第10話 四方院樹希は友と語らう

 初日のホームルームが終わると、わたし達二年生の本日のノルマも同時に終了する。周囲には早々に帰り支度を始める者もいれば、新しいクラスメイトと親交を深めようとする者もいるが……


 わたし、四方院樹希はそのどちらにも加わらず、久々に訪れた何をするでもない時間にただ身を委ねていた。


「珍しいわね。新学期早々、貴方がこんなに暇そうにしているなんて」


 聞き慣れた声が、そんな穏やかなまどろみのひと時からわたしを引き戻す。


「……この教室を出たら暇じゃなくなるでしょ。今くらいなのよ、ゆっくりしてられるのは」


「成程ね。さぼり方も大分上手になったじゃない」


「そんなの、上手くなりたくなかったわよ……」


 声の主は――――藤ノ宮桜。術者の名門、一総ノ宮かずさのみや家の分家筋にあたる藤ノ宮家の娘だ。

 藤ノ宮家では二代ぶりの術者であり、その関係で同年代のわたしとは何かと関わる機会が多い……言わば腐れ縁の仲である。


「まぁ、仕方ないところもあるわね。出来たら手伝ってあげたいものだけど、私達の能力は外回り向きじゃないものね……」


 藤ノ宮家は術の系統で言えば加持祈禱といった儀式的な物が主であり、現場に出てあやかしと殴り合えるような代物では無い。

 単純な霊力の高い低いとは別に、術者には向き不向きがあるものなのだ。


「それはそうと樹希、さっきの自己紹介は何? 淡白なんてもんじゃなかったわよ」


「いいじゃない……名前を言って宜しくしておけば特に不具合もないでしょう?」


「不具合も何も、あれじゃあ周りの子が絡みづらいでしょ。話し掛ける切っ掛けくらいは用意してあげないと」


 性格の差だろうか、彼女はそういった気配りが上手い。というか、よくもまぁそこまで気を遣えるものだ。


「必要ないわ、そんなもの。どの道わたしには友達ごっこをしている暇なんて無いんだから。下手に絡まれたらかえって迷惑だわ」


「そういう所、変わらないのね……一度しか無い中学校生活、多少面倒でも楽しんでおいた方がいいと思うけど」


 彼女の言いたい事も分からなくはない。日々の生活を豊かにするには、同じ体験を共有できる友人が不可欠……世間一般の理屈では、そういう事になるのだろう。


「人の輪の中に入れば楽しいかなんて、それこそ人によるわ。それにね桜、わたしは普通の子達とは分かり合える気がしないの。視えている世界が違う人間同士、理解し合えるなんて思えない」


 この天御神楽あまみかぐら学園は、創立当初から術者の子弟を多く受け入れてきた歴史がある。しかし、実際に術者としての適性がある者は年々減り続けていった。

 わたしの学年には術者の家の者が十人程いるが、妖が視えるのはその半分足らずに過ぎない。そして現役の術者はわたしと桜の二人だけだ。


 そう。このクラスにいるのもほとんどが一般人。術者の家の子もいるにはいるが、それも霊力の高い跡継ぎが生まれず廃業状態の家ばかり。わたしと同じものを視る事ができる者はいないのだ。


