第14話 赤いドレスの少女

「えっと……入り口はこっちでいいのかな?」


 巨大なビルの足元から階段で一段下がり、ぼくはその建物の中に……池袋を代表する大型商業施設へと足を踏み入れた。

 ――――「降り注ぐ陽光サンシャイン」の名を冠した、世界有数の高層ビル。ここが、天御神楽学園一年S組ご一行の現在地なのだ。


 雷華さん達の協力を得て、ダブルブッキングを強行したぼく――――月代灯夜。ふたつのグループを行き来するにあたって、重要なのはやはりタイミングである。


 最初の予定では、学園組が映画館にいる内に渋谷から戻り、何事もなかったようにしれっと合流するつもりだったのだけど……ちかちゃん達とのボーリングが思っていたより白熱してしまい、映画の終了時間をオーバーしてしまったのだ。


 まあ、白熱していたのはちかちゃんと他数人の腕に覚えのある子たちで、ぼく自身はスコア含めてボロボロだったりする……は、初めてだししょうがないよねっ?


 とにかくそのむねを電話で雷華さんに伝え、今度はちかちゃん一行が映画館に入るタイミングを見計らって入れ替わりを決行する事にした。

 その際、みんなの移動先として聞かされたのが……この六十階建ての巨大ビル。正確には、そのお膝元の商業施設である。


 流石は人気スポットだけあって集まる人も多い。地図を見るに中も結構広く……地元にあった郊外型デパートよりも規模は大きいみたいだ。


「さあ、早く合流しないと……」


 雷華さんによれば、みんなは二階あたりをうろうろしているという話。例によってぼくはトイレに行った事になっているらしい。 

 まずは二階まで上がり、どうしても見つからないようなら愛音ちゃんにでも電話してみることにする。迷ったと言えば、たぶん怪しまれないはず。


 近くにあったエスカレーターに乗り、とりあえず上へ。二階に到着しても、人でごった返している状況は変わらない。

 さて、どう探したものかと考えつつ……とりあえず中心部へと足を進めることにした。


 人の流れをかきわけ、時には壁に寄って回避し、割と必死に前進するぼく。自慢じゃないけど、地元ではこんな人混みにお目にかかった事はないのだ。

 

 そんなこんなでちまちまと進んでいくと……周囲をうっすらと流れているBGMに、何か別の旋律が重なってくるのを感じる。これは――――ピアノの音?

 それは建物の中心部に近づくほどに大きく、はっきりと聞こえてくる。ぼくはクラシック音楽に詳しいわけじゃないから、何という曲かまでは分からない。


 けれどその演奏が本格的であり、人の心を震わせるに足るものだという事は……なんとなくだけど、解る。


 でも、どうしてこんな所で? ショッピングモールの二階にそんな演奏をするスペースなんて、あるわけが――――


「あっ……」


 ぼくの疑問は、不意に開けた正面の視界と、そこに広がる光景によって氷解した。それは、建物をくり抜くようにして造られた吹き抜け。


 この二階はもちろん、下の一階と上の三階まで使った大きな吹き抜け構造だ。そして、その最下層である地下一階部分には、綺麗にライトアップされた人工の池が見える。


 柵につかまって下を覗いてみると、池の前にあるステージには大きなピアノが置かれ、黒のタキシードを着た男の人が今まさに演奏の真っ最中だ。

 ステージの周りでは、結構な数の人が立ち止まって美しいピアノの調べに耳を傾けている。ぼくのように上の階の吹き抜けからそれを眺めている人も多い。


 ふと辺りを見渡すと、太い柱のひとつに貼ってあるポスターが目に入った。そこには、海外の有名ピアニストの名と今日の日付、そしてピアノリサイタルの文字が。

 なるほど、流石は大都会の人気スポット。まるでイベントホールのような機能までを内包しているとは……いやはや脱帽です。


 一刻も早く学園のみんなと合流するという最優先事項がなければ、しばらくここで音楽に浸っていきたいものだけど……


「ダメダメ、これ以上団体行動を乱して迷惑はかけられないっ」


 後ろ髪を引かれる思いで、吹き抜けに背中を向けたその時。背後でざわ……と人々がざわめいた。何かと思って振り返ったぼくは――――


 見た。ほんの数秒目を離す前は存在しなかった、それは鮮烈な赤色。


 ステージの上、演奏を続けるピアノの前に……いつの間にか、まるで深紅の薔薇ばらのようなドレスを身にまとった少女が立っていた。


 歳はぼくよりも上、高校生くらいだろう。腰まであるゆるいウェーブのかかった金髪は、照明の光を反射してまるで流れる黄金の川のよう。

 遠目に見ても分かる、すっきりと目鼻が通った顔立ちに……染みひとつ無く白い肌。彼女も、また外国の人なのだろう。


 少女は指先でふわりと広がったスカートの裾をつまむと、観客に向け優雅に一礼する。そして、次の瞬間……


 跳んだ。まるで重力が仕事をし忘れたかのごとく、高々と。それはそよ風に舞い上がる花びらのように軽やかで、舞い降りる瞬間まで重さというものを全く感じさせなかった。


 その動きに感嘆のため息をもらす間もなく、彼女はくるりと身体を回転させる。幾重にも薄い布地が重なったスカートが舞い踊り、まさに大輪の薔薇がぱっと花開いたかのようだ。

