第94話 終わりの刹那に

【前回までのあらすじ】


 灯夜の制止を振り切り、池袋上空で再び激突する紅の竜姫と不知火ミイナ。【アライメント・シフト】によって負の感情を暴走させたミイナの猛攻に対する為、紅の竜姫はついにその真の姿を開放した。


 巨大な竜へと変化した竜姫はミイナの力すらも圧倒する。長い戦いに終焉を告げるべく、その顎を大きく開く巨竜。

 今まさに、必殺の火焔が放たれようとしていた――――!!



◇◇◇



 よくよく考えれば不思議な話である。口から火を吐く怪物の伝承はそれこそ枚挙にいとまないというのに、我々が知りうる限りそのような生物の存在は二十一世紀の現在、一例たりとも確認されていない。


 竜が炎を吐くというのも、おそらくは蛇の口から覗く素早い舌の出し入れからの連想なのだろう。口から火を放つ生き物がいるとしても、それは種も仕掛けもある大道芸人くらいのものだ。

 少なくとも、人の世の常識としてはそういう事になっている。


 まっとうな生物では、決して成し得ぬ行為。それこそが、この世の者ならぬ【あやかし】が刻んだ存在の証明であることを……どれだけの者が知っているのだろうか?


 紅の竜姫の正体たる巨竜も、また強烈な火炎を吐き出す妖の力を有している。竜という超常的かつ暴力的な存在は、その恐ろしい姿に加え火炎の吐息ブレスという武器を持つ事によって真に完成すると言っても過言ではない。


 ――――これが、終わりか。


 己の肺へ轟々と吸い込まれる空気と、極限までに収束していく妖力を感じ……彼女は、その時・・・の訪れを悟っていた。


 自らの居た世界の記憶は失っていても、竜姫は自分の能力に関しては正確に把握している。

 そう、彼女の敵である不知火ミイナが全霊力を防御に回したとしても……竜姫が放つ炎の吐息を防ぎきるのは不可能。哀れな術者は紅蓮の炎の中で力尽き、灰も残さず燃え尽きるであろう。


 ――――わらわとここまで渡り合う敵手あいて。死なせるには惜しいが、これも【竜種】に挑んだ者の宿命さだめよ。それに……


 それに、燃え尽きるのは竜姫もまた同じ。この非情なる物質世界において『巨大な竜が炎を吐く』という妄想じみた幻想を実現するには、今の彼女が有するほぼ全ての霊力を引き換えにする必要がある。

 それはすなわち、彼女自身の命を燃やし尽くすことに他ならない。


 そう知りつつも、炎の吐息を使わずに勝つという選択肢は竜姫には無かった。この世界に残された最後の【竜種】として、彼女はその力とおそれを再び示さなければならない。

 【竜種】が存在した証を、いま一度人間たちの歴史に刻み込む……それを成し遂げることは、定められた滅びの運命に対する彼女のささやかな抵抗でもあるのだ。


 ――――どうせすぐに後を追うのだ。続きはあの世で、というのも悪くないかも知れぬな。


 そこまで考えて、竜姫は自分が思った以上に“死”を恐れていない事に心の中で苦笑した。彼女には同胞も、帰るべき故郷もない。失うのは結局のところ……自らの命ひとつでしかないのだ。


 その命ですら、今となってはむなしく思えてくる。この世界で過ごした一日にも満たない時間、そこで見聞きした様々な物事に……味わった喜びと悲しみ。

 全てが水面に浮かぶ泡のように、弾けて消えるはかない夢ではなかったのか?


 ――――一時の夢、か。だが、良い夢であった。そして……


 脳裏に広がる、銀色の髪を持つ少女のはにかんだ微笑み。まだ出会ったばかりだというのに、竜姫の心に強烈な印象を焼き付けたあの美しい乙女。


 ――――トウヤは、あのお人好しは……わらわが消えたと知ればどう思うだろうか。まさか、泣いたりはせぬだろうな?


