第57話 魔窟の深奥

【前回までのあらすじ】


 ゴールデンウイークを使い、池袋の街に遊びに来た天海神楽学園一年S組の面々。昼食を済ませ、午後からの自由時間を楽しんでいた愛音たちの前に、【門】から現れた大量のサラマンダーが立ちふさがった。


 突然の襲撃に窮地に立たされるも、愛音とノイの活躍とルルガ・ルゥの救援によって難を逃れた一行は、近くの地下道に身を潜める。

 愛音が偵察に出た合間に、彼女を探しに来た蒼衣一行が地下道へと辿り着く。皆が再会を喜ぶ中、綾乃浦静流はひとり、人知れず姿を消していたのだった……。



◇◇◇



 ――――そこは本来なら、暖かな照明と心安らぐBGMが流れる、行き交う人の絶えない賑やかな通路であったに違いない。


 それがどうだろう。今は明かりらしい明かりは全て消え去り、物音を立てる者すら存在しない。池袋の地下に築かれたこの通路を支配しているのは、不気味なまでの闇と静寂のみであった。


「電気が消えるだけで、こんなに寂しい道になるなんて……」


 何気ないつぶやきが暗闇に木霊こだまするのを聞いて、綾乃浦静流あやのうらしずるはびくっと肩を震わせた。

 まだ入り口付近から少し奥に進んだだけなのに、まるで人類が滅び去った後の廃墟を歩いているような……底知れない不安が湧き上がってくる。


 ――――今からなら、まだ戻れる。不意に脳裏に浮かんだ提案に、彼女はぶんぶんと頭を振った。


「駄目よ! 月代君の無事を確認するまでは、じっとしてなんかいられないんだから……」




 ……時は数十分前にさかのぼる。周囲を囲んだサラマンダー達を撃退した愛音たちは、近くにあった地下道へと退避していた。

 戦闘を続けるにも状況を確認するにも、戦えない静流と忍を連れたままでは危険すぎるからだ。


 ついでとばかりに辺りから逃げ遅れた通行人を拾い、地下道へと誘導する。追いすがるサラマンダーも愛音とルゥの敵ではない。とりあえず目に入る範囲の人間を避難させて、一行はようやく一息入れることができた。


「ここに居ればサラマンダー共は襲って来ねーはずだ。さて、これからどうするかなんだが――――」


「そんなの、決まってるわ! 月代君を……他のみんなを助けに行きましょう!」


 静流が真っ先に主張したのは、池袋に来ている他のS組メンバーの救出だった。別行動を取ったのが災いし、はぐれたままの残り四人……携帯の通じない今となっては、その無事を確認する手段もない。

 クラス委員長として、全員の安全を確保したいのは当然のこと。しかし、愛音の反応は静流からすれば拍子抜けする程気楽なものだった。


「そうは言うがなシズル……アイツならレンジュたちを守って普通にヨロシクやってると思うぞ?」


「ヨロシクって何よ! あなた、友達がピンチになってるかもしれないって時に、よくヘラヘラ笑っていられるわね!」


 日頃の鬱憤うっぷんもあってか、彼女は愛音に対して苛烈かれつであった。静流にとって、愛音グリムウェルは灯夜を良からぬ道に誘う悪い虫。なるべくなら彼から遠ざけたい人間の一人だったのだ。


「前はどうだっか知らねーが、今のトーヤはオレと同じ魔法少女なんだぜ? お前なんかと違って、ちゃんと戦えるんだからな!」


 釣られて喧嘩腰になる愛音の言葉にも、確かに一理はある。ただ視えるだけの静流とは違い、灯夜はあやかしと戦えるだけの力を持っているのだ。お供の妖精を呼んで変身すれば、外にいたサラマンダー程度に遅れを取る事はないだろう。


 ……同じ事件に巻き込まれ、同じような経緯で学園に来た灯夜と静流。しかし、その能力には大きな開きがあった。愛音にしてみれば、今の灯夜は一般人に心配される程弱くはないという認識なのだ。


「あなただって、ルゥさんが来るまでは結構苦戦していたじゃない! それに……あの月代君のことよ。きっとまた無茶をやっているに違いないわ。急いで助けないと!」


 だが、静流は一歩も退かない。妖と戦える力があれば……誰かを助けられる力があれば、月代灯夜は戦ってしまう。己の身をかえりみず、危険の中に飛び込んでいってしまうのだ。

 ……例え、自らの手に余る事態であろうとも。静流には、それが何よりの気掛かりであった。


「まあまあ、二人とも落ち着くでござるよ。ここで喧嘩しても、何の特にもならんでござろう?」


 険悪になりつつある空気を察して、忍が割って入る。この二人が対立するのはS組では半ば日常茶飯事の出来事であり、その度に忍たち共通の友人が火消しに奔走ほんそうしているのだ。


