第16話 偽りの忠義

 エレベーターの扉が開くと、そこに広がっていたのは一面が冷たい青色に染められたフロアだった。

 照明は無く、窓から差し込む陽光も広大なこの階全てに行き渡る程ではない。


「ふん、何とも殺風景な所よな。荷物がある分、先程の物置小屋のほうがましであったわ」


 言いながら早足で歩み出たのは、きらびやかな金髪をなびかせた深紅のドレスの少女だ。一目でこのフロアが空だと分かった後も、それでも何か面白い物がないかと首を巡らせている。


「このビルディング……中世欧州ヨーロッパ流に言えば“塔”か。六十も階層があれば、中にはこうして人の立ち入らぬ階もある。此処ここならば、先程の様にうっかり迷い込む者も居らぬだろう」


 続いて、灰色のマントをまとった男がエレベーターを降りる。急ぐでもなく慎重過ぎもしない足取りには、見知らぬ場所への躊躇ちゅうちょや迷いは一切ない。

 並び立つ何本もの太い柱によって生じたフロアの中心部の暗闇さえ、その鋭い眼光は見通しているかのようだ。


「し、しかし良いのか? 儂等あやかしがこの……何とかという動く箱を使つこうても。貴公の話では、中に遠見の機械等も仕掛けられておるのであろう?」


 最後に、袈裟けさを着た僧侶姿の男が恐る恐るフロアへと踏み出す。マントの男とはまるで正反対に、脂ぎったその顔には不安の色が濃い。


 本来なら、妖はカメラ等の機械の眼には写らない。例え妖が視える者でも、その姿を機械を通して記録する事はできないのだ。

 理由は諸説あるが、妖は霊感のある者にしか視えない以上、機械的なシステム頼りの観測は不可能だというのが定説となっている。


 だが、人間などに化けている妖はその限りではない。人の姿に化身した時点で、この世界においてそれは妖とはみなされない存在となる。

 霊的素養の無い普通の人間にも視認されてしまうし、撮られた映像も記録に残る。ありのままの姿でいるより大幅に霊力の消費を抑えられる反面、その行動は“人並みに”制限されてしまうのが難点なのだ。


「その心配は無い。子蜘蛛こぐも達に細工をさせたのでな……少なくともしばらくの間、機械の眼が我等を写す事はあるまい」


 だが、それもマントの男……土蜘蛛一族の栲猪タクシシにとっては想定内だ。彼には自らの眷属けんぞくである蜘蛛を使役しえきする妖力がある。

 およそ地上において、蜘蛛が生息していない地域はまれ。それが都会の真ん中であっても、栲猪はそこにむ蜘蛛を手足の如く従わせる事が出来るのだ。



 背後でがこん、と扉が閉まり、エレベーターからの明かりが失せると……薄暗いフロアはその空虚な色を一層強めた。オフィスを置くのが前提の空間ではあるが、机や椅子はおろかスペースを区切る敷居すら無い。

 唯一の救いと言えば、定期的に清掃されているのか、床に積もった埃がそれ程厚くないという事くらいだ。


「まあ、広さだけは上等よな。これなら先程よりも自由に舞えようというもの……」


 少女はドレスをひるがえし、小走りに駆け出すと……かつんとかかとを鳴らし、一瞬身を屈め高々と飛び上がる……

 その寸前で、ぴたりと動きを止めた。


「…………体が、重い。先程よりも更にだ」


 苦々しげにつぶやくと、つかつかと富向の前に詰め寄る彼女。そして自らの首に巻かれたチョーカーを……複雑な紋様が刻まれた古い革製のそれを指差し、


「“これ”の所為か、富向ふうこう! 何故わらわだけがこんな物を着けねばならぬ!」


 怒気もあらわに、そう言い放つ。


「そ、それは如何いかんともし難い事だ……お主の持つ力は儂等とは比較にならぬ、まさに妖の枠を超えたもの。あふれ出る妖気を完全に抑えるには、人に化身するだけでは足らぬのだ」


