第58話 泥細工の門番

【前回までのあらすじ】


 ゴールデンウイークを使い、池袋の街に遊びに来た天海神楽学園一年S組の面々。昼食を済ませ、午後からの自由時間を楽しんでいた愛音たちの前に、【門】から現れた大量のサラマンダーが立ちふさがった。


 突然の襲撃に窮地に立たされるも、愛音とノイの活躍とルルガ・ルゥの救援によって難を逃れた一行は、近くの地下道に身を潜める。

 愛音が灯夜たちの状況を確認する為偵察に出るが、その帰りを待ちきれない静流は単身、灯夜の居るビルに続く地下道の奥へと進んでいく。


 しかしそこで彼女が見たのは……泥に囚われた人々と、迫り来る不気味な妖の姿であった――――!



◇◇◇



 ……それ・・の身長は約二メートル。四肢を持ち、二本足で直立したあやかしだった。人型と言うなら、そう言えなくもない。


 だが綾乃浦静流あやのうらしずるには、人外の怪物のどこからどこまでを人型と呼ぶべきかの基準が分からなかった。そのような存在モノと出逢う事自体、彼女の日常ではあり得ないことなのだから。


「……入道様は言っだ。地面の下の守りはおでに任せると……ニ゛ン゛ゲン゛だろうが妖だろうが、こごから先は一歩も通ざね゛え゛――――!」


 聞き取りづらいだみ声で吠えながら、すり足でずりずりと近づいて来る怪物。その全身は泥に覆われ……いや、むしろ泥そのものが意志を持って動いているようにも見える。

 目や鼻、口らしきものも有りはするが、まさに泥細工といった粗雑な造形からは、人に似せようという努力は微塵も感じられない。


 ――――逃げなきゃ、駄目だ! 静流は震える両足に必死で力を込める。幸い、怪物の歩みは遅い。全力疾走すれば、まず追いつかれる事はないだろう。

 走り出す彼女……しかし向かう方向は後ろではなく、前だ。道幅をギリギリまで使い、怪物を大きく迂回うかいして通路の奥へと駆ける。


 追いつかれる心配が無いなら、前に逃げる事も可能なはず――――己の身に危機が迫ってなお、静流は灯夜を諦めていない。彼を置いて逃げ帰るなどという選択肢は、彼女の辞書には存在しないのだ。


「やった! これで月代君の所に……あっ!」


 すぐ前の角を曲がれば、明るい照明のあるビルの地階……というところで、静流は不意にバランスを崩して転倒した。冷たい泥がばしゃりと少女の顔を打つ。


「いたた……な、何これっ!?」


 泥に足を取られた……そう思ったが、正確には違う。彼女の右足に絡みついた物、それは――――“手”であった。

 泥で形作られた無骨な手首が、静流のくるぶしをがっしりと握り込んでいたのだ!


「通ざね゛え゛って、言っだよな゛ぁ゛~」


 足元から発せられた声に、静流の全身が総毛だった。床一面の泥、そこから生えていたのは手首だけではない。いつの間に現れたのか、怪物の頭が――――続いて胸、上半身が次々と浮かび上がり、肩口から伸びた長い腕が手首とつながる。


 怪物の動きは確かに緩慢かんまんだったが、だからといって容易く逃げおおせられる相手ではなかった。この怪物が持つ異能……それは泥で覆われた場所なら、瞬時に全身を移動させられる能力。

 通路を覆った泥の中にいる時点で、獲物はすでに囚われたも同然なのだ。


 自分の選択が、覚悟が――――全くの無駄だった事を思い知らされ、静流の脳裏に浮かんだのは絶望の二文字。やはり妖の前では、ただの人間に出来る事など無いというのか。


「嫌っ! 放して!」


 怪物が、静流の足を掴んだまま腕を持ち上げる。逆さ吊りのような形にされた彼女の顔の目の前に、怪物の顔面……空っぽの眼窩がんかと虚ろに開いた口がぐいと迫った。


「おんゃあ゛? コイツはなんと……うまぞうなニオイだぁ゛~」


 霊力の高い人間は、妖にとっては恰好かっこうの餌……静流は入学式の日に、担任の車折くるまざきから聞かされた話を思い出してぞっとした。

 ――――かつて彼女を虜にしたウンディーネのように、この怪物も自分を取り込もうとしているのか!?


