第12話 妖の者、集う
渋谷の、とある裏通り。その片隅に立つ古ぼけたビルの地下に……バー、“ウルヴズネスト”はあった。
夜は常連客でそれなりに賑わう店だが、ゴールデンウイークとはいえ流石に午前中は営業時間外。年季の入った木製のドアには準備中を示す札が掛けられている。
そんな、早朝で従業員も居ない筈の店の中から……今まさに、若い男の怒鳴り声が響き渡っていた。
「フザけんなッ! ヘマしたじゃ済まねーんだよこのボケッ! オマエ、出来るって言ったよな? 任せろって言ったよなァ!?」
ドアの近くを落ち着きなく歩き回りながら、手にしたスマートフォンに罵声を浴びせ続ける大柄な男。
逆立った短い金髪に薄い眉毛。顔立ちは端正と言うより、どこか獣の様な荒々しさを感じさせる。
薄紫色のスーツを着てはいるものの、その乱れた着こなしは勤め人のそれには到底見えず、体格の良さと相まってある種の暴力的なオーラを
「で、誰にやられたんだ!
殺気立った形相で虚空を睨む男。それはもう明らかに、善良な一般市民の姿では無い。それもその筈、彼は非合法な荒事を取り仕切る特定の職業――――すなわち、やくざと呼ばれるような仕事を
「……女、だとォー!? オマエ、女にボコられて全部ゲロったってのかクソ! いいか、病院なんか行くんじゃねーぞ。
男は吐き捨てると、太い指で器用にスマホの画面を叩いて通話を終える。大きなため息を
「話は終わりか、
犬吠埼、と呼ばれた男は一瞬、びくりと肩を震わせると……恐る恐る声の方に振り向いた。カウンターに突っ伏しながら
「あ、兄貴……」
歳はそう離れていないであろう男に、犬吠埼は怯えを押し殺したような声色で応じる。先程スマホの向こうに罵声を飛ばしていた姿が、まるで嘘のような
――――そこに居るのは、派手なメタリック・パープルのスカジャンを羽織った痩身の男。ぼさぼさの白髪頭から覗くのは、血のように紅い瞳と
一般人に見えないという点では、犬吠埼と等しい。だが、その方向性においては明らかに一線を画している。
「済まねェ、下の連中がしくじったみてえだ……け、けどよ、他五ヶ所の後始末はちゃんと――――」
「ちゃんとだとォ? 一ヶ所でもしくじったら、同じ事だろーがよォ!」
店内の空気がびりびりと震える。同じ怒気であっても、犬吠埼のそれとは質が違う。彼のそれが握りしめた
傷付けることの意識からして、
「それに……全部ゲロったって言ったな? テメエ、手下にどこまで話したんだ。まさか
「そ、それは無え! それは無えぜ兄貴! 何も話しちゃいねえ。あいつ等にはブツを運び出させただけだ。ブツにしたって、ただの石ころとしか思っちゃいねえハズだ!」
広い肩幅を目一杯すぼめて、必死に弁解する犬吠埼。体格においては圧倒的に有利な彼が、カウンターの男に対してはまるで頭が上がらない様子である。
「じゃあ、何を話した。そこまでビビるって事は、何か知られちゃヤバい事を漏らしたんじゃあーねえのか?」
カウンターから体を起こし、犬吠埼に向き直る男。その
「ここの……場所だ。後で合流する時の為にって、教えちまった……」
「あァ!? 何だとテメエ。って事はこの店はもう使えねーじゃあーねえか! ふざけんじゃねェぞ!」
荒々しく立ち上がると、男は犬吠埼に詰め寄った。
「術者共に知られたってんなら、今すぐにでも手入れが入る。俺達妖の根城がまた一つ減っちまったんだぞオイ。どう落とし前付けてくれんだァ!?」
「――――そう吠えるな、
その時だ。奥のテーブル席から、冷たく澄んだ声が響いた。それはここ“ウルヴズネスト”に集った、もうひとりの人物の声。
オレンジがかった照明にぼんやりと照らされているのは……角のソファーに腰かけた一人の女の姿だ。
艶やかな長い黒髪を頭の後ろで結わえた、端正な顔立ちの美女。切れ長の眼の下に引かれた鮮やかな朱は白い肌に映え、妖艶とも取れる妖しい美を
だが、その出で立ちは一種異様な物だった。黒い長袖の上着に、同じく黒いくるぶしまであるスカート。それだけなら、まだ分からなくもないが……
独特な形の襟と袖口には白いラインが入り、はち切れそうな胸元に結ばれたのは深紅のスカーフ。
そう。彼女が身に着けているのは、シンプルなデザインのセーラー服に他ならない。彼女の外見年齢を考えれば、若干……ほんの若干だが、違和感を覚えなくもない服装と言える。
「……何か言いたそうだな、自称女子高生さんよ?」
犬吠埼の襟から手を離しつつ、男――――【がしゃ
「
我捨は一瞬、何か言い返そうと思ったが……言葉にすることはなかった。下手にツッコミを入れると面倒な事になりそうだったからだ。
彼女くらいの歳で学生というのも、まあギリギリ無いとは言い切れない。
「ふん。それにしたところで、結局私が
コーヒーカップをテーブルにことりと置きながら、女は言い放つ。長いまつ毛の下で……琥珀色の瞳が揺らめく。
「それについちゃあ同意するぜ。そもそも大体、犬吠埼が言い出した事だからな。後片付けくらいは組の者にやらせます……だったか?」
ぎろり、と犬吠埼を睨む我捨。
「すまねえ兄貴……まさか、こんな事になるなんて思っちゃいなかったんだッ」
「……人を使う立場になれたのが嬉しかったんだろ。違うか? わざわざ自慢したかったんだよなァ、手前が
「ち、違――――」
めきっ。不快な破砕音と共に、我捨の右拳が犬吠埼の顔面にめり込んだ。
「うぐあッ!」
百九十センチはあろうかという巨体がふわりと浮かび、背後に並んでいたテーブルをがらがらとなぎ倒す。ここが地下でなければ、鳴り響く盛大な騒音に近隣の住民が騒ぎ出した事だろう。
「口答えしてんじゃねえぞ、犬吠埼。俺はお前に手柄を立てさせる為に呼んだ訳じゃねえ。『使える』と思ったから呼んだだけだ」
「うう……」
犬吠埼の鼻は、有り得ない方向に曲がっていた。溢れ出した血が、スーツに黒い染みを広げていく。
「……我捨よ、控えろと言っただろう。頼り甲斐が無いとは言え、手駒は手駒。事を成す前に壊してどうする」
「良いんだよ、コイツにはこれくらいで……ほら、見てみろ」
促されるまま、倒れ込んだ犬吠埼の方に視線を移す女。その口元が、わずかに緩む。
「ほう……」
血まみれの顔面、その中心にあった折れた鼻が……見る見るうちに真っ直ぐに戻っていくではないか。止め処なく溢れ落ちていた筈の血も、既に止まっている。
「てて……酷ェよ兄貴ィ」
軽く頭を振って、むくりと起き上がる犬吠埼。顔面を砕かれたダメージなど、まるで無いかのようだ。
「そんな事よりもよォー、急がなきゃーならねえぜ……術者共に見つかる前に、俺たちで始末を付けるんだからなァ」
そう言う我捨の身体からは、先程よりも強い殺伐とした妖気が漏れ出していた。
「そう、始末するんだ――――あの『裏切り者』共をよォ!」
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