第11話 放課後のガールズトーク

「よし、本日はここまでだ。明日からは各科目の授業も始まって忙しくなるぞ。心しておけ!」


「というわけで、起立! 礼! 解散~!」


 終業のチャイムが――――正確には、何やら豪奢ごうしゃうるわしいメロディが鳴り響く中、一年S組の初日全行程は終了した。


 一言で言うなら、なんかもうすごく疲れた。一日分の気力をすっかり使い果たした気分だ。


 教室の中は終始緊迫した空気に包まれ、その中で説明やら自己紹介やら教材の配布やらが行われたわけだけど……


 ぼくはその間ずっと、自分の正体がばれない様に気を張り続けていたのだから。

 よくよく考えれば、女の子の振りをするなんて小四の時の学芸会以来。当時だって上手く演技できた気はしなかったというのに……


 これから毎日、うっかり気を抜けない日々が続くかと思うと……ちょっと憂鬱かも。


 はぁ、とひとつため息をついて、ぼくは帰り支度を始めた。支度といっても、机の中に詰め込まれた真新しい教科書の束を鞄に移し替えるだけの簡単な作業だ。

 とは言え、全教科ともなると流石に重い。とりあえず明日使う分だけは先に名前を書いて、机の中に置いて行こうか……と思い、筆入れからペンを取り出そうとしていた時。


「ねぇとーや、静流って子、帰っちゃうヨ?」


「えっ」


 しるふに言われて顔を上げたぼくの視界の右隅で、静流ちゃんが早々に席を立っているではないか! しかもそのまま鞄を持って、すぐそばの出入り口から出て行こうとしている!


 これはぼくにとって想定外の、しかも厄介な事態である。彼女の性格からして、すぐぼくに詰め寄って問いただしに来るだろうと思っていたのだ。

 けれど自己紹介の後の十分休憩の時にはまったく動きがなかったから、来るのはホームルームが終わったこのタイミングだと考えて……なんとなくゆっくりと帰り支度をしていたらこの有様だよっ!


「追っかけないと逃げられちゃうヨ? アタシは待ってるから行ってオイデ~」


 机の端でぐったりしたまま、やる気のない声を出すしるふ。車折先生に致命傷を負わされた上、さっきの休憩時間に物珍しさから数人の生徒に追い回されたのが効いたらしい。


 とにかく、このままでは静流ちゃんは先に帰ってしまう。ここは一刻も早く彼女を追いかけないと!

 そう決意し、正面に向き直ったぼくが目にしたのは、


「……わっ!?」


 ぼくをしげしげと見つめる、愛らしい二つの眼。


「あ、驚かせちゃいましたか? 申し訳ないのです~」


 ぼくの前の席……そこにあったはずの背中が、いつの間にか裏返っていたのだ。


 興味津々といった様子で見つめ続けているのは……眉毛の上でまっすぐ切り揃えられた前髪が特徴的な、短めのおかっぱ頭の子。


「えっと、東雲しののめさん、だよね? ぼくに、何か用かな……」


 うっかりぼろを出さないように、慎重に言葉を選ぶ。

 あ、一人称が「ぼく」なのを矯正するのは無理でした――――一応「わたし」で喋る練習もしたのだけど、何回やっても数分持たなかったので……いっそボクっ娘で通そうという事に。

 蒼衣お姉ちゃんは「いけるいける! むしろギャップが萌え!」とか言ってたけど……大丈夫かなぁ?


「東雲恋寿れんじゅなのです! 特に用というわけではございませんが、この機会に、せっかくだから灯夜様とお近づきになりたいなぁ~と思ったのです!」


 お近づきにって……様ぁ!?


「ちょ、様はやめてよっ! ぼくは庶民だから!お嬢様とかじゃないからっ!」


 お嬢様学校と聞いた時から、漠然とした不安はあった。今までのぼくは……見た目はともかく、あくまで“男子”として扱われてきた。男らしくないという理由で他の男子には距離を置かれていたけど、女子からはそれなりに仲良くしてもらっていたと思う。


 けれどそれは、「女の子にしか見えない男子」というぼくの存在の特殊性に起因するものであって、その前提が崩れた今、ぼくは周囲から「女の子にしか見えない女子」つまり「普通の女子」として見られる訳であって、ここはお嬢様学校であって、周りはみんな女子であって……ああ、何だか認識が崩壊してきたぞ? とにかく、今のぼくは……