「……残念だが、そうは問屋がおろさねーぜ!」


 凛とした声が響くのと同時に、静流の足首を掴んだ泥の腕が肘の先あたりで切断される。支えを失った彼女の身体はそのまま真下に落下するが、持ち前の運動神経の良さが幸いし、頭から落ちることだけはなんとか回避した。


「なぁ゛、何だあ゛~!」


 叫びながら、のろのろと振り返ろうとする怪物の体に……僅かな光を反射してきらめく四枚の刃が突き刺さったかと思うと、次の瞬間にはその全身をばらばらに切り刻む。


「瞬殺!【乱れ踊るは光輝の剣シャイニング・ソード・レイヴ】!!」


「――――あ、愛音さん!?」


 崩れ落ちる怪物の背後から悠々と現れたのは、霊装状態の愛音であった。体を走るピンク色の呪紋の輝きが、無機質な暗闇に鮮やかに映える。


「おうよ! 魔法少女アイネ、ただいま参上!」


 静流の前まで来ると、ここぞとばかりにポーズを決めて名乗りを上げる愛音。最近忍に見せられたアニメの影響が大きかったのか、彼女は霊装状態の自分を“魔法少女”と呼ぶようになっていた。

 ……そもそも魔法少女とは、目撃された霊装術者が都市伝説として語られる際に付いた便宜べんぎ的名称。それを考慮するなら、おおむね間違いという訳でもない。


「それはそうとシズル、何でこんな所まで一人で来たんだ? オレが戻るのを待ってられなかったのかよっ!」


「そんな事はどうでもいいわ! 月代く……残りのみんなとは会えたの!?」


 泥の中から素早く身を起こすと、静流は愛音に掴みかからんとする勢いで問い詰めた。助けられた礼を言う間も惜しむ程に、まず灯夜たちの安否を知りたかったのだ。


「いや、それがな……例のビルの周りには魔法障壁って言うか、いわゆる壁があって中に入れねーんだよ。仕方ねーんで戻ってみたらコウメがセンセー達を連れて来てて、オマエが居なくなったって騒いでて……」


「……つまり、あなたは“何の成果も得られなかった”ってこと?」


「ぐっ、わざわざ助けに来てやったのにハッキリ言いやがって……ああ、その通りだぜ! 悔しいが、それに関しちゃこっちのルートの方が正解だったワケだな」


 愛音がこの地下道を進んで来たのは勿論静流を追っての事だが、鉄壁の障壁に、僅かでも付け入るスキを探しての行動でもある。

 地上が無理なら地下はどうか……という半ば安直な考えではあったが、結果としてそれは彼女を正解へと導いた。


「ここはもうビルの真下。あの障壁は地下までは覆っていなかったってワケだ……まあ、さっきの門番はその代わりって事なんだろうな」


「門番はもうやっつけたでしょ。ならこんな所でぐずぐずしていられないわ!」


 くるりときびすを返し、大股に歩き出す静流を愛音は慌てて制止する。


「ちょ、待てって! オマエはみんなの所に戻ってろよ!」


「どうしてよ! 折角ここまで来たって言うのに……」


「この先何があるかわからねーってのに、戦えないオマエじゃ足手まといにしかならねーだろうが!」


 愛音の言う事はもっともだ。しかし、今更そんな理屈で引き下がる静流ではない。


「私は戻らないわよ。月代君たちの無事を確かめるまでは、一歩も退かないわ!」


「ったく、相変わらずめんどくせーヤツだな……」


 ため息をつきながら、愛音は不意に右腕を振り上げた。すると彼女の周りを漂っていた四枚の刃――――水晶の剣たちがひらりとその身をひるがえす。


「な、力ずくで言う事を聞かせようというの!? そんな脅しに、私が従うとでも思って――――」


 四振りの剣は、静流の言葉を待たずに愛音の後方へ向かって飛ぶ。間を置かずに、暗闇の中で鈍い斬撃音が連続した。


「やれやれ、オマエがモタモタしてやがるからだぜ……これでどっちにしろ、戻る道はふさがれちまった」


 静流がはっとして闇に目を凝らすと、そこにはいくつものうごめく影が通路を埋め尽くす、ぞっとするような光景が広がっていた。一体一体が先程と同じ、無骨な泥細工の怪物である。

 こちらに近寄るそばから水晶の剣に切り倒されてはいるものの、多勢に無勢。突破されるのも時間の問題だろう。


「……どうやらトーヤたちの所に行くまでに、もうひと仕事こなさなきゃーならねえみたいだな!」



 臨戦態勢を取る愛音に、じりじりと迫る怪物たち。静流の目の前で、今再び戦いの幕が上がろうとしていたのだった――――。

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