第105話 全力の覚悟

【前回までのあらすじ】


 ゴールデンウイークを利用して池袋に遊びに行くことになった灯夜たち天海神楽学園一年S組の面々。様々なハプニングを経て、灯夜は赤いドレスをまとった不思議な少女と出会う。

 だがそれをきっかけに、彼らは突如現れた妖の群れが巻き起こす大きな災厄に巻き込まれてしまうのだった。


 一度は囚われの身になる灯夜であったが、友人たちの助力で自由を取り戻し、黒幕である妖、蟹坊主・冨向入道を追い詰める。

 しかし、巨大な竜の本性を現した赤いドレスの少女――――紅の竜姫と、闇の力を暴走させた不知火ミイナの激突は街に致命的な被害をもたらしつつあった。

 必死の説得により、なんとか紅の竜姫と和解できた灯夜。だが怒りと憎しみに燃えるミイナは、ついに禁断の技……“滅びの落日”を解き放つ。

 

 街を飲み込まんと迫る、巨大な黒い太陽。池袋に今、終末の時が訪れようとしていた――――!




◇◇◇



『――――とにかく、アレは不味いわ。前にモニター室を吹っ飛ばした時の比じゃあない。できれば、あんたたちにもすぐ逃げてもらいたいけれど』


 耳に当てたスマホから響いてくるのは、耳慣れたお姉ちゃんの……いや、今は警視庁特殊事案対策室第一分室室長――――月代蒼衣巡査の声だ。


「そういうわけにもいかないよっ。ミイナ先輩を止められる可能性があるなら、それに賭ける。もう……決めたことだから!」


 ほんの数分前のことだ。暗雲に覆われた空から迫りくる、太陽のように大きな暗闇の球体。その恐ろしいまでの存在感にぼくが打ちのめされていた時……不意にスマホが鳴ったのだ。

 びっくりすると同時に、結界のせいで連絡が取れない状態なんてとっくに解消されていたのを思い出す。


『まったく、どんだけ心配させたら気が済むってのよ……もう!』


 開口一番のお𠮟りの声に恐縮しながら、ぼくは今までのいきさつをなるべく簡潔にお姉ちゃんに伝えた。よく考えたら、向こうはぼくがビル内に閉じ込められた後のことは何も知らないのだ。

 結界が破れたとき、すぐに連絡するべきだったんだろうけど……すぐに愛音ちゃんが駆けつけてきてくれて安心したのと、何より目の前で激突する紅の竜姫とミイナ先輩の事で頭がいっぱいだったから……


 そして当然、話はそれだけでは終わらない。蒼衣お姉ちゃんは今現在進行形の脅威……ミイナ先輩の暴走について、愛音ちゃんよりもう少しくわしく聞かせてくれた。


 ――――アライメント・シフト。それは霊装術者の支配力があやかしのそれを大きく上回った時に起こる現象を言うらしい。なんでも術者は妖から自分の思うままに力を吸い上げ、その性質までもを変化させてしまうという……たいていは、より"悪しき"方向に。


 ミイナ先輩のパートナーである【炎の魔人イフリート】は、時に悪魔と同一視される事もある妖。強大な力を求めた先輩は、その文字通り悪魔のごとき力を強引に引き出しているのだ。


 問題は、一度起こってしまったアライメント・シフトを終息させる方法が無いということ。正確には無いわけじゃないんだけど、それには本人の霊力が尽きるか「本人が自ら止める」必要がある……つまり先輩が暴れ疲れるのを待つか、説得してやめさせるしかない。


「待っている時間なんてない。あの黒い太陽が落ちてきたら、池袋の街はおしまいなんだ。だから――――」


 だから、ぼくのやることは変わらない。ミイナ先輩を止める……力では到底かなわない彼女を、なんとしてでも説得するのだ。


『……はぁ、灯夜ってば、昔っから言い出すと聞かないんだから。わかったわ。住民の避難誘導はこっちでやるから、あんた達はアレが落ちてくるのを出来る限り阻止して!』


 お姉ちゃんのため息に、心がちくりと痛む。思えば彼女には、今までも何度となく迷惑や心配をかけ続けている。それでもまだ力を貸してくれるのは、ただ叔母おばという血のつながりだけでなく、ぼくをひとりの人間として信頼してくれている証だろう。


 その信頼に応えるためにも、全力でがんばらないとだ。


「それじゃあ、行ってくるよ」


 通話を終えて、ぼくはあらためて覚悟を口にする。


「本当に、一人で行くのか? 援護とか支援とか、必要じゃねーのか?」


 心配そうに問いかけてくる、愛音ちゃん。ぼくと同じく魔法少女で、戦いに関してはすごく頼りになる彼女だけど……説得に向いた人材と言えるかはうーん、むしろ火に油を注ぎそうな気が。いや、彼女の口とか性格が悪いというわけではなくて……ほら、人には向き不向きがあるよねってことで。


「お主が危ないと見たら、すぐに加勢に入るでな。あとで文句を言うでないぞ?」


 尊大な口調の中にも、隠し切れない暖かさ。彼女はぼくの新しい友達――――通称“お姫様”。今は戦闘態勢である紅の竜姫の姿だけど、彼女が優しい女の子である事は変わらない。