 少女の首のチョーカー――――それは富向入道が昨晩、化身したばかりの彼女に与えた物だ。名を“封呪の魔環まかん”と言う。

 身に着けた妖の霊力を抑制し、周囲にそれと気取られぬようにする為の呪具である。


「足らぬだと? こいつに吸われておるせいで、わらわはこの姿を保つのにも難儀なんぎしておるのだぞ! これでは、更に身の丈を削らねばならぬではないか!」


「霊力を抑えておる以上、自由に動けぬというのは仕方の無い事ぞ。今しばらくの間は辛抱して貰えまいか……」


 そう弁解する富向の額から、玉の汗が流れ落ちる。実のところ、彼はこの異界の妖たる少女に、全てを話している訳ではない。

 それどころか意図的に情報を隠し、いくつかは“嘘”までいている。全ては、これから行う大事の為。妖大将に反旗をひるがえし、危険を冒して儀式を強行した……その真の目的を果たす為だ。


 少女に魔環を身に着けさせたのも、半ば安全装置としての役割を期待しての事。少しでも力を抑えられれば、そうそう勝手な行動には出るまいという考えがあったからなのだが……


「ふん、仕方の無い事か……まあ良い。なんじはわらわの恩人であるからの。今しばらくは従ってやるわ」


 溜息をつきつつも、少女はほこを収める。訳も分からずこの世界に放り出された彼女にとって、富向達は唯一の協力者。不満はあれど、その言は尊重すべきと考えていた。


 出会って早々、富向が熱っぽく語った――――貴女の美しさと高貴さに胸を打たれた、忠誠を誓うのでどうか配下に加えて欲しい――――という言葉を、彼女は一片の疑いもなく信じていたのである。


 その魂の高貴さ故か、それとも単に育ちが良すぎるのか……彼女は、自分をあざむこうとする者の存在を想起し得なかったのだ。


「そうよ。儂等がらなんだら、異界より迷い出たお主は当の昔に人間共に見つかり、追い立てられておったろう。奴等にとってお主は極上の獲物。その首級しるしをもって己が武勇を誇らんが為のな……!」


 少女の返事に安堵あんどしたのか、饒舌じょうぜつに語り出す富向。その話の前半はもちろん嘘だ。異界から彼女を召喚したのは他ならぬ富向自身。彼はそれを、いかにも偶然の事故であるかの様に伝えていたのだ。


 だが、後半は誤りではない。彼女の存在を知れば、人間達……中でも力ある術者の面々は、こぞって彼女を打ち果たさんと殺到するだろう。

 彼女を狩って得られる称号こそは……この地上で得られる武勲の最高峰。成し遂げれば、その者の名は神に選ばれた勇士として永遠に讃えられるのだから。


 ――――そうよ、人間共にむざむざとくれてやるものか。此奴こやつの力は、それを持つに相応しき者によって扱われるべきだ。即ち、この儂の――――


「……どうやら動き始めたようだ。来るぞ、追手が」


 富向のくらい妄想を中断したのは、栲猪の静かな、それでいて鬼気をはらんだ一言だった。


「な、何ッ! それは誠か!」


「蜘蛛達がざわついている……追手の中に、一族の者が混ざっているのだ。恐らくは、七将の誰かであろうな」


「何だと……!」


 裏切り者――――特に土蜘蛛随一ずいいちの武人たる栲猪を討つ為には、当然のことながら同等以上の使い手が必要となる。彼と同じ七将の誰かが選ばれるのは、言わば自然な流れだ。


「心配は要らぬ。手筈通り、我が囮となって引き付けるとしよう。余分を持って来たのは、この時の為だからな」


 事もなげに言い放った栲猪の手には、いつの間にか人の頭程の革袋が握られている。彼はその中からひとつの石を取り出して見せた。

 内側からぼんやりした光を放つ、乳白色の石……それは昨晩、儀式に用いられた召門石の残りである。


「時が満ちるまで、この塔を……我等が“姫君”を守り抜く事。我は、ただそれを果たすのみ」


 そう言い残し、栲猪は窓へ向け歩き出す。その表情に走った一筋の苦悩に、気付いた者はいない。


 ――――我は、ただ果たすのみ。そう、裏切り者・・・・としての役割を。


 開いた窓から吹き付ける突風の中、彼は唇を固く引き結ぶ。そこにはもう迷いの色は無い。あるのは……いわおの如き武人の顔だけ。


「励めよ、栲猪! わらわの為に!」


 無邪気とも取れる、“姫君”の声を背に受けながら……灰色のマントの男は、力強く窓枠を蹴った。

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