第106話 サラーヴの声
【前回までのあらすじ】
ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、灯夜は単身彼女の説得へと向かう。
ミイナのパートナーであるイフリートの悲痛な声を聞き、その事を彼女に問いただすのだが……ミイナの反応は全く予想外のものだった。
刻一刻と迫る終焉の時を前に、灯夜ははたして闇に囚われたミイナの心を解き放てるのだろうか――――!?
◇◇◇
「パートナーの声が……聞こえない!?」
そんな、ばかな! ぼくには今もミイナ先輩のパートナー……【サラーヴ】と呼ばれたイフリートのすすり泣く声が聞こえているというのに。
「何も言わずとも、アイツはこうしてあたしに力を貸し続けているんだ。無駄なお喋りなど必要あるまい?」
そう言い放つ先輩には、ぼくの動揺の意味がまったく伝わっていないようだ。一心同体の霊装状態にありながら、パートナーの声が届いていないなんてありえないはずなのに。
『ホントに……聞こえてないみたい』
さすがのしるふも驚きを隠せないようだ。彼女と一心同体になっているぼくには、その声だけでなく驚きや戸惑いの感情までもがダイレクトに伝わってくる。
"契約"によって魂の絆で結ばれている上に、霊装してひとつになった今はお互いの感情までもが自分のもののように感じられるっていうのに……
「何か文句があるというなら、そう言えばいいだけの話。何も言わないのは、あたしの意思に全面的に従うという意思表示だろうよ」
にやり、と笑みを……まるで本当の悪魔のような笑みを浮かべるミイナ先輩。本当にありえるのか? 魂の絆で結ばれた相手の声が、聞こえないなんて事が。そんな状態で霊装して、ここまで大きな力を使えるなんて――――
そこまで考えて、ぼくは思い出す。【
『――――アナタには、聞こえているの?』
頭の中に、不意に飛び込んでくる思念の声。今までと同じく、か細いながらも……これは明らかにぼくに向けて放たれた言葉だ。
『やっぱり、聞こえるのね……ワタシの声が』
声がする方向、それはやはり先輩の方から。正確には先輩の中の、ずっと深い部分から響いてくるように感じられる。
――――イフリートの……【サラーヴ】さん?
『そうよ。ワタシは【サラーヴ】。やっと、ワタシの声が届くヒトに逢えた……』
ぼくの思念の問いかけに、応える安堵の混じった声。確かに聞こえるどころか、会話が成り立っている――――ミイナ先輩には、この声も聞こえていないのだろうけど。
『アナタは"感じる力"が強いのね……だったら』
静かなさざ波のようだった思念が次第に大きくなる。ぼくを、ぼくだけを包み込むように範囲をしぼって……その分、大きな思念の波が流れ込んできていた。
『"
「えっ!?」
――――次の瞬間、ぼくの周囲の光景は一変していた。そこはまるで、どこか遠い国の建物……歴史の資料集で見たような、古い神殿のような場所。
けれど、そこに人は誰もいなかった。床も階段も厚い砂ぼこりに覆われ、かなり長い間放置されている事がうかがえる。
……誰も立ち入ることのない、打ち捨てられた神殿。その広間の中心でたったひとり、祈りを捧げているのは――――人ではない「彼女」であった。
「あれは……!」
半透明の黒いヴェールをまとった、小柄な少女。透けて見える髪は黒く、わずかに覗く肌はルゥちゃんのような褐色をしている。きっとあれが……
『そう。これがワタシ……あの子と出逢う前のワタシ。ずっとここで、ひとりで居たの……』
ぼくの中で、サラーヴさんの声が響く。そうか、これは記憶だ。ぼくは今、サラーヴさんの記憶の中にいるんだ!
