第33話 我捨、その狂気

 ばしゃあ、と真っ黒な液体がコンクリートの床に降り注ぐ。


「ギ……貴様、何故――――」


「何故だって? 分かんねーかな、センパイさんよォ?」


 痩身の男の胸から伸びているのは、骨白色の槍。それが貫いているのは……土蜘蛛の腹だ。


「テメエは旦那の命令に逆らっただろ? へへ、嬉しいぜ。気に食わねー奴を始末するのに、ちゃんと理由があるってェーのはよォ!」


 男がぐいと胸をそらすと、その先にある土蜘蛛の巨体が浮き上がった。致命傷を負ったその腹部からは、今も大量の体液が溢れ出している。


「や、やめろ我捨がしゃ! 分かった、もう金輪際貴様にもみずち殿にも逆らわぬ! わ、我が名において誓ってもよい!」


 八本の脚をばたつかせ、必死に命乞いをする土蜘蛛。だが、その様を見つめる男の目は……限りなく冷ややかなものだった。


「知ってるぜ……テメエ等古株のあやかしは、歳を取り過ぎてモノの考え方を変えられねェんだろ。だから古くからのシキタリに執着し、新しいモノを受け入れねェ」


 男の胸から、さらに数本の鋭い穂先が生える。それを捉えた蜘蛛の複眼が恐怖にざわついた。


「つまり、何が言いてェのかってゆうとよォ…………テメエ、反省なんかしてねーだろ?」


 どすっ。更に数本の槍が土蜘蛛の体を貫いた。人の声帯からは発しようの無い絶叫が工場内に木霊こだまする。


「テメエの様な老いぼれは自分の考え方を変えたりしねェ……それが一番正しいって信じてるからなァ。だから、同じ状況になれば同じ事を必ずヤルんだ。そんな奴に次の機会なんて与えちゃあーいけねェ」


「ガボッ、何故だ……何故殺す! 我等は同志、同じ妖ではないかァ!」


 次の瞬間、土蜘蛛の身体は爆ぜるように四散した。ばらばらになった脚と肉片が辺り一面に降り注ぐ。


「……テメエの同志になんざ、一秒だってなった覚えはねェーよ」


 胸から伸びた槍は生じた時と同じく、音もなく戻っていく。わたしの目の前で事もなく同胞を手に掛けた――――この男。


「妖が妖を……いったい、何がどうなってるというの!?」




 時は、数分前にさかのぼる。


 霊装したわたしと雷華は、自らを将と名乗る巨大な土蜘蛛と死闘を演じていた。奴の攻撃をはね除け、必殺の一撃を放つわたし。

 しかしそれを阻んだのは、突如として現れた一人の男だった。


「誰! わたしの邪魔をするからには、覚悟は出来ているんでしょうね?」


 敵の増援、それもただ者では無い。男が発するのは、骸骨じみた容姿とは不似合いな程の大きな霊力。

 雷華の見立てでは、こいつは【憑依】……人間に憑りついてその肉体と霊力を我が物とした妖だという。それが本当なら、理論上はわたしの様な霊装術者と互角の力を持っている事になる。


「まあ待てよ。俺はまずこっちに話があるんだ……なァ、蜘蛛のセンパイよォ~」


 未だ戦闘態勢のわたしを尻目に、男は土蜘蛛に向き直った。


「ど、どうした我捨よ! 貴様の役目は四方院の相手であろうが。は、早く掛からぬか!」


「……その“役目”の事なんだけどよォー」


 ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、土蜘蛛の眼前に歩み寄る。その動作は無作法ながら一切の隙がない。


「そもそもあんた等蜘蛛は、網を張りながら動いて術者共をおびき出す手筈じゃーなかったのかよ? それが何でテメエだけこんな離れに陣取って妖気をバラ撒いてんだァ?」


 術者を……おびき出す!? 今夜の事件はすべてその為だったというのか……そう考えると、納得できる点がいくつもある。

 被害の拡散する異常な速さと、その規模に見合わぬ被害者の少なさ。成程、網が人を捕らえるのを待つ事なく移動していたのは、その必要が無かったから。とにかく早く、多くの場所で事件を起こし、より多くの術者を対応に駆り出すのが……妖達の目的だったのだ。


「ググ……術者をおびき寄せるならば、何もこそこそ逃げ回る必要はあるまいが。そもそもあの蛟、こんな手ぬるい策を我等に押し付けおって……御大将の夜行を預かる身として、恥ずかしいとは思わんのか!」


