第93話 ドラゴン、池袋に現る!

【前回までのあらすじ】


 灯夜の制止を振り切り、池袋上空で再び激突する紅の竜姫と不知火ミイナ。黒い炎をまとったミイナの猛攻と自身の消耗によって、流石の竜姫も苦戦を強いられていた。

 【アライメント・シフト】によって負の感情を暴走させ、池袋の街への被害にも構わず暴走するミイナを前に……紅の竜姫はついにその真の姿を開放する決意をする。


 天を焦がす爆炎の中、深紅の卵へと変化した竜姫。驚くミイナの前でその殻には幾条もの亀裂が走り、恐るべき魔獣がその巨体を現すのだった――――!!



◇◇◇



 ――――ドラゴン。その名を聞いただけで、多くの人々はそれがどういった存在であるかを頭に思い浮かべることができるだろう。


 全身を鱗に覆われ、背に一対の翼を持つ巨大なトカゲ……あるいは長大な蛇。巨体でありながら空を自在に飛び回り、口から吐き出す火炎は一軍をまるごと焼き払ったという。


 ……そのような生き物が存在した、という確たる証拠が無いのは今では周知の事実である。にもかかわらず、その伝承は世界各地で創世記の昔より語り継がれてきたのだ。


 現代においては物語やゲーム等の創作によってその認知度はさらに深まり……老若男女国籍人種を問わず、この怪物の名を知らない者はほぼ皆無と言ってよいだろう。


 それはまさに、伝説の怪物。あらゆる魔物の頂点に立つ化け物の中の化け物。今、不知火ミイナの目の前に居るのは……そういった途方もない存在であった。


「これが、本当の姿ってわけか。思った以上に……化け物じみていやがる!」


 およそ常人とは異なる人生を送ってきたミイナでも、竜がいかなる怪物であるかは聞き知っている。実際この目で見たその姿も、彼女の想像からさほど外れた物ではない。

 しかし、それが現実に自分の前に在るという衝撃……自らの五感で味わう存在の重さばかりは、まったく未知のものと言わざるを得ないのだ。


 まず、大きい。今現在確認されているいかなる陸上生物よりも、この生き物は巨大だった。頭だけでも軽乗用車程のサイズがあり、尾の先まで入れた全長は優に二十メートルを超えている。


 厳つい頭部はトカゲとワニの中間を思わせる形状をしており、上顎と下顎の間には鋭い牙がずらりと並んでいる。さらに後頭部からは二本の角が生え、その外観の異様さを際立たせていた。

 長く伸びた首に連なる胴体は太くたくましく、煌めく深紅の鱗の下のぶ厚い筋肉の存在を強調するようだ。巨体を支える強靭な手足の先に備えられた大振りな鉤爪は、一振りで大型の肉食獣もバラバラに引き裂くことができるだろう。


 ただそれだけでも充分異様、かつ恐ろしい怪物なのは間違いない。しかし、この怪物が古代に生息していた恐竜たちと一線を一線をかくすのは……それが一対の翼を持ち、肉食恐竜を思わせる巨体を空中に浮かべているという事。


 背中から生えた翼はコウモリのそれに似ているがはるかに大きく、巨体の怪物を飛翔させるのに相応しい剛性をも有しているかのように見える。

 しかし少しでも物理学を学んだ者ならば、それでも飛翔は難しい事に気付くはずだ。あのサイズと重量の物体を飛ばすには、翼面積が全く足りていないのだ。


 仮に翼面積を増やしたとしても、今度は羽ばたくための筋肉が余計に必要となり、それは当然体重の増加へと跳ね返る――――結局、ある程度の重量を超えた生物にとって、自力で飛行するのは不可能なのである。


 だが、この怪物は平然と飛んでいる。その身に秘めた妖力によって、自らに働く物理の法則をねじ曲げているのだ。

 そう……それは我々が知るこの世の生物の常識を無視した、文字通りあやかしの力。この怪物が紛れもなく、妖に属する存在であるという証。


 伝説の魔物……ドラゴン。恐らくは人類が知りうる最古の妖であり、そして――――最強の妖。


「いや……化け物どころか、こいつはもう怪獣じゃないか! あたしは、こんなヤツを相手にしていたっていうのか――――」


「そう、これこそがわらわの真の姿……【竜種】としてのあるべき姿よ。さあ、おそれるがいい! 己が矮小わいしょうな人の身であることを、くやみながら死んでゆけ!!」 


 深紅の巨竜が、大きくえた。爆音のように響き渡るそれは、聞いた者の心臓を鷲掴みにするような……魂の底から恐怖を呼び起こすような咆哮ほうこう

 無人と化した眼下の街にこれを聞いている者が居たならば、身がすくんで動けなくなる程の恐れにさいなまれたことだろう。


「あの馬鹿みたいな妖気のでかさもこれで納得だ……本体そのものが、ここまで大きければな!」


 怒りと憎しみに支配されているはずのミイナの心にさえ、ノイズのような恐怖が走り抜けていく。

 ――――ある宗教には、かつて神々との争いにおいて悪魔の王が巨大な竜に化身して戦ったという逸話いつわが残されている。その光景を目の当たりにした時の恐れが……人の遺伝子には刻み込まれているのだろうか?