「またまたぁ、こんな綺麗な方が……あ~、間近で見ても粗が出るどころか、ハイビジョンで高画質で4Kですよ~」


 何やらうっとりとぼくを見つめ続け続ける東雲さん――――うーん、困った事に……今のぼくは「女の子から見てもずば抜けてキレイな女の子」と認識されているようなのだ。


 まぁ、醜いと言われるよりはキレイな方が良いに決まっているけど……それでもやっぱり、目立ち過ぎるのは好ましくない。

 今までぼくが目立っていた理由の半分は「男の子なのに~」の部分だと思っていたのだけれど……女の子になったところで、根本的な解決には至らなかったようである。

 木を隠すなら森の中的に、すんなりと溶け込めるかと期待していたのになぁ……


「ま、出自はどうあれ、灯夜様はウチのお客様ですから。お客様は神様なのです!」


「お客様?」


「そうなのです! 見覚えないですか? 恋寿は何度か灯夜様とお会いしてるのですよ?」


 ぼくがこの子と会っている? いや、どうなんだろう……確かに見覚えがあるような無いような。

 お客様という事はどこかのお店で会ったとか……いや、お嬢様学校に来るような子がバイトなんてしてるわけないか。じゃあ、一体どこで……


「わかんないですか……? じゃあ、これでっ!」


 彼女は困惑するぼくを前にして一瞬しょんぼりとした顔を見せたかと思うと、懐からおもむろに何かを取り出し、自分の頭に乗せた。


「…………あ、あぁ!」


 それは、カチューシャ――――ホワイトブリムとも呼ばれる、要はメイドさんが頭に付けている白くてヒラヒラしたあれだった。


「そうか! きみは四方院の……」


「はいです! 恋寿は四方院家でメイドをやってるのです。もっとも、まだ見習いなのですけど」


 言われてみれば樹希ちゃんの別荘にいた時、やけにちっちゃいメイドさんが働いているなと思ったのだが……それが彼女だったのか。


 あっちでは直接絡む機会もなかったし、そもそも修行疲れで終始ぐったりしていたせいですぐに思い出せなかったのだろう。


「樹希お嬢様が珍しくお友達を連れて来られたと思ったら、すごい美人さんでびっくりしたのです! ぜひお近づきになりたかったのですが、なかなか声をかける機会がなかったのですよ~」


「あはは……」


 当然のことながら、四方院家でもぼくの正体を知っている人は少ない……っていうか樹希ちゃんと雷華さんだけだ。

 その他メイドの皆さんにとって、ぼくは当たり前のように女の子だと思われている。


 こうやって人と知り合うごとに、ぼくの「噓」が広がっていくかと思うと……心がちくりと痛む。

 隠し通せるだろうかという不安もあるけど、騙しているという後ろめたさも辛い。


 ぼくを同性だと思って無邪気に接してくる子を前に、噓をつき続ける……思っていたより、これはきつい試練だ。


「早速月代さんと仲良くなるなんて、やりますね恋寿さん」


「あ、小梅様!」


 違和感なくするりと会話に入って来たのは……ぼくが道に迷っていたところを助けてくれた双子の片割れ、藤ノ宮小梅さん。

 って、いきなり名前呼びって事はもしかして……


「もしかして、二人は知り合い?」


「はいです!」


「四方院家には昔から姉さん共々、ご厄介になる機会が多かったので……その時に」


 なんと。ぼくが思っているより、この世界はずっと狭かったようだ……


「って事は、樹希ちゃんとも……」


「はい。姉さんが樹希さんと同じクラスになる事が多かったので、そのご縁で」


 なるほど。正直なところ樹希ちゃんが普通に学生やってる姿を想像できなかったのだけど、ちゃんと友達もいてうまくやっているみたいだ……少し安心した。


「ウチのお嬢様はああいう性格なので、お友達になってくれる方は貴重なのです!」


 ちょ、東雲さん! ぼくが思っても口に出せない事を平然と……


「ちょっと当たりは強いですけど、樹希さんは良い方ですよ。そう思うでしょ、月代さん……あ、灯夜さん、とお呼びした方が良かったのでしたっけ」


 そうだ、さっきの自己紹介の時……月代だと蒼衣先生と被るので、灯夜って呼んで下さいって言ったんだった。


「うん。いきなり下の名前で呼んでくれなんて、ちょっとめんどくさいかもだけど……」


「そんな事ないですよ。私も姉と被るので名前呼びされる事、多いですし」


「恋寿は最初から灯夜様と呼ぶと決めてたので、問題ないのです!」


 眩しい笑顔でぼくをにこにこと見つめる、二人の女の子。これは、中々にいい雰囲気なのではなかろうか?


 地元から遠く離れた学校に一人きり。うまく友達を作れるかは不安の種だったのだけど……最初から不思議な縁が出来てくれたおかげで、思ってたより好感触だ。

 それに、静流ちゃんがいるから実際には一人きりって訳でもなかった事だし……


 ――――あ、静流ちゃんの事、すっかり忘れてた。色々説明しなきゃいけなかったのに……まぁ、小学校の時と違って帰るのは同じ寮の筈だし、話す機会は十分あるだろう……多分。


 なんて考えた丁度その時、そんな甘い考えを吹き飛ばすように鳴り響く――――仕事用スマホの着信音。


「あ、もしかして呼び出しですか!」


「お仕事ですね! がんばって下さいなのです!」


 ああ、二人共関係者だけあって察しがいいなぁ……などと思いながら、急いでスマホを取り出し応答する。


 ぼくの学園生活初日は、やっぱり波乱に満ちた一日になるみたいだ――――

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