 けれど、ミイナ先輩の暴走のきっかけになったのは彼女との戦いであるのもまた事実。不用意に近づけば、話し合いどころじゃなくなるのは目に見えている。


「ありがとう、二人とも……けど、ここはぼくに任せて。全力でがんばるから!」


 背中のはねを羽ばたかせ、ぼくはその場を後にする。目指すは暗い空の上、腕組みをしてたたずむミイナ先輩の元。


 ……本当なら、ここで二人に「絶対」とか「確実」とか言って安心させてあげるべきだけど、それができないのは……ぼくの心の弱さの現れなのだろうか。

 できもしない事を「できる」と言って、後で失望されるのが怖い。つまりは、成功させる自信が最初から無いんじゃないかって話だ。


 たしかに、今のミイナ先輩を説得するのは難しいだろう。上手くいかせるための明確なビジョンはいまだぼんやりとした霧の中にある。


 精いっぱい、がんばります――――それが、嘘にならない範囲でぼくが言える最大限の答えなのだ。


『でもとーや、それでも何かショーサン的なモノはあるんでショ?』


 頭の中で響く、こんな状況でもどこか陽気な……和ませてくれるような思念の言葉。


「うん。しるふ、さっきから少し気になってる事があるんだよ」


 ――――ぼくと一心同体のパートナー、しるふ。風の精霊特有なのかは知らないけど、どんな時でも明るく前向きな(そしてちょっとお気楽が過ぎる)彼女はいつもぼくの心の支えになってくれる。


『お気楽は余計なんですケドー! で、気になるってアノ声のこと?』


 そう。さっきから聞こえる、か細い思念の声。「だめ」とか「いけない」とか……最初は気のせいだと思ったけれど、それが何度も続くともう疑いようもない。


「そうだよ。あの声、もしかしたらイフリートの……ミイナ先輩のパートナーの声じゃないのかな?」


 先輩のいる方から今もかすかに、女の子のすすり泣くような声が流れてくる。力の支配権を失い、先輩の暴走を止められなくなったイフリート。

 彼女が助けを求める声が、ぼくに念話として伝わってきているのだ。


「ミイナ先輩本人にもこの声は聞こえているはず。うまくすれば、協力して説得できるかもしれない」


 いくら暴走して正気を失っているとはいえ、契約によって魂の絆で結ばれたパートナーの声をいつまでも無視してはいられないはずだ。

 ぼくも経験があるけど、頭の中でがんがん叫ばれ続けるのは精神的にきっついのである。


『そっか! アレに耐えてるんだとしたら、アッチももう限界が近いかもだよネっ!』


「うるさいって自覚はあるんだね……って、今はそれよりも!」


 それよりも、先輩だ! ぼくの接近に彼女は当然気付いている。迎撃してこないのは、たぶんその必要がないからだ。

 彼女が本気になれば、接近する前にぼくを打ち落とせるはず。それをしないのは、彼女との間に距離以上に明確な戦闘力差が横たわっているからに他ならない。


「ミイナ先輩っ!」


 けれど、この際それも好都合。彼女にとって脅威じゃないからこそ、逆にふところ近くまで飛び込める可能性は高い。

 運任せに近いけれど、まずは話し合える場所までたどり着かなくちゃあ始まらないんだ!


「……また、お前か」


 ――――幸いにも、ぼくに注がれたのは燃えたぎる火の玉ではなく……冷たい一瞥いちべつだった。


「お前一人じゃ話にならない。あたしを倒したければ、後ろのお仲間達と三人掛かりで来るんだな」


 身体を包む霊装の炎から、すさまじい熱気が押し寄せてくる。けれど、その中心にいるミイナ先輩の眼差しは凍りつくように冷ややかだ。


「倒しにきたんじゃ、ないよ」


 緊張で張り付いた唇をむりやりに開き、言葉を絞り出す。


「話しにきたんだ。先輩と……まだ今日は、落ち着いてちゃんと話せてないから」


「……聞いてなかったのか? 話しにならないと言ったばかりだぞ」


 ぼくを冷徹に見下す視線に、怒りの色が染み出してくる。やはり先輩が望んでいるのは、話し合いより戦いの方なのだろう。


 ――――だと、しても。


「ミイナ先輩! もう、こんな事やめようよ! このままじゃあ池袋の街がメチャメチャになっちゃう!」


 伝えるべきことを、ちゃんと言葉にして伝えないと。それが、今のぼくにできる全力なのだから。


「先輩のイフリートも、もうやめてって言ってる! 先輩だって聞こえているんでしょう?」


 そう言い放った直後だ。ミイナ先輩の冷ややかな表情が揺らいだ――――ぼくが想像したのと、まるで違う方向に。


「なにい」


 それは、困惑。ぼくの言葉がまるで、彼女が思い描く現実にくさびを打ち込んだかのようだ。


「……せ、先輩?」


「フッ、何を言い出すかと思えば……」


 だが、その揺らぎも一瞬のことだった。傲然ごうぜんと顔を上げた先輩は、再び氷のような冷徹さを取り戻していた。


イフリートサラーヴの声、だと? アイツはもう二年近く、一言も喋っちゃあいないんだぞ。あたしに聞こえないモノが、どうしてお前に聞こえるというんだ?」

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