第91話 決起の老将

【前回までのあらすじ】


 西池袋の高層ビル街で続く、裏切りの妖・栲猪と四方院樹希……そして【がしゃ髑髏】の我捨の戦い。

 死闘の中で、栲猪は彼が起つきっかけとなった妖大将の居城での出来事を思い起こす。


 幽玄の君が告げたのは、妖たちが宝物殿に収集した多種多様な魔道具を、妖大将は決して彼等の為に使う事は無いという理不尽な事実。

 妖たちの宿願は、人間達の支配からこの大地を奪い返す事。しかしそれに反するような妖大将の行動に、栲猪は強い不審を抱かずにはいられなかった……!




◇◇◇




 ――――栲猪タクシシ冨向フウコウ入道を伴い、あやかし大将の居城から出奔しゅっぽんしたのは……くだんのやり取りのあった次の晩の事であった。


「さて、これで君たちも立派な裏切り者という訳だが……後悔は無いかい?」


 彼等を見送る者はただ一人、事の次第を知る幽玄の君である。


「愚問だな。これから事を成さんとする者が何を悔いるというのか。城を出た時から、我等に戻る道など有りはせぬ……そうだろう、冨向入道よ?」


 栲猪の不意の問い掛けに、冨向入道はぎこちなくうなづいた。血走った眼をせわしなく動かし、禿げ上がった頭から脂汗を垂らす様子は見るからに落ち着きを欠いている。


 冨向にしてみれば……宝物殿から魔道具を盗み出すのを見逃してくれる程度だと思っていた栲猪が、まさか共に裏切り者として出奔するなどとは思ってもいなかったのである。


 古参の老将と名高い彼をして、妖大将へ反旗をひるがえさせるとは……幽玄の君は一体、何を彼に吹き込んだのか。強い味方を得て喜ばしい反面、冨向の心中には名状しがたい不安が立ち込めていた。


「幽玄の君よ、最後に貴公に聞いておきたい事がある」


「……何かな?」


 見送りを終え、きびすを返そうとしたトレンチコートの男を、栲猪は背を向けたまま呼び止めた。


「何故、我に秘密を明かした? 我が皆に彼の者の思惑を話せば、今頃地の底では蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた筈。離反する者も少なからず現れていただろう……貴公は彼の者を友と呼んだが、わざわざその友をおとしいれるような真似をしたのはどういう訳だ?」


「半分はもう分かっているじゃないか。君が誰にも告げずにここに来たのは、それを広めても意味が無いと知っていたからだ。そうだろう?」


 ――――その通りだった。結局のところ、彼等妖が人間達に対し組織的な抵抗を続けられるのは……妖大将の名の下に曲がりなりにも団結しているからである。

 そもそもバラバラに活動し続けたあげく先細りになり、勢力を減じていくしかなかった彼等が最後に頼ったのが妖大将の力なのだ。


 先の大夜行などの大きな攻勢も、彼等を軍勢としてまとめる者が居て初めて実現した事。逆に言えば、妖大将の存在無くしては人類への対抗勢力になり得ない……それが妖達の現状であった。

 強大な力を持つ妖大将の庇護ひごを受けずして、今や人間達との戦いを続けられる妖は居ない。それは土蜘蛛一族にしても同じ事。


 ……妖大将がいかなる思惑を内に秘めていたとしても、当面の利害が一致している限りは彼に従う他は無い。栲猪が真相を明かせばそれなりの騒ぎは起こるだろうが、最終的には現状を維持するしかないという結論に至っていたはずだ。


「そうだ。いたずらに不和を招き、皆の結束を乱すのは我の望むところでは無い。だが……あの真実を知ってなお、見て見ぬ振りをするというのも性に合わぬ」


 一族の重鎮である彼が起つと知れば、それに従う者もまた多く現れるであろう。ともすれば、土蜘蛛一族を二つに割る内乱をも起こしかねない。

 栲猪が単身での決起を決めたのはその為である。一族は巻き込めないが、かと言って知らぬ存ぜぬを決め込む事も出来ない……それが栲猪という漢であった。


「……もう半分も簡単な事さ。私と彼は友人ではあっても、目的を同じくする同志という訳ではない。たまにはこういう事もあるというだけだよ……長い付き合いをしていると、多少の融通は利くものだからね」


