第35話 起動する災厄

【前回までのあらすじ】


 妖大将に反旗を翻し、深夜の渋谷で大規模な召喚術を行った富向入道と栲猪。彼らが呼び出したのは、強大な力を秘めた――――異界の妖。

 少女の姿に化身したその妖と共に、池袋の高層ビルに潜伏する彼ら。しかし妖大将の追手はすぐ近くに迫っていた。


 最終目的の完遂まで時間を稼ぐ為、栲猪は自ら囮として打って出る。その手に握られていたのは、妖を呼ぶ【門】を開く呪具、召門石だった……。



◇◇◇



 ――――いつからだろうか? 土蜘蛛と呼ばれた彼ら一族が……陽の光を避け、地下に隠れ棲むようになったのは。


「再びあの太陽の下へ戻ると誓いながら、一方で地の底の暗闇に安らぎを感じてもいる。今となっては、どちらを故郷と呼ぶべきなのか……」


 東池袋駅よりほど近い、とある高層マンション。その下には住人の為に設けられた地下駐車場があった。


 人気のないそこの一角……弱々しい照明が生み出す薄暗い影の中で独りつぶやいたのは、灰色のマントに身を包んだ壮年の男。

 深いしわが刻まれたいかつい表情かおは、遠く過ぎ去った過去を懐かしむようにも……またいたんでいるかのようにも見える。


「ただ我武者羅がむしゃらに生き延びてきた末路がこれとは、皮肉なものだ。しかし……」


 言いかけて、不意に口をつぐむ男。駐車場の周囲に張り巡らせた彼の“糸”……それが伝えるわずかな振動が、侵入者の存在を捉えたのだ。


ようやく来たか、我が同胞はらからよ」


 コンクリートの床を叩く靴音が、空虚な地下空間に反響する。男は――――かつて土蜘蛛一族の重鎮じゅうちんと呼ばれたあやかしはゆっくりと顔を上げ、その音の主に向き直る。


「――――どういう事だ、栲猪タクシシ


 駐車場の隅に設けられた車両用のスロープ。その上から姿を見せたのは、黒いセーラー服を着た一人の女だ。白く美しい顔を苦悩に歪ませ、彼女は暗がりにたたずむ男へと真っ直ぐに歩み寄る。


「何故だ……何故、裏切った!」


 旧知の仲である女の、慟哭のような問い掛けを浴びた男は……小さく溜息をつくと、その刃のような視線を正面から見つめ返した。


黒鷲クロワシ神石萱カムイシカヤ辺りが来ると踏んでいたが、まさかお前とはな……阿邪尓那媛アザニナヒメ


「若輩者では不服だとでも言いたいのか。私とて土蜘蛛八将の一角。裏切り者に遅れを取るつもりなど毛頭無い!」


 栲猪の手前、約五メートル弱の距離を残してセーラー服の女――――阿邪尓那媛は立ち止まる。これ以上進めば、互いに攻撃が可能な間合い……すなわち、同族同士の殺し合いが幕を開けることになる。

 だが、その前に……彼女にはどうしても聞かねばならない事があった。


「今一度問う。栲猪よ、何故私達を裏切った? 貴様ほどの漢が、あの富向フウコウ如き小者にたぶらかされたとは到底思えぬ。一体、何があったというのだ!?」


 阿邪尓那媛が知る限り、栲猪は裏切りなどという卑劣な行為から最も遠い人物。高潔なる武人として、今なお多くの妖の間で讃えられる彼……それが何故今になってこのような愚行に走ったのか。

 その理由を、彼女はどうしても知りたかったのだ。


「答えろ! 如何なる道理が貴様を動かした? 一族に、妖大将に背いてまで……貴様は一体、何を成そうと言うのだッ!」


 食い掛らんばかりの勢いでまくし立てる阿邪尓那媛。その様を間近に見て、栲猪は思わず苦笑した。


「……な、何が可笑しい!」


「フ……若いな、お前は。今の我には、そのはげしさがまぶしくてたまらん」


 ――――馬鹿にしているのか! 彼女はまるで臓腑ぞうふが煮えたぎるような屈辱を感じていた。今や栲猪は一族の裏切り者、妖大将の敵である。問答無用で討たれても文句は言えない立場だというのに。


 ……かつて、阿邪尓那媛は栲猪に教えを乞うた身であった。幼い日の彼女に土蜘蛛の技と誇りを叩き込んだ、言わば恩師である栲猪。

 その背中をずっと追い続けてきた彼女には、自分こそが彼を最も理解しているという自負があった。


 古参の将たる彼がこのような行動に出たのには、何かむにまれぬ事情があったに違いない。もしくだんの富向とやらに弱みでも握られているのだとしたら、彼の名誉を回復する為に尽力もしよう。

 ……たとえ、そのせいで一族における彼女の立場が危うくなるとしても。


 そう。阿邪尓那媛が自ら刺客を買って出たのは、ひとえに彼を救う為に他ならない。他の者の手に掛かる前にいち早く接触し、一族や妖大将との間を取り持つことが出来ればと考えていたのである。


 しかし……実際に再会した栲猪は自らの罪を悔いるどころか、彼女の必死さを逆にわらったのだ。


「まさか……本当に裏切ったなどとは言うまいな!? 答えろ! 何か言え…………栲猪ィ!」


 彼女の悲痛な叫びはよどんだ地下の空気を震わせ、固いコンクリートの壁面に何度も反響する。

 そして、その響きが治まった時……栲猪の顔にはもう、笑みは無かった。


「悪いが、今は答えられぬ。長々と自分語りをするいとますでに無いからな――――」


 栲猪はそう言いながら、右手で虚空を引っ張るような仕草を取る。すると阿邪尓那媛の背後……停められていた高級車の影で短い悲鳴が上がった。


「……っ!?」


 驚き振り向いた彼女が見たのは、糸に絡めとられ身動きできなくなった小柄な少女の姿。


「この様な場所に、只の小娘が独りでやって来る事は無い。人払いの結界の中ともなれば尚更だ……阿邪尓那よ、熱くなると周りが見えなくなる所は変わっておらぬな」


「な、何だと……」


「お前は尾けられていたのだ。この幼き術者にな」


 糸でぐるぐる巻きにされ、床に転がされた少女……それは樹希と別れ、ひとり阿邪尓那媛を追跡していた呑香由衣どんこゆいであった。


「くっ、確かに追ってくる気配はあったが、あの駅の人混みでいたものとばかり……」


 歯嚙みする女を尻目に、栲猪は懐から乳白色に光る石を取り出すと、それを自らの頭上へと掲げる。


「お前たちのみならず、人間共にまで嗅ぎ付けられたとあっては……こちらも切り札を切らねばならぬ」


 彼がそう言うや否や、石の放つ輝きが一際強まった。光は駐車場一杯に広がり、その隅々までを眩しく照らし出す。


「貴様、何を!」


「街の要所要所に仕込んだ召門石、計六個を一斉に起動させた。間もなく【門】が開き、この地には無数の妖が迷い出る事になろう」


 それこそが栲猪の秘策。六ヶ所の【門】から同時に現れる妖によって、池袋の街を混乱の坩堝るつぼへと突き落とす――――そうなれば、追手は最早彼等を追うどころではない。


「フフ……人間共は思い知るであろうな。自分達が胡坐あぐらをかいてきた平和が如何に脆く、はかない物であるかを……!」


 見る間に増していく光。白く染まりゆく世界の中で、遠く響き渡る栲猪の哄笑こうしょう



 それは、新たなる災厄の始まりであった――――。

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