第13話 三者三様

 それは二日前、地下深くに築かれたあやかしたちの根拠地……そこに設けられた宝物殿から、宝具が盗み出された事に端を発する。


 宝物殿には妖大将の名の下に、長き年月をかけ集められた様々な品――――呪術を記した経文や、魔力を秘めた武具。魔術に用いる祭具や触媒に至るまで、古今東西ありとあらゆる魔道の品がそこに集められていた。


 盗まれたのは、召門石を始めとした召喚魔術の為の品と、他数点の価値ある魔道具。中でも海を越えて持ち込まれたという「竜の鱗」は二つとない貴重品であり、それが失われたとなれば妖大将の怒りを買うのは避けられないだろう。


 不幸中の幸いか、犯人はすぐに特定された。富向ふうこう入道――――盗み出された品の正当な価値とその使用法を知っていたのは、妖大将の命を受け魔術、呪術の研究に携わっていた彼ひとりだけだったのだ。


 だが、犯人探しはそれだけでは終わらなかった。当日、宝物殿の警備を務めていた者の証言により……彼等の上役が入道に加担かたんし、宝物殿への侵入を手引きした事が明らかになったのである。


 その者の名は、栲猪タクシシ土蜘蛛つちぐも七将の一角であり、妖大将に仕える中でもかなりの古参に入る彼の裏切りは……妖達、特に土蜘蛛一族に大きな衝撃を与えた。

 栲猪は一族の重鎮じゅうちんであり、古強者ふるつわものとして知られる戦士。部下からの信頼も厚く、その様な愚行に走る人物とは思えない……というのが、一族の内外通しての見解であった。


 しかし、入道と時を同じくして雲隠れし、未だその所在がつかめないという現状は……彼がこの事件に浅からず関わっている事の証明でもある。

 土蜘蛛一族はこの事実を重く受け止めざるを得なかった。


 大将不在の間、その代理を務めている水妖の長……みずちは、当初この件をそこまで重く捉えてはいなかった。栲猪ほどの妖が富向入道のごとき小物と共に離反するなど在り得ない。警備の者が追及を逃れるためのでっち上げに過ぎないだろうと。

 入道にしたところで、単体の妖として然程さほどの力がある訳でもない。恐らくは研究に煮詰まって魔が差した程度の事だと、軽く考えていたのだ。


 蛟にとって妖大将は絶対の存在。逆らう妖がいるなど、思いも寄らぬ事だったのである。


 だが昨晩、渋谷の上空に巨大な魔法陣が現れたとの報を受け……彼は激昂げきこうした。それは人間の術者や野良の妖が使える域を超えた術。盗み出された宝具を用いてしか、成し得ないものであったからだ。


 妖大将の為に集められた宝物を持ち去っただけでなく、私欲の為に使い捨てるとは――――その行為は、蛟の逆鱗げきりんに触れるものだった。


 彼は直ちに、追跡の任にく妖を招集した。卑劣な裏切り者を抹殺し、奪われた宝具を可能な限り回収する……困難な任務に抜擢ばってきされたのは、蛟直属の配下であり、人間への憑依を果たした希少な妖である【がしゃ髑髏どくろ】の我捨がしゃと……栲猪と同じ土蜘蛛一族の七将、阿邪尓那媛アザニナヒメ


 一族の裏切り者は、一族が始末を着ける――――彼女は土蜘蛛たちの総意を受け、自ら同胞どうほうを討つ為に名乗り出たのだ。




 かくして、ここ渋谷の地を訪れたふたり。その際、我捨が手配したのが……慣れぬ人間の街での水先案内人、犬吠埼いぬぼうざきである。


 渋谷を含む関東一帯に展開する暴力団「神通会」の幹部である彼が、いつ如何いかにして我捨と知り合ったのかは定かではない。

 だが、彼等にはふたつの共通点があったのは事実だ。ひとつは、二人が共に暴力をコミュニケーションの手段としていたこと。


 そしてもうひとつは、二人が共に……妖と人間の狭間に在る者であったという事だ。


 ――――犬吠埼のぼる。彼もまた人間ではなかった。だが、純粋な妖とも言えない。彼は俗に【獣憑きライカンスロープ】と呼ばれる獣人……人と妖の血を併せ持つ、“半妖”という存在なのである。


 最初は、ひとつの憑依の形だったのかもしれない。だが群れを作り、子孫を残すうちにその血は混じり合い……やがて彼等は、人でもあり妖でもある生き物としてこの世界に存在するようになっていた。