 半ば逆ギレのような蜘蛛の弁明を聞いた男の頬が……ぴくり、と震える。同時に、その身体から漏れ出す妖気の質が変わった。

 天井より離れたここでも感じる程の、背筋が凍るような寒気。それを間近で浴びた土蜘蛛は全身をがくがくと震わせながら後ずさる。


「……旦那の、所為だってのかい? テメエはただ集まった術者共を喰らって、腹の足しにしたかっただけじゃーねェか!」


 男の怒気に押され、巨体をすくませる土蜘蛛。


「手筈通りに動かねェ奴が居るってんで見に来たら、まさかテメエより上手の術者に狩られかかってるたァな。自業自得もいいトコだぜ」


「が、我捨よ! 今はそんな事より……あの四方院をどうにかするのが先決であろう! 我等が二人掛かりで挑めば、さしもの妖遣いといえども――――」


 その瞬間、男から溢れていた冷気が止まった。それだけではない。男の放っていたまがまがしい妖気そのものが、唐突に掻き消えていた。


「……あ? テメー今なんつった? オイ」


「い、今は四方院を先に……」


「その後だよ、オイ! テメー、俺一人じゃあのガキに勝てねェとでも言いてェのか!?」


 怒りもあらわに、土蜘蛛へと詰め寄る男。


「そうは言っておらぬ! ただ、ここは同じ主の下に集いし妖同士、力を合わせ……ごぼっ!」


 突然、こみ上げた血塊に言を妨げられる土蜘蛛。その視線が……自らの腹から生えた白い槍、次いでその出処である男の胸へと移る。


「力を合わせろだァ? 冗談じゃねーぜ。この我捨はな、人も妖も数え切れないほど殺しちゃーいるが……そん時、一度だって誰かの手を借りた事はねえ」


 槍の穂先が蜘蛛の背を抜けた。つんざくような悲鳴と共に、噴き出した体液が床へとまき散らされる。


「だからな……要らねェんだよ、テメエは」




 ――――そして今。この廃工場内で命ある者は、わたしとこの男だけになっていた。


「……何だよ。妖が妖を殺すのがそんなに珍しいかァ? お前等人間だって、毎日飽きもせず同族を殺し続けてるじゃねーか」


 わたしを見下ろすのは、狂気を宿し暗く燃える双眸そうぼう。薄ら笑いを浮かべたその口元からは、不自然にギザギザと尖った白い歯が覗いている。


「理解できないわね。あの蜘蛛の言う通り、二人掛かりなら勝ち目もあったかもしれないのに」


「へへ、チビのくせに態度はでけェな。言っとくが、あんなクソ蜘蛛が何かの足しになるとか本気で思っちゃーいねェよな?」


 確かに、さっきの土蜘蛛ではあの男に加勢するどころか、逆に足手まといになっていただろう。

 だが……いくら戦力にならないからといって、こうもあっさりと仲間を殺せるものなのか? それも共通の敵であるわたしの目の前で。

 内輪揉めの結果とはいえ、冷酷に過ぎる。


「そんな事よりよォー、四方院って言ったかオマエ? さっさと始めようぜ。俺ァ旦那から直々にオマエの相手を任されてんだ。まあ、ガキの相手ってのは少々気に食わねェが……」


 男が羽織っていた上着を投げ捨てると、腹にさらしを巻いただけの裸の上半身が露わになる。贅肉の一切無い、骨と筋肉が皮を纏ったような身体。それは厳しい減量に耐えたプロボクサーのごとく、鬼気迫る戦意をみなぎらせていた。 


「遊んでやんよ……お嬢ちゃん!」


 天井の梁から、男がふわりと身を投げる。それと同時に、裸の胸板から生えた何本もの鋭い槍が、その落下速度よりも速くわたしの頭上に降り注いだ。


『速い!』


「くっ!」


 どかどかと床を穿うがつ槍の雨を搔き分けて、わたしは男との距離を取る。見たところ、奴は近~中距離を得意とする物理攻撃型。しかも伸縮自在の槍を用いたトリッキーな戦術を使う強敵だ。

 ならば接近戦で応じるのは不利。このまま距離を開け、雷術で倒すのが最善だろう。


 だが、それを黙って許すような相手ではない。着地と同時に床を蹴り、瞬時にわたしとの間合いを詰める。


「どーした! 四方院ってのはこんなモンかァー?」


 その胸から打ち出される白く鋭い槍は、雑なようで正確にわたしを狙ってくる。両手をズボンのポケットに入れたままの姿は余裕の現れか、それともそういう戦闘スタイルなのか。


「調子に……乗るなっ!」


 わたしは壁に向かって跳んだ。そして三角飛びの要領で天井近くまで駆け上がる。そして……


「四方院の名にいて! 降臨くだれ――――」


 しかし、振り向き様に指さしたそこに……奴は居ない。ただ木材が散乱するコンクリートの床があるだけだ。


「遅せェ!」


 次の瞬間、激しい衝撃がわたしを襲った。咄嗟に防御の姿勢を取ったものの、無様に背中から落下するのは避けられない。


「ぐっ! 馬鹿な……」


 激痛に耐えながら跳ね起きたわたしが見たのは、胸から生えた槍で天井にぶら下がった男の姿だった。


「これで終わりって事ァねーよな……あァ? 四方院の嬢ちゃんよォー!?」


 ――――強い。今まで相手にしてきた妖の中でも群を抜く、飛び抜けた強者。久方ぶりに味わう戦慄にわたしは焦燥し、同時に激しい怒りを覚えていた。


「――――いいわ。貴方に教えてあげる。四方院の巫女の……本当の恐ろしさを!」

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