「とは言え、みんなを助けに行きたい気持ちは拙者も同じ。ここはひとつ、愛音殿に様子を見て来てもらうというのはどうでござる? 愛音殿なら外の妖をものともせず、例のビルまでひとっ飛びでござろう」


「そうだな……ここの守りはルゥに任せればいいし、ちょっくら行ってくるってのも手だな。よし! ひとっ走りしてくるかー!」


 ……こうして、愛音は偵察に出発することになった。状況の如何いかんに関わらず、十分程で戻るという条件付きで。


「時間無制限だと、妖どもを全滅させるまで粘っちまいそうだからな!」


 どちらにしろ、外に出たら戦闘は不可避。静流は「一緒に連れてって」という言葉を無理やり飲み込んだ。足手まといになるのは確実だし、愛音に貸しを作るのもしゃくだからだ。


 しかし、愛音が出て行って数分も経たない内に……彼女は自分の選択を激しく後悔していた。灯夜が危険に晒されているという時に、何もせず黙って待つなんて事が出来る訳がなかったのである。


 小学生から中学生へ至る過程で、二人の関係性は目まぐるしく変化していたが……静流の根底にある想いは変わっていない。彼女にとって灯夜は“特別”であり、その美しく尊い存在は神聖にして侵されざるもの。

 何を犠牲にしてでも、守護まもらなければならない絶対的な最優先対象なのだ。


 また、彼女には他の誰より彼の事を理解しているという自負もあった。実際静流は学園内では数少ない、彼が男子だという秘密を知る一人。

 ……灯夜を救えるのは自分しかいない。その一念が、彼女の焦りを更に駆り立てる。


 ――――いっそ、一人ででも行ってみるべきか? 確かこの地下道は奥で月代君たちが居るビルに通じていたはず。地下が安全だというなら、妖の妨害を受けずにビルまで辿り着けるのではないか?


 その考えに思い至った時、彼女にはもう自分の衝動を抑える事はできなかった。ルゥが入り口を見に行った隙にこっそりと避難民の群れを離れ、ひとり通路の奥深くへと足を向けていたのである……。




 ……一歩、一歩と歩みを進めるごとに、静流の中で不安は大きくなっていた。


 ビルに辿り着いても、この地下道と同じように電気が止まっている可能性がある。灯夜からの最後の電話では、彼等はビル最上階の展望台へ向かうとのことだった……という事は、最悪六十階もの長い道程を階段で進まなくてはならない。

 中学一年生にしては優れた身体能力を持つ彼女でも、流石にこれは無茶だ。


 仮にエレベーターが生きていたとしても、先行した愛音が難なく助け出していて入れ違いになるかもしれない。冷静になって考えれば考える程、自分の行動が無謀どころか無意味で無駄なものと思えてくる。


「でも、ここまで来て引き返すなんて……あっ!」


 しかし、唐突に状況は変わった。手探りで角を曲がった先に、明かりが見えたのだ! 歩いた距離と方角から計算すると、その辺りは丁度ビルの真下。

 恐らく予備なり補助なりの電源が機能しているのだろう……どうやら、これで六十階を階段で登る心配は無さそうだ。


「よし、いける。待ってて月代君!」


 明かりが漏れる一角を目指して、長い通路を足早に進む静流。しかしその半ばにして、彼女は足元に妙な違和感を感じていた。不意に水溜まりに……いや、ぬかるみに足を踏み入れた様な、ねばつく感覚。

 いくら地下とは言え、こんな場所に地面が露出している訳がない。しかし、奥に行くに従って床一面に広がりゆくそれは……明らかに自然の泥そのものだった。


「こんな所に、泥? それに、この感じはどこかで……きゃあっ!」


 嫌な予感を振り払うように、何気なく壁に手をついたその時。静流は異様な感触に思わず悲鳴を上げていた。


 ――――そこには、顔があった。生暖かい人間の顔が。夢中で飛びずさり、改めて壁を一望した彼女は戦慄を禁じ得なかった。


 人が、埋め込まれている。通路の角から注ぐ僅かな明かりに照らされていたのは、壁一面を覆った泥に……所構わず埋め込まれた人間たち。

 彼等は一様に、ぐったりと力なく泥に囚われている。その光景は、まるで悪趣味なオブジェ――――芸術作品などとは程遠い、悪意の産物そのものであった。


 静流は思い出していた……記憶の底、出来れば二度と掘り返したくない場所に沈めた感覚を。それは一ヶ月半程前、彼女自身が身をもって体験した悪寒。


「これは……妖の仕業!?」


 その言葉に応えるかのごとく、ずりずりと何かを引きずるような音が角の向こうから響く。やがて姿を現した影は、人の形を模していながらもどこかいびつで……醜悪極まるものだった。


「まぁだいだのかぁ、ニ゛ン゛ゲン゛――――!」



 それ・・が発する、地の底から湧き上がるような低く恐ろしい声に……静流は悲鳴を上げるのも忘れ、その場にただ立ち尽くすのみであった――――。

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