 花の中からは白くすらりと長い脚が伸び、ダンスシューズがかつんと床を叩く。それは複雑ながら一切の破綻はたんの無いステップを刻み、ステージの上を跳ねるように駆け抜けていった。


 その時になって、ぼくはようやく気付いた。彼女の刻むリズムが、ピアノの演奏と完璧にシンクロしている事に。

 彼女の華やかさに目を奪われ、一瞬ではあるが音を忘れてしまっていたのだ。


 けどそれを意識してみると、目の前の光景はさらに輝きを増したように見えた。甘美なるピアノの調べに乗せて踊る、うるわしの乙女。


 それは、完璧なる美の饗宴きょうえん。演奏に紛れて聞こえていた人々のざわめきはいつしか消え、広場で動く者は彼女とピアニストのみ。

 ぼくを含め、すべての人の目がステージの上……華麗に踊る赤いドレスの少女に注がれていた。


 やがて演奏は最高潮クライマックスを迎え、少女の動きもそれに応じて激しいものになっていく。疲れを感じるどころか、ますます勢いを増してステージを駆ける彼女。

 ステージの中央で両手を頭の後ろに回し、天を仰ぐように身体を大きく反らした時……それはピアノが最後の一音を奏で終えるのと同時だった。


 ――――偶然、なのだろうか? 彼女が締めのポーズを取った時……その視線の先には、ぼくの顔があった。


 晴れた空のような蒼く澄んだ瞳が、ぼくの眼を真っ直ぐ射抜く。予想もしなかった展開にパニックになり、どうしていいか分からない。いや、何をどうするってわけじゃあないけれど……


 永遠と思える程の時間……実際にはほんの数秒のはずだけど、無音の世界で見つめ合ってしまったぼくと彼女。

 その沈黙を破ったのは、突如として泡立ち水を吹き上げた人工池だ。ライトの光が飛沫しぶきをきらきらと輝かせる……どうやら、この池は噴水だったらしい。


 誰が鳴らしたのか、ぱちぱちという拍手の音が響くと、それは一瞬で広場全体に、吹き抜けに面した上の階にまで広がり、場内は割れんばかりの拍手喝采に包まれていた。


「…………ぷはぁっ!」


 不意に苦しくなって、大きく深呼吸する。彼女に見つめられ、ぼくはあろうことか息をするのを忘れていたのだ! 夢中になりすぎる事の例えには聞いたことがあったけど、まさか自分で体験するなんて。 


 そして再びステージを見た時、そこにはもう彼女はいなかった。赤いドレスの少女は現れた時と同じく、唐突にその姿を消していたのだ。


「これもステージの演出なのかな……」


 まるで白昼夢のような、不思議な体験だった。けれどこれが幻でないことは、今も鳴り止まぬ万雷の拍手が証明している。


 突然舞い降りた、赤いドレスの少女。おそらくはピアノリサイタルの関係者なのだろう。今日の為に来日して、ぼくはたまたまその公演に居合わせただけだ。


 なのに……何故だろう? 彼女とは、また会えるような気がする。これは終わりではなく、何かの始まりだという予感がするのだ。


 “運命的な出逢い”という言葉は、たぶんこういう時に使うんじゃないだろうか? もっとも、これはぼくが勝手に思ってるだけ……後で思い返してみれば、何ということもない思い違いだという可能性は否定できない。


 ただ、この体験を特別なものだと思い込みたいだけ。きっとそういう脳の働きか何かが、ぼくの認識を歪めているだけなのだろう。


「……そうだ、早くみんなを見つけなきゃ!」


 ここに来て、ぼくはようやく思い出した。月代灯夜は入れ替わりの真っ最中、一刻も早く学園組のみんなと合流しなければいけないんだった!


「えっと、もうずいぶん時間経っちゃったな。素直に電話しよう……」


 トイレから出たら迷っちゃいました。そんな情けない理由で電話するのは恥ずかしいけど……もうそんな事を気にしてはいられない。



 今のぼくの最優先事項。それは何をおいてもこの今日一日を、無事に乗り切ることに他ならないのだから……。

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