 月代灯夜。この美しい少年との出逢いこそが、竜姫にとって最も夢まぼろしに近い出来事であった。

 ……ちなみに彼が少年である事を彼女はまだ知らないのだが、それはこの際大した問題ではない。


 ――――また、悲しい顔をさせてしまうのだろう。涙を流して貰えるのは冥利みょうりに尽きるが、流す方はそうではあるまいに。


 見ず知らずの竜姫を何の疑いもなく受け入れ、その正体を知った後もなお手を差し伸べてきた彼女。

 あの笑顔を、二度と見る事ができない……竜姫にとっては、それだけが心残りであった。


 ――――所詮、わらわとあ奴では住んでおる世界が違うのだ。共に居たいなどと言うのは過ぎた望み……いや、もはや世迷言よまいごとに過ぎぬ。


 破滅の吐息を吐き出す寸前になって、彼女は大きくまばたきをした。見えた気がしたのだ。虹色に光るはねを揺らして宙を舞う、妖精のごとく美しい銀髪の少女の幻が……


『…………!!』


 幻では、無かった。


 開かれた巨竜のあぎと、今にも火炎が放たれようとするその鼻先に……それは居た。中世の王族の衣装を模した、華美なれど清涼感漂うコスチューム。まとっているのは、衣装に劣らず華やかで愛くるしい乙女。


 しかしその瞳にきらめく決意の炎は、たおやかな外見に似合わぬ確たるものだ。


『トウヤ……か!』


 夢でも、幻でもない。竜姫の前に両手を広げて立ち塞がっていたのは、紛れもなく月代灯夜本人であった――――!



◇◇◇



 ……不知火ミイナは、半ば死を覚悟していた。


 彼女を弾き飛ばした巨竜の一撃。それ自体のダメージも決して小さくはないが、身体の制御を失う程の衝撃が更に厄介である。

 きりもみ状態から抜け出し態勢を立て直すまでの数秒間……その空隙くうげきを、あの難敵が見逃してくれるとは思えなかった。


 巨竜と化した竜姫の攻撃は、その全てが一撃必殺に近い。無防備に喰らえばいかにミイナとて致命傷は免れないだろう。


 しかし、彼女の予想に反し追撃は訪れなかった。空中で防御の姿勢を整えたミイナが見たのは……大きく顎を広げたまま動きを止めた巨竜の姿。


「何故、仕掛けてこない……?」


 その理由はすぐに分かった。巨竜の前で通せんぼをするように、小さな背中が立ち塞がっていたのだ。


「あいつは……!」


 その背中に、ミイナは見覚えがあった。先程竜姫との戦いに割り込んで来た、天海神楽学園の霊装術者……たしか名前を灯夜とか言っただろうか?


「くそッ、余計なマネをッ!」


 絶体絶命の窮地を救われながらもミイナは……助かった、運が良かったなどとは考えなかった。むしろ、真剣勝負に水を差された事への怒りが彼女の思考を煮えたぎらせる。


 ……彼女は元より他人の手を借りたり、助けられたりするのを嫌う傾向があった。助けが必要と思われる事はすなわち、自分が弱く見られている証拠だと考えていたのだ。


 その傾向は怒りと憎しみを増幅させる【アライメント・シフト】の影響下において、更に強まっていた。今のミイナにとって、差し伸べられた救いの手はもはや侮辱以外の何物でもなかったのである。


 だが、激昂げきこうをあらわに駆け出そうとした彼女の行く手を阻むように、一つの影がひらりと躍り出た。


「おっと、トーヤの所には行かせねーぜ!」


 とんがり帽子に短いマントを羽織り、ほうきにまたがった赤毛の少女……それは愛音・F・グリムウェルであった。


「何者だ、お前……まさか、あたしの邪魔をするとでも言うつもりか?」


 ミイナは彼女と面識は無かったが、魔女のテンプレートをなぞったかのような風体から術者のたぐいであることは容易に読み取れる。


「残念ながらそのつもりだぜ……はぁ。あんたがヤバイくらい強いって事も、手がつけられねーくらいトチ狂っていやがるのも分かっちゃあーいるんだけどよぉ~」


 灯夜が竜姫を説得する間、ミイナの足止めをする――――その危険な役目を、愛音は自ら買って出たのだ。


「だけど……オレはあいつに賭けたんだ。あいつの気合いと根性、正義を愛する魔法少女魂になぁ!」


 愛音自身、灯夜が無茶をやろうとしているのは分かっていた。だが同時に、その無茶こそが灯夜にしかできない戦い方だとも思っている。


 ――――なら、手助けしてやるのが友達ダチの……魔法少女仲間ってヤツの役目だろうよっ!



 天空に張り詰める一触即発の空気。今ここに、魔法少女たちの決死の戦いが始まろうとしていた――――!

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