第15話 妖しき異邦人

 かつん、かつん……。


 薄暗い通路に、ダンスシューズのかかとかなでる規則正しい足音が反響する。


 ここは、池袋の巨大ビルに付属する大型商業施設……そのバックヤードに当たる区画。施設や店舗の関係者以外は立ち入りが禁止されているそこを、一人の少女が悠々ゆうゆうと歩いていた。


 ゆるやかなウェーブを描く豪奢ごうしゃな金髪に、青い瞳。鮮やかな深紅のドレスの似合う、異国の美少女……彼女は照明の絞られた通路を迷うことなく、目的の場所へと歩を進めていく。


 やがてたどり着いたのは、大きく開けた倉庫スペースだった。入り口は広く、緊急用のシャッターと防火扉を除いて、ドアのたぐいは存在しない。

 一面に並んだ棚に置かれているのは様々な種類の大きなダンボール箱で、その多くはうっすらとほこりを被っていた。


「何処へ行っておった……答えよ! 儂がお主に何と言って念を押したか、忘れた訳ではなかろう!」


 不意に浴びせられた怒声に、少女は立ち止まり……優雅に顔をしかめ、美しい嫌悪の表情を浮かべつつ声の方に振り返った。

 そこに居たのは、禿げ上がった頭に脂汗あぶらあせを浮かべた年配の男。横幅のある体を僧衣に押し込めた、少女とはまた別の意味で場違いな人物だ。


「さあ、覚えておらんな。わらわが忘れるという事は、所詮些末さまつな事だったのだろう」


「な……お主、今の己の立場を分かっておるのか! 人の姿を取るという事は、己が姿を人目に晒すという事。そんな目立つ格好で歩き回られては、そもそも霊力を抑えた意味が――――」


「歌いたい時に歌い、踊りたい時に踊る。それが許されぬ生など、生きておる内に入らぬわ。美しき調べには、それに相応しき舞いというものがある」


 蠟梅ろうばいする男を冷ややかに一瞥いちべつし、尚も少女は続ける。


「誰であろうと、わらわを縛る者は許さぬ。例え、それが汝であろうともな……富向ふうこうよ」


 富向と呼ばれた僧形の男は、ぎりぎりと歯嚙はがみしながらも頭を巡らせ、目の前の尊大な少女をどう言いくるめるべきか思案に暮れていた。


 ――――何と聞き分けの無い小娘か。力あるあやかしならば、相応の分別をわきまえていても良かろうに――――!


 そう。彼女こそ富向が昨晩、大掛かりな魔術儀式をもってび出した異界の妖に他ならなかった。

 凄まじい妖気を撒き散らすそれをどうにかなだめ、人の姿を取らせたまでは良かったのだが……


「ええい、せめてもう少し地味に化けられなんだのか。外を見て来たのなら分かったであろう……その様な風体ふうていの者が、周りにひとりでもったか?」


 恐ろしい魔獣が、人で言えばまだ少女の年頃だというのは驚きであった。だが、それ以上に……彼女は高貴で美しく、華やかに過ぎた。

 世が世なら王侯貴族、控えめに言っても大財閥の令嬢か。どちらにしろ、供を連れず歩くのは不自然な程の風格が彼女にはあったのだ。


「ふん、何故わらわが周りに合わせてやらねばならぬ。それを言うなら汝とて、十二分に珍妙な風体ではないか」


「これは僧職の正装よ! そもそも今、儂等は身を隠しておる最中だというのに……妖の追手は勿論もちろん、人間の術者共に見つかっても厄介だ。それも話して聞かせたであろう?」


 そう。彼等は今、非常に危うい立場にあった。富向が儀式に用いたのは、妖の宝物殿より無断で持ち出した宝具。特に「竜の鱗」と呼ばれる触媒は貴重な品であり、それを損なった以上……最早死罪は免れぬだろう。

 また必要があったとは言え、儀式の場所を人口密集地に定めた事は、同時に人間達に異変を悟らせる結果にもなった。


 妖と人……その双方が今、血眼になって彼等を探しているのだ。


「いま少し……いま少しの辛抱しんぼうよ。お主の望みを叶えるには、充分に時が満ちる必要がある。それまでの間の辛抱ぞ」


 少女をさとしながらも、どこか自分に言い聞かせるような富向の言葉。だが、その声は彼が意図せぬ人物の耳にも入っていた。


「あっ! ちょっとそこの……お坊さん?」


 倉庫の入り口から顔を覗かせたのは、紺色の制服を着た中年の男。その出で立ちは、彼がこの施設の警備員である事を示している。


「スイマセン、ここは関係者以外立ち入り禁止なんですよ。誠に申し訳ないんですが……」


 相手が僧侶と見てか、とがめる声も表情も穏やかなものだ。隣の少女の華やかさに一瞬面食らいつつも、男はまっすぐ二人に向けて歩み寄ってきた。


「……富向、汝が自慢の結界とやらはどうなっているのだ?」


「無論、張っておる。となれば、此奴こやつ――――」


 富向の身体から、禍々まがまがしい妖気が立ち昇る。明確な殺意に満ちたそれは、未だ無防備な男の首筋に向かって――――


「待たれよ」


 背後からの声に、振り向く警備の男。しかし、がらんとした通路に声の主は見当たらない。


 誰だ、と声を発しようとした時、彼は首筋に強い衝撃を感じ……それとほぼ同時に意識を失った。恐らくは、自分が何をされたのかも解らなかっただろう。

 声も上げずにくずおれた彼の背後には、いつの間に現れたのか、手刀を構えた長身の男の姿があった。


「た、栲猪タクシシ!」


 灰色のマントに身を包んだ、壮年の男。彼の放った稲妻のような当て身が、一瞬にして警備員を沈黙させたのだ。


「此奴、人払いの結界の中に踏み込んで来おった……術者共の仲間ではないのか?」


 気を失った男を柱の影へと運ぶ栲猪に、富向は問う。


「違うな。この男、主の妖気が見えていなかった……ただ少し、術の効きが悪いだけの凡人に過ぎぬ。人が増えれば、この様なやからも混ざってくるという事だ」


「成程な。これだけ人が居れば、術者ならずともそういう者があるか。富向よ、汝の術も案外当てにはならぬな」


 ぐぬぬ、と歯嚙みする富向を尻目に、少女はくるりと身をひるがえす。先程人間達の前で見せた舞いを思わせる、軽やかな足さばき。


 ――――ふふ、面白い。思えば先程、広間で目にした娘……銀色の髪と蒼氷色アイスブルーの瞳を持ったあの娘も、もしくはその類いやも知れぬ――――


 ほんの数秒、目を合わせただけの相手。ただそれだけの出逢いが、今になって何故か気に掛かる。この世界に降り立って、以来様々な物を矢継ぎ早に見聞きしてきた彼女だったが…… 

 ピアノの調べ以外で美しいと思えたものは、思えばその娘だけではなかったか?



 もう一度逢って、確かめてみたいものだ。そう考えた彼女の瞳に、富向の忠告に従おうという意思は……最早欠片かけらたりとも残っていなかった。

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