「できればじっくり遊んでやりたいが、そこまでのいとまもないのでな。お主の望み通り……」


 大気を震わせるような独特な声色でそこまで喋ると……巨竜は、唐突にミイナの前から消えた。


「なにい!?」


 ミイナがよそ見をしていた訳では当然ない。むしろ、彼女は巨竜の一挙手一投足を一瞬でも見逃すまいと神経を尖らせていたというのに。


「全力で、殺してやろう」


 その声が鼓膜こまくに届くのと、背後に凄まじい妖気を感じたのは同時だった。咄嗟にガードを上げたミイナの全身を、まるで丸太で殴られたような衝撃が襲う。

 ――――後ろからではない、それは真横からの一撃!


「!!」


 吹き飛ばされながらも、ミイナは視界の端を流れる紅い反射光を捉えていた。


「尻尾……かっ!」


 巨竜の体長の大部分を占める、長大な尾。それが彼女を打ち付けたのだ!


「だが、反応できない程ではない!」


 炎の羽衣をひるがえし、ミイナは瞬時に巨竜へと向き直る。彼女とて歴戦の勇士、自分より巨大な敵と戦った経験も少なくない。

 それこそ戦車や戦闘機のような最新兵器を相手に、彼女は戦場を生き抜いてきたのだから。  


「……それは、頼もしいな」


 ミイナが向き直った……そう思った次の瞬間には、その身体はまた別の方向へと弾き飛ばされていた。今度はその攻撃の手を見る事もかなわない。

 態勢を立て直す暇もなく、二度、三度と見えない強撃が彼女を空中でもてあそぶ。


「くっ、馬鹿な……あれだけの巨体が、目にも止まらぬだと――――!」

 

 防戦一方のミイナ。いかに妖力が増そうと、それを発揮する間を与えなければいい……彼女はそう考えていた。体が大きくなれば、当然死角も多くなる。となれば、むしろ小回りの利くこちらに分があるはずだろうと。


 しかし、全身を駆け巡る激痛はその認識が誤りであったことを冷酷に告げていた。巨大な竜の姿となった竜姫の動きは、鈍くなるどころか更に速さを増している。

 そのあまりにも大きな妖力の気配を頼りに、かろうじて攻撃の方向は特定できるものの……超高速の一撃離脱にはカウンターを合わせるのも困難だ。


「ちっ、見た目は当てにならないという事か。それならそれで……り様はある!」


 両目を閉じ、ミイナは全神経を妖力の動きに集中させる。巨竜の力はいまだ未知数。スピードに特化した今の攻撃はギリギリ防御できる範囲内だが、それも更なる威力を持つ一撃への布石でしかないのだろう。

 だが、恐るべき巨竜の力の中でも……彼女の予想の内に収まるであろう部分がひとつだけあった。


 それは……防御力。巨竜の全身を覆う紅い鱗は、紅の竜姫が人の姿で用いていた攻防一体の鱗と同じ強度であるはず。

 ミイナはその鱗を、【アライメント・シフト】前の状態ですでに砕いているのだ。


「――――当てれば通る、ということだろう!」


 眼前に飛び込んでくる巨大な気配に……ミイナはかっ、と目を見開いた。そして振り下ろされる鉤爪を紙一重のところでかわす。


ふところに入ってしまえば!」


 狙いは、巨竜の長い首。どんな生き物であろうと、首は急所であるはず……的が大きくなれば、くべき弱点も大きくなる。

 ミイナは手刀を固め、そこに強烈な抜き手を放った。黒き炎をまとった手刀の威力は、鋼鉄をもバターのごとく切り裂く程。


 ――――激しい衝撃、そして鱗の鳴るじゃらりという反響音。しかし、ミイナの手に望んでいた手応えは……肉を引き裂く生暖かい感触は伝わって来なかった。


「甘く見られたものよのう。よもや鱗一枚砕くのと……竜の身体に傷を刻む事を、同じと思うておったか!」


 手刀は、まさにその鱗によって阻まれていたのだ。巨竜を包む鱗は、互いに重なり合って衝撃を逃がす構造となっていた……一枚でも強固なそれが、複雑に重なり強度を増す。そして分散された衝撃は、その下にあるぶ厚い筋肉によって吸収される。


 巨竜の強靭さは、鱗の硬さとイコールではない。巨竜の一部であるからこそ、鱗は真の強度を発揮できるのだ。


「な、なにい――――!?」


 一瞬の空隙が、ミイナには致命的だった。真下からの強烈な一撃が、彼女を天高く打ち上げていたのだ。その凄まじい衝撃は先程までの比ではなく、ミイナをして意識を保つのがやっとである。


「名残惜しいが、何事にも終わりは来るもの……わらわの最大の火をもって、此度こたびうたげに幕を下ろすとしようか!」


 巨竜が、くわっとそのあぎとを開いた。そして、周囲の空気が喉に……更にその奥の巨大な肺へと吸い込まれていく。それが意味することは――――ひとつ。



 竜が、竜たる所以ゆえんである……恐るべき息吹ブレスを放つ為に他ならなかった――――!!

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