第59話 駆け抜ける少女たち

【前回までのあらすじ】


 【門】から現れた大量のサラマンダーによって大混乱に陥った池袋の街。遊びに来ていた天海神楽学園一年S組の面々は、近くの地下道へと身を潜めていた。

 愛音が灯夜たちの状況を確認する為偵察に出るが、その帰りを待ちきれない静流は単身、灯夜の居るビルに続く地下道の奥へと進んでいく。


 しかし、そこで彼女が見たのは泥細工のような姿をした妖と、それに囚われ壁に埋め込まれた無数の人々であった。

 危機に瀕してもなお、灯夜を諦められない静流。絶体絶命の彼女のピンチを救ったのは、偵察から戻り急ぎ駆け付けた愛音だ。


 数を増して迫る泥の妖に対し、少女たちはどう立ち向かうのだろうか――――。



◇◇◇



 ――――「通ざね゛え゛……」「通ざね゛え゛……」


 暗い地下道で不気味に反響するのは、今や通路を埋め尽くすまでに増殖した泥のあやかしの声。一体一体がゆらゆらと身体を揺らしながら、すり足でゆっくり押し寄せてくる様は……さながらゾンビ映画の一場面のようだ。


「入道様は言っだ……」「言っだ……」


 喋っているのはそのうちの一体なのか、それとも数体が交互に声を発しているのか? それすらも最早確かめようがない。

 間違いないのはこの大群がすべて、自分たちを狙っているのだという事のみ……その現状に、綾乃浦静流あやのうらしずるは改めて戦慄する。


「地下の守りは、任せると……」「おでに、任せると……!」


 だが、愛音グリムウェルはその言葉を聞くと、背後にかばった静流とは真逆の表情を浮かべていた。

 にやり、と不敵にほくそ笑んだのだ。


「よう、妖さんよ! さっきはアイサツ抜きで瞬殺して悪かったな。折角だから、ここでキッチリ名乗らせてもらうぜ!」


 そしておもむろにくるりと一回転し……次々と格好良いポーズを決め始める。


「オレの名はアイネ! 魔法っ! 少女! アイネだ――――っ!!」


「な、何やってるの愛音さん! 決めポーズとかやってる場合じゃないでしょう!」


 静流が突っ込むのはもっともな事。四本の水晶剣の奮闘により多少足止めはできているものの、妖たちの進撃に追い詰められつつあるのは変わらない。

 愛音がいくら歴戦の霊装術者といっても、今更ポーズを付けて名乗りをやり直す余裕など無い筈なのだ。


「いいから見てろって……おい! オレは名乗ったぜ! となれば、そっも名乗るのが礼儀だろ?」


 迫り来る妖泥の群れに向け、なおも愛音は言い放つ。


「……ま、名乗る名前があれば・・・の話だけどな?」


 これは、軽い挑発だ。妖は自分がどう呼ばれるかには無頓着な傾向があるが、個体名の有る無しには逆にこだわる者が多い。それにある程度の知性を持つ妖は、普通通り名くらいは持っているものだ。

 例え妖と言えども、人語を解しているのなら……自分が“名無しの有象無象うぞうむぞう”扱いされる事には我慢ならないだろう。


「おでは……巖泥ガンデイ! 冨向フウコウ入道様一の弟子、巖泥だっ! こごから先は、誰一人通ざね゛え゛――――!」


 愛音の思惑通り、泥の妖は低く唸るような怒声をもってそれに応えた。同時に、二人の背後の床からも無数の泥細工の怪物が生え出して退路を塞ぐ。


「どうするのよ……囲まれちゃったじゃない」


「なあに、まだ手はあるさ……それよりもだ!」


 いきなり真正面から自分を見つめる愛音の真剣な眼差まなざしに、静流は思わず面食らう。同じクラス・同じ寮で生活するようになってもうひと月は経つが、彼女のこんな表情を見たのは初めてだ。