 当然のように彼等は人からは恐れられ、妖からは異端として迫害された。人と妖、双方から狩り立てられた彼等は……最終的にその牙を隠し、人の中に紛れ込むことで細々とその血を残してきたのである。


 存在をおおやけに出来ない、妖の力を持つ人間。そんな彼等が日々の糧を得る為、非合法な暴力組織に身を寄せるというのは……ある意味必然の流れとも言える。

 常人を遥かに超える膂力りょりょくと、不死身の如き生命力。血で血を洗う抗争に明け暮れる者達にとって、彼等はまさに打って付けの戦力だった。


 神通会において犬吠埼が幹部の座にまで登り詰めたのも、ひとえにその暴力の賜物たまものである。大っぴらに銃火器を持ち歩けないこの国の裏社会において、彼の持つ暴力は他に代えがたい武器であったのだ。


 犬吠埼自らが所有するバーのひとつ――――我捨は今のような事態を見越して、彼を通じて大都市圏にいくつかの拠点を用意させていた――――において合流した彼等は、まず富向入道が行った儀式の痕跡を抹消せねばならなかった。

 そうしなければ、この一件に人間達の介入を許すことになる。奪われた宝具を回収するに当たって、競合する相手は作りたくない。


 だが、時すでに遅し。大都会とはすなわち人間達の膝元である。我捨たちが渋谷に到着した時には、儀式の中心部は既に人間側の術者によって押さえられていた。

 周囲には儀式に用いられた祭壇がまだいくつか残されているが、それが発見されるのも時間の問題だろう。


 少しでも術者に与える情報を少なくする為、犬吠埼は直ぐに動かせる自分の配下……神通会に所属する一般の団員を使うことを提案した。

 彼等は当然のことだが、妖とは無関係な普通の人間である。しかし、事を急ぐには最早手段を選んでは居られない。我捨たちも、渋々ながら同意せざるを得なかった。


 ――――その矢先の失態である。六ヶ所の儀式跡のひとつに向かわせた団員が、術者と見られる女に襲われ……証拠となる品を奪われたばかりか、合流地点であるこのバーの存在まで知られてしまったのだ。




「やれやれだぜ。“狼の巣窟ウルヴズネスト”……酒の味はともかく、雰囲気は悪くねえ店だったのによォ」


 壁に掛けられた狼のレリーフをなぞりながら、我捨がつぶやく。最早、この場に長居は無用だ。


「我捨の兄貴……ここの始末、オレに任せちゃくれませんか。術者が来るってんなら、待ち伏せて一泡食わせてやりますよ。店ひとつくれてやるんだ、その位はいいでしょう?」


 血に汚れた顔をぬぐったタオルを放り捨て、犬吠埼が我捨の前に歩み出る。不敵な笑みを浮かべた唇の隙間から、犬歯と呼ぶには発達しすぎた牙がちらりとのぞく。


「出来んのかァ、犬吠埼ィ? 術者が一人で来るとは限らねえし、その女は四方院みてえな化物かもしれねえ。テメエが返り討ちにならねー保証があんのかよ?」


「なあに、ヤツ等だって街中で派手にやらかすワケにはいかねえんですぜ。不意打ちを食らわして、後はテキトーに暴れてからずらかりますよ!」


 我捨は犬吠埼ほど楽天家ではなかったが、この場は彼の意思をむ事にした。どちらにしろ人間達を攪乱かくらんする役は必要だったし、犬吠埼自身にも汚名をすすぐ機会を与えてやりたかったからだ。


「分かった。くれぐれもヘマはすんなよ? 阿邪尓那ァ、アンタもそれで構わねえよなァ?」


「問題ない。元々、裏切り者は私ひとりで片付けるつもりだったからな」


 阿邪尓那媛はそう言うとソファーから立ち上がり、つかつかと店の出口へと向かう。


「どこ行くんだ。連中の居場所にてでもあんのか?」


 我捨の問い掛けを受け、彼女はドアの前で立ち止まる。そして、


「そんなもの、我が配下の子蜘蛛たちがうの昔に突き止めておるわ。池袋、と言ったか。奴等が居るのは其処そこよ」


 言い捨てると同時に、ドアを開け放つ。古びた蝶番ちょうつがいがぎいと鳴り、据え付けられたベルがからからと乾いた音を立てた。


「おい、その池袋への行き方知ってんのかよ! オマエ、一人で電車とか乗れねーだろ……って、待てよッ!」


 犬吠埼をその場に残し、我捨は慌ただしく女の後を追いかける。



 妖と裏切り者、そして人間の術者たち。事態は、ここに三つどもえの様相をていしつつあった……。

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