「……」


 ――――この男、本当に底が知れぬ。もしかしたら、幽玄の君は妖大将以上に深い謎を秘めているのではないか? 己もまた、彼の思惑通りに動かされているだけなのでは……栲猪の脳裏を不安がよぎる。


「なあに、心配は要らないよ。私が教えなくても、いずれ君は自ら真実に辿り着き……同じ決断を下しただろうからね。私は、それをほんの少し早めただけさ」


 心中を見透かすような、幽玄の君の言葉。そう、どちらにせよもう歩みを止める訳にはいかない。ただ一人、妖大将の秘密を知った己が一族の為に何をするべきか……悩み抜いた末に導き出した結論と覚悟は、彼の内にこそあるのだから。


「世話になったな、幽玄の君よ……恐らく、もう二度とは会うまいが」


「……御機嫌よう。君達の行く末に幸あらん事を、草葉の陰で祈らせてもらうよ」


 ――――去りゆく男の気配が消えるまで、栲猪はその場に立ち尽くしていた。が、程なくして足早に歩き出す。


「ま、待て栲猪よ! 儂の弟子をこの先で待たせてあるのだ――――」


 慌てて追いかけていく冨向入道。その後彼等は渋谷の地で召喚儀式に及び、一連の騒動の引き金を引く事になる。


 人と妖、様々な思惑の絡み会った大都会の騒乱は、こうして幕を開けたのだ。



 ――――そして栲猪は今、戦場にいる。


「最早、時間稼ぎなどと野暮は言うまい……今はしばし、久方ぶりの戦いに酔いしれようではないか。とくと拝むがいい……土蜘蛛の栲猪の戦働いくさばたらきというものを!」



「――――畜生、不味い事になったな!」


「ええ。不愉快だけど同意だわ!」


 ビルからビルへ飛び移り、栲猪を追うのは【がしゃ髑髏どくろ】の我捨がしゃ。翼を羽ばたかせその傍らを飛ぶのは四方院樹希である。


「振り切ろうと思えばできるのに、それをしないという事は……わたし達を罠に誘い込むつもりでしょうね」


 栲猪を倒すには彼女たちが二人掛かりで挑むしかない。だがそうなると、樹希は空を飛べない我捨に速度を合わせる必要があった。

 分散した所を各個撃破されない為には仕方のない事だが、栲猪はそれを知りつつわざと二人がついて来れるスピードで移動している。


「是非ともついてきてくださいってか。まあこのまま逃げ続けられるよりはなんぼかマシだがよ……」


 我捨の表情は険しい。二体一とはいえ、状況はまだ敵に分があるのだ。


「ところで問題は追いついた後だぜ。さっきみたいなヌルい連携じゃ、ヤツを削りきるまでどんだけ掛かるか分からねえ……俺たちが勝つには、ヤロウを一撃で仕留められるような術をぶちかますしかねェんだが」


 三白眼の鋭い視線が樹希を睨む。


「……お前、持ってるか? ヤツに当てられる術で、ヤツを倒せそうな術」


 樹希は唇を噛んだ。我捨には解っているのだ……得意の雷術が通用しない以上、四方院樹希に栲猪を一撃で倒す手段は存在しない事を。

 解っていて、ただ確認しただけなのだと。


「残念ながら、持ち合わせが無いわ。貴方の方はどうなの? 何も無いのなら、それで詰みだけれど」


「あるにはある。あるんだが、そいつは少々面倒な術でな……空をビュンビュン飛び回りながら出せるような代物じゃ無い」



 我捨の口調と表情で、樹希は彼の意図がなんとなくだが理解できた。彼女の術は命中率は高いが威力に欠ける。そして我捨はその逆だ。


「つまり、わたしが貴方の攻撃を当てる隙を作ればいいという訳ね?」


「話が早いぜ。一度でいいからヤロウを地面に叩き落としてくれ。同じ土俵の上ならコッチの物だ……一撃、必ず当ててやるからよォ!」

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