第92話 運命と決意と……

【前回までのあらすじ】


 灯夜の制止を振り切り、池袋上空で再び激突する紅の竜姫と不知火ミイナ。黒い炎をまとったミイナの猛攻と自身の消耗によって、流石の竜姫も苦戦を強いられる。


 更に攻勢を強めるミイナの容赦のない攻撃は、池袋の街にも被害を及ぼしていく。【アライメント・シフト】によって負の感情を暴走させた彼女は、今や誰にも止められない悪意の権化に……まさしく悪魔そのものへと変貌しつつあったのだ――――!!



◇◇◇



「あははは! この程度でもう打つ手なしか? さっきあたしをぶちのめした時は、こんなものじゃなかっただろ!」


 炎の羽衣はごろもをまとった少女の哄笑こうしょうと共に、天から降り注ぐのは……超高熱の炎の雨。


「鱗のリングは、極太の熱線はどうした? この期に及んで、まだ手を抜くつもりじゃないだろうな……えぇ、この糞トカゲ野郎!!」


 不知火ミイナが生み出す、無尽蔵とも言える炎の散弾。それの標的となっているのは、宙に浮かぶ深紅の鱗で形作られた大盾……そして、その裏側で眉間にしわを寄せるもう一人の少女の姿であった。


「こちらの事情も知らずに勝手なことをぬかしおる。抜ける手などあったら、こんな苦労はしておらんわ!」


 飛来し続ける炎弾を受け止めるたび、鱗の盾がみしみしと悲鳴をあげる。【アライメント・シフト】によって力を増大させたミイナに対し、紅の竜姫は逆に限界に近づいていた。


 本来なら人間などとは比較にならない程の霊力量を誇る【竜種】ではあるが、大きな力を持つ妖ほど重い負荷を受ける物質世界の法則と、先程から続く戦闘による消耗。そこに冨向フウコウ入道が残した呪いの術も加わり、彼女の霊力は大きく損なわれていたのだ。


「まさか人間ひとりにここまで追い詰められようとはな……これもまた、巡り合わせの悪さというものか」


 深いため息が、竜姫の唇からもれる。この世界にび出されて、早々に出会ったのが冨向のような悪党。そしてその翌日にはこのような強敵に命を狙われているのだ。

 良い悪いで言うなら、間違いなく運の悪い方だろう。彼女はそう思わずにはいられなかった。


「所詮わらわは異界の魔物。この世界に居場所を持たぬ身よ。ある意味、ここで滅ぼされるのが正しい運命なのかもしれぬな……」


 どちらにせよ、残された時間はわずかだった。この場の戦いから逃れたところで、数日の内には彼女の霊力は底をつく。結局のところ、消滅するのが早いか遅いかの違いでしかない。


「ふふふ……ならば、やるべき事は決まっておる。もはや出し惜しみをする理由も無くなったしの」


 冨向入道の術によって元の世界に帰る……それが今まで、彼女を支えてきた唯一の希望であった。人間の姿に化身し、霊力の消費を抑えて少しでも延命を図ろうとしていたのも、その術の完成を期待してのこと。

 それが冨向の口から出まかせと分かった今となっては、紅の竜姫が生き延びる道は断たれたも同じなのだから。


「……このままやられ放題というのも、気に食わんからなっ!」


 竜姫を守っていた鱗の盾が、突如として四散した。


「なにっ!?」


 驚いたのはミイナの方だ。炎の散弾には盾を一撃で打ち破るほどの威力はない。となれば、盾を解除したのは竜姫自身という事になる。


「やっと……やる気になったか!」


 今だ降り続ける炎の雨をその身に浴びながら、ミイナめがけて一直線に上昇してくる……紅の竜姫。

 眼前間近に迫る敵の顔が、憎悪渦巻くミイナの胸に清々しい息吹を吹き込んだ。


「さあ、殴らせろ! ずっとそのツラを殴りたかったんだっ!」


 黒い炎に魂まで浸食されつつある彼女にとって、闘いがもたらす興奮だけが唯一の喜びであった。

 身体に収まり切らない程のどす黒い怒りと憎しみ……不知火ミイナが完全に狂気に飲み込まれずに済んでいるのは、目の前にそれをぶつけられる敵が存在しているからに他ならない。


