間より地面に崩れ落ちるまでの時間のほうが長かったのは確かだ。


「これなら、文句ないだろう?」


 降り注ぐ銃弾をかいくぐり、彼女は一人、また一人と敵兵を倒していく。不知火ミイナが格闘技のたぐいを習っていたという話は聞いていない。ただ本能のままに繰り出した拳が、蹴りが……一分の無駄もなく最速で急所に叩き込まれているのだ。


 とは言え、今の先輩はぼくと同じくらいの歳の少女。それだけで大の大人が簡単に倒れるとは思えない。

 その秘密は彼女が駆けるたびに、また打撃を打ち込むたびに弾ける紅い火花……そういえば聞いたことがある。熟練の霊装術者は、霊装しなくても妖の力をいくらか使うことができるようになるのだと。


 ――――戦いの、天才。ミイナ先輩はすでに、その境地にまで達していたのだ。


「凄いな、お前……まだ子供だってのに」

「それ【カラテ】だろ! 東洋人のスゲエ格闘技だって聞くぜ!」

「奇跡だ! 神は救世主を遣わされた!」


 戦いが終わり、先輩の周りには思いがけぬ勝利をもたらした英雄をたたえる人々が集まっていた。


 ……共に戦わないか、との言葉に、はにかみながらうなずくミイナ先輩。高く蒼い空の下に、歓声がとどろく。



『仲間が、守るべきものができれば、あの子は変わってくれると思った。実際、あの子は変わっていったの……少しずつだけど、優しい笑顔を見せてくれるようになった』


 そう語るサラーヴさん。けれど、その声は言葉と裏腹に重く沈んでいく。


『そう。あの日までは……』

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