「トーヤたちの無事を確かめるまでは、一歩も退かない……オマエ、オレにさっきそう言ったよな。その覚悟、今でも変わってねーか?」


「あ、当たり前よ! 足手まといと言われたって、絶対諦めないんだから!」


「よし、オーケーだ! オマエの覚悟……信じてやろうじゃねーかっ!!」


 周囲の怪物たちがなおもじわじわと包囲を狭める中、愛音はおもむろに静流を抱き抱えると、そのまま通路の先――――照明に照らされたビルの地階方向に向けて跳躍した。


「え!? ちょ、何っ!」


 お姫様抱っこされて宙を舞いながら、静流は愛音の突然の行動に戸惑っていた。

 “猫の妖精ケット・シー”のノイと霊装を果たした愛音ならば、人ひとり抱えたままでも相当の跳躍力がある……それは自体は理解できなくもない。


 しかし、ここは地下道。天井に引っ掛かる事なく長距離のジャンプを行うのは不可能なのだ。案の定、彼女たちの身体は天井付近から降下に転じ、このままでは眼下に広がる妖の群れに飛び込むのは必至――――


 しかし、たん、と軽く鳴る靴音と共に浮遊感は途切れ、静流の思考は振り出しへと戻される。

 何もない空中に静止したかに見えた愛音のつま先の下には……自在に宙を駆ける彼女の水晶剣が敷かれていたのだ!


「よっ、ほっ、はっ……とうっ!」


 愛音が足を踏み出す先に、四本の剣が入れ違いで足場を提供する。妖の群れを飛び越え、更に床を覆った泥の切れ目までスキップするように駆け抜けると、彼女は足を揃えて十点満点の着地を決めた。


「ふう……シズル、オマエちょっと重くね? ダイエットした方がいいんじゃねーのか」


「放っといてよ! それより、これからどうするつもりなの愛音さん?」


再び両の足で床を踏みしめた静流の問い掛けに、


「どうもこうもねーぜ。オマエが行くんだよ、シズル!」


 愛音は、満面の笑みと共に答える。


「オレがここで妖を足止めするから、オマエがトーヤたちのトコまで行ってこいってんだよ! 分かったらとっとと走れっ!」


「え、えっ? でも、あんな数の妖を足止めって……あなたは大丈夫なの!?」


 先程まで自分を帰らせようとしていた少女から出た突然の言葉に、静流は困惑を隠せない。そして、彼女たちが飛び越してきた妖の群れはすでに泥中を移動し……こちらのすぐ目と鼻の先に次々とその不気味な姿を生え出させていた。


 ――――いくら魔法少女と言えど、あの数を一度に相手取るのは厳しいのではないか?


「おいおい、このアイネ様をなめてもらっちゃ困るな~。それに、あんな数って言うが……敵は最初から一匹だけだぜ?」


「ど、どういう事?」


「ヤツは自分の事を“おで”と言った……一体どこの方言だよと正直、突っ込まずには居られない気分なんだがそれはまあ置いといて」


 ……前置きが長い! 思わず突っ込みたい気持ちを必死に抑え、静流は愛音の次の言葉を待つ。


「“おで達”じゃなくて“おで”だ。それにオレが名乗った時に応えたのも一匹だけ。群れに見えるが、ヤツらはあれで一匹の妖……中の人はひとりって事なのさ」


「……! 倒されても悲鳴のひとつも上げないから、変だとは思ってたけど……」


 ――――危ない事をしている割に不真面目な言動が多い、いまいち信用ならない人。愛音へのその認識を、静流は改めざるを得ないと感じていた。

 てっきり奇行のたぐいだと思っていた先程の名乗りさえも、敵の本質を見抜く為の布石……勝利へ向けての堅実な一歩だったとは。


「ほら、オレの剣を一本貸してやる。何かあったらソイツが守ってくれるハズだ。オレもコイツを片付けたらすぐ追い掛ける!」


 浮遊していた水晶剣の一振りを静流に手渡すと、愛音は今にも泥の境界線を越えようとする怪物の群れに向き直った。


「行け、シズル! トーヤたちの事は任せたぞ!!」


「――――分かったわ。あなたも気を付けて!」


 駆け出した静流の足音を背中で聞きながら、最前列の怪物の頭を蹴りで粉砕する愛音。残った三本の剣も、それぞれ正面の獲物に猛然と襲い掛かる。



「さあ、ここからが本番だ……魔法少女アイネ、全力全開でいくぜっ!!」

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