「悪いが、お主の思い通りにはならぬぞ!」


 しかし、紅の竜姫の意図は違った。殺気に満ちた拳を振りかぶるミイナのすぐ脇を舞い踊るようにすり抜けると、そのまま天を覆う暗雲へと飛び込んでいく。


「――――野郎っ!」


 竜姫を追って駆け抜ける無数の鱗に阻まれ、待ちに待った接近戦のチャンスを失ったミイナは悪態をついた。

 彼女が【アライメント・シフト】のような危うい力に手を出したのも、ただ竜姫を正面から打倒したいが為。なのに肝心の相手は、先程から及び腰とも取れるような半端な立ち回りに終始している。


 ……ミイナには、それがどうにも許せなかった。


「ふざけるなっ、戦え! あたしを馬鹿にするなぁ――――!!」


 どこか、悲鳴めいた怒りの咆哮ほうこう。それと共に放たれた極大の火球が、竜姫の消えた雲の中心で炸裂する。


 ――――天空を染める、爆炎と閃光。それが治まった時、空一面を覆っていた暗雲には巨大な穴が穿うがたれていた。


「出てこいトカゲ野郎! どこまでも逃げ回るというなら、この空すべてを焼き尽くしてでも――――」


 その時、ミイナは見た。丸く切り取られた雲の穴から降り注ぐ、柔らかな光の中で……静かにたたずむ、有りうべからざる存在を。


「……卵、だと!?」


 深紅に輝く、それは直径二メートル程の卵状の塊だった。複雑にカットされた宝石のように光を反射するその表面は、よく見れば竜姫の六角形の鱗の集合体である事が分かる。


 先程の爆発にもまるで動じなかったであろうその姿を目にして、獅子のたてがみを思わせるミイナの髪が怒りに逆立った。


「守りに……徹するというのか。このあたしの前で――――!!」


 ――――こいつには、まともに戦う気が無いのか。どこまでも煮え切らない竜姫の態度に、ミイナの内なる憎悪が生んだ黒い炎がより一層勢いを増す。


「ふふふ……そう荒ぶるでない。心配せずとも、お主の相手を放り出すつもりは無いぞ」


 ミイナの怒声に応えるように、卵の内から声が響く。いや、それは声というより……空間そのものが震えたかのような異様な振動。


「なにい!?」


「今しばし、待っておるがいい。そうすれば……見せてやれるからのう」


 卵の内から伝わる、鼓動のような妖力の波動にミイナは気付いた。それは彼女が今まで感じたことのない、息苦しいほどの圧力となって押し寄せてくる。


「卵……まさか、まさかこいつは!」


 ……その可能性にミイナが思い至った時、甲高い音と共に卵に亀裂が入った。そしてその内側からは、凄まじく濃密な妖気が勢い良く噴き出し始める。


「そう、お主は見るのだ。このわらわの……【竜種】としての真の姿をな」


 卵に新たな亀裂が増えるたびに、溢れ出す妖気の圧が増していく。その量はすでに、先程までの竜姫が放っていたそれをもはるかに上回る程になっていた。



 たとえ、滅び去るのが定めだとしても……紅の竜姫はただ黙ってその時を待つつもりは無かった。

 記憶を失ってはいても、彼女は自分がどのような存在か、またどのような存在であるべきかを理解していたのだ。


 ――――己の最期は、己自身で決める。滅びの運命が変えられないというなら、せめて華々しく散ろうではないか。


 だから、彼女は決めた。残りわずかな命を引き延ばすのではなく、心のままに振る舞う為に使おうと。

 最強の敵手と全力で戦い……そして勝者として生の終わりを迎えようと。


「……誇るがいい。お主はわらわが生涯において……まさしく最強の敵手あいてであったぞ!」


 鋭い破裂音が鳴り響き、次の刹那にはそれを飲み込む程の轟音が大気を震わせた。そして――――



 ミイナの顔前には、吹き荒れる妖気の嵐をまとった巨大なる魔獣が……その恐るべき姿をあらわにしていたのだった――――!!

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