よくよく見れば、壁や天井を彩る飾りには炎をモチーフにしたと思われるものが多い。ここはかつて、炎の魔人たるイフリートを
「けど、どうしてひとりで……?」
今は廃墟みたいだけれど、結構大きな神殿だ。きっと多くの人で賑わっていたに違いない。なのに……
『最初は、違ったの。みんなワタシを頼って、集まって、祈っていたわ。けれど……』
サラーヴさんの思念が、かすかに震える。まるで、寂しさに身をよじるかのように。
『みんな、いなくなった。ワタシが……願いを叶えなくなったから』
「…………」
思念に混ざって伝わってくる記憶の断片が、彼女の悲しい過去をぼくに教えてくれた。
――――イフリートは炎の魔人。火を
古くから民族間の争いが絶えなかったその地では、
最初は無邪気に人々の願いを叶え続けていた彼女も、やがて気付いてしまう……良かれと思って与えた加護が、他人を傷つけるために使われていたという事に。
自分を崇める者以外の運命など、どうなっても構わない――――そう割り切れれば良かったのだろう。しかし、彼女にはそれができなかった。
魔人として在るには、サラーヴは優しすぎたのだ。
……魔人の加護が途絶えた。その噂が広まるにつれ、神殿を訪れる者は減っていった。そして十数年の月日が流れ……残されたのは、
『ワタシは……それでよかったの。誰にも傷ついてほしくなかったから。そのせいで忘れられて、消えてしまうとしても……』
人々の信仰を失った神は、その力を失ってやがて消滅する……かつて、あの【
しかし、彼女はそれを受け入れた。人々に害をなす存在として在り続けるより、静かに消えゆく道を選んだのだ。
「けれど、君は消えてない」
『そう……ワタシはそのまま消えることはできなかった』
彼女が言い終わるのと同時に、再びぼくの前の光景が一変する――――場所は変わっていないけれど、さっきまでの静けさとはうってかわった熱気が押し寄せてきた。
「こ、これは……!?」
視界の中を埋め尽くす……人、人、人。それはターバンを巻いたりヴェールをかぶったりした異国の老若男女たちだ。せわしなく動き回る人もいれば、床に広げた荷物の上でくつろいでいる人もいる。
……彼女の神殿の全盛期とは、まさにこのような賑わいだったのだろうか?
『アナタが思ったのとは、少し違うわ。ここに集まってきた人達は、ワタシの事なんて知らない。ただ大きくて、屋根がある建物を求めていただけ』
言われてみれば、ここの人達の格好は一様にくたびれていて、どこか疲れたような雰囲気を漂わせていた。神聖な場所の床だけでは足りず、階段にまで毛布を敷いて寝ている人なんかを見ると、とてもお祈りをしに来たようには見えない。
『戦で、故郷を追われた人達。ワタシを視てくれる人は居なかったけれど……嬉しかった。この場所が誰かの役に立つ日なんてもう、来ないと思っていたから』
ひとりぼっちなのは変わらない。けれど、人々の喧騒に包まれながら消えていけるなら、それもいい。
彼女はきっと、そう思ったのだろう。
『――――それも、ほんの短い間の夢だった』
また、目の前がくるりと入れ替わる。初めに飛び込んできたのは……炎!
「うわっ!?」
そして大勢の悲鳴と、パンパンと何かが弾けるような音が断続的に響く。神殿の床には折り重なるように倒れたたくさんの人達と……流れ出すおびただしい量の鮮血。
「いったい、何が……」
『……戦が、ここにもやってきたの』
サラーヴさんの、悲しい思念の声。全盛期の彼女の力なら、この神殿を襲う暴力の嵐を止めることもできただろう。けれど、信仰を失い消えかけた今となってはどうすることもできない。
『ワタシにできたのは、ただ祈ることだけ……一人でも多くの人が助かることを、祈ることだけ』
方々で火の手が上がり、黒い煙が渦巻く神殿の広間で、一心に祈り続ける少女。その姿は、誰の目にも映ることはない……
――――はずだった。
「何してる、馬鹿野郎!」
荒々しい叫びと共に、サラーヴさんの腕が引っ張られる。いつの間にか彼女の前に、ひとりの少女の姿があった。
獅子のたてがみを思わせる髪に、炎の中でなお赤い一筋のメッシュ。歳はぼくと同じくらいだけど、その眼の輝きは子供とは思えないほどの強い意志で満たされている。
『そう。こうしてワタシは出逢った……あの子に、ミイナに出逢ったの』
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