 ――――唯一、藤ノ宮桜を除いては。


「友達の数を自慢するような趣味もないしね。気の置けない友人なんて、そうそう出来るものじゃない。それを考えれば、今年も桜が同じクラスに居てくれて嬉しいわ」


「ふふ、どっちにしろ現役の術者は固めて置かれるから、予定調和ではあるのだけどね」


 この学園特有の処置である。有事の際に、情報伝達等の便宜を図る為だ。いささか不公平ではあるが、学園を挙げて妖対策をしている以上は必要なものだ。


「固めて置かれる、ね……それにしたって、ひとクラス分も集まるとは思ってなかったわ」


「一年S組の事?」


「そうよ。わたし達の学年にも数人しか居ない“視える”子をあれだけ集めるなんて……まぁ、かなり強引な水増しをしたようだけど」


 天御神楽学園が今年度から始めた、新しい試み。初等部からのエスカレーター組に加え、霊視検査によって見出された生徒によって一クラスを形成する。

 それによって霊力の高い子供を一纏めにして、より効率的な対応を行うことが可能になる――――

 しかし実際には霊視検査の打ち切りによってクラスの定員を満たせなくなり、慌てて増員を……国内外のコネを最大限用いて、かき集めたのが現状だ。


「ああ、そういえばあいつの名前もあったわね……全くもう、新学期早々頭が痛いったらない」


 記憶の片隅に追いやっていた情報が、思い出したくない顔と共に脳裏に浮かび上がる。


「誰? 貴方がそこまで言うなんて……そもそも、知り合いの名前だってロクに覚えてない貴方が」


「余計なお世話よ! それに、桜だって知ってる名前よ。イギリスのグリムウェル。水晶魔術の……」


「あの子が来てるの!? 懐かしいわね~。小梅が聞いたら喜ぶわ~」


 手を叩いてにこにこと微笑む桜。旧友との再会を心から喜んでいるようだ。


「あなた達はいいわね、気楽で。またあいつの顔を見る事になるなんて……わたしは正直気が重いわよ」


「あら、貴方達いつも一緒に居て仲良かったじゃない」


「良くないわ! あいつが一方的に絡んできただけよ! 事あるごとに勝負だの競争だの……付き合わされる身にもなってもらいたいわ」


 思い出す、あの夏の日々。一人前の術者になるべく修行中のわたしの前に現れた、麦わら帽子に白いワンピースの少女……


「それに、月代先生の話ではまだ日本に着いたって連絡も無いそうよ。入学式に間に合わないなんて、一体どういう神経してるのかしら」


「ふふ、困った子ね……そう、S組と言えば今朝……例の子に会ったわよ」


「例の子?」


 不愉快を絵に描いたようなわたしの態度を見て、さらりと話題を変える桜。こういった器用さがわたしには足らないのだろう。あらためて、彼女には敵わないなと思ってしまう。


「この前言っていた、銀髪の綺麗な子よ。月代先生のほら……姪っ子、なんでしょ?」


「ぁあ?」


 思わず変な声が出てしまう。ここで桜からあの子の――――灯夜の話が出るとは。

 このわたしに完全な不意打ちを食らわすなんて、さすがは桜……


「い、一体どこであの子に会ったというの?」


「始業式の後、桜と待ち合わせしていたら……東の三叉路の辺りで声をかけられてね。なんか道に迷ってたみたいだから案内してあげたのよ」


「そ、そう……」


 確かにわたしは冬休みの間、何度か藤ノ宮姉妹に出会っている。そしてその際、月代灯夜の事を話したのも間違いない。しかし――――


「嫌味な位綺麗だって聞いてたから、すぐに分かったわ……逆に聞いてなかったら、何処かの国のお姫様だと思ったでしょうね」


 すべて・・・は、話していない。


「月代先生も人が悪いわね~。身内にあんな子が居るのをずっと隠していたなんて」


「……妖の世界には関わらせたくなかったそうよ。この間の事件が起きるまで、視えるのも知らなかったって話だもの」


 話したのは、話せる事だけ。彼の秘密――――彼が“彼”であるという事実を知る者は、少ないに越したことはないからだ。

 友人に隠し事をするのは正直、良い気分では無いが……だからと言って、秘密を知る者をいたずらに増やすのは悪手でしかない。


「それがもう、即戦力だって言うじゃない。昨日も貴方と一緒に妖退治をしたんでしょ?」


「耳が早いわね。けれど、まだまだ即戦力とは呼べないわ。一週間かけて鍛えたけど、全然足りない。最低限、自分の身だけは守るように言ってあるけど……」


 実力は確かにある。けれど、まだどこか危なっかしい所があって……心配なのだ。


「そうね……あの子、優しそうな顔をしていたから。妖と戦うには、向いていないのかもね」


 桜の言葉は、まさに正鵠せいこくを得ていた。月代灯夜は、戦いに――――争い事そのものに、不向きな性格なのだ。


 霊力は十分高いし、契約したシルフとの相性も良い。まあ身体能力はさっぱりなのだが……そこら辺は鍛えて伸ばせる部分だろう。


 問題は、そのように恵まれた器に宿ったのが……あの気弱で引っ込み思案な少年の魂だという事。

 戦えるだけの力を持っていても、それを戦いに使えないのでは意味がないのだ。


「……それに関しては、わたしも雷華も同意見よ。けれど、向いてないからといって……避けて通れる訳じゃない」


 妖が起こす事件は、近年増加の一途を辿っている。前世紀末の一件以来急激に減少したそれが、今ではかつてのピーク時に相当する数字にまで到達しつつあるのだ。

 そしてその変化に対策側は追いつけないでいる。特に最前線で妖とやり合える人員の不足は大問題なのだ。


「力を持って生まれた以上は、その力に責任を持たなければならないのよ。あの子は――――月代灯夜は、この壁を乗り越えなきゃいけないの」


「……辛いわね。優しい子が優しくいられない世界って」


 その時だ。わたしの懐の中で、耳障りな着信音が鳴り響いたのは。


「あら残念。今日もまた、貴方の出番のようね」


 やかましくがなり立てる携帯を取り出すと、狭い液晶画面には「月代蒼衣」という名が浮かんでいる。

 もっともこの携帯が鳴った時点で、相手も要件も九割方決まっているのだけど……


「まったく……これだから。友達付き合いをする暇くらい欲しいものだわ」


 そう、四方院樹希の穏やかな時間はいつだって長続きしない。


 人の世に絶える事の無い「悪い報せ」が、わたしを放っておいてはくれないのだから――――

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