第12話 惨劇は逢魔が時に

「未経験でもできる、簡単なお仕事だから」


 …………ぼくが聞いたのは、そういう話だった。


 その現場……郊外の工事現場に着いたのがお昼過ぎ。そこで現地のスタッフさん――――四方院家と同じように、政府の認可を受けて活動している術者の方達と合流して、安全確認を終えたのが午後三時近く。

 結局、この現場にはあやかしは現れなかった……スタッフさんの話だと、こういう事は日常茶飯事らしい。


 何でも、地面の下には龍脈というエネルギーの流れがあって……それがたまに地上に噴き出す事がある。そしてその現象が起こった場所では妖がよく出没することから、龍脈のエネルギーが空間をゆがませ、異空間――――いわゆる魔界だの妖精界だのといった、人類がいまだ観測できていない世界から妖を呼び込むのだと言われているらしい。


 妖を生むそれは【門】と呼ばれ、それが頻繫に開く場所にはほこらや神社などが建てられ厳重に封じられているという。


 けれど、術者とはいえ人間の力では大自然の脅威を完全に支配することはできない。大規模な【門】の発生は抑えられたものの、小規模なもの……不特定の場所に突発的に生じて、数時間と持たず消えてしまうような、小さな【門】の発生までは防げない。


 こういった【門】は位置の特定もし辛く、通報を受けて駆け付けた時には消滅していたりする為、対処が難しい。困った事に、わずかな時間でも開いた【門】から危険な妖が出てくる可能性もあるのだ。


 小さい【門】でもエネルギーの噴き出す勢いが強いと、現地のスタッフだけでは対処できない状況が生まれてしまう。術者さんの業界は万年人手不足に悩まされており、ひとつのチームに妖が視える人がひとりだけ……なんて事すら普通にあると言うのだ。


 そういった都合からある程度勢いが強い【門】が発生した時は、上に応援要請を出すように定められている。

 この場合の“上”とは天御神楽学園内の警視庁特殊事案対策室第一分室(長いっっ)であり、ぼくはそこの分室長である蒼衣お姉ちゃん巡査の命令を受けてやって来たわけだ。


 で、やった事といえば……【門】から噴き出すエネルギーの勢いが弱まるまで、その場で警戒待機する事。まだ初心者のぼくに現場経験を積ませるために、お姉ちゃんは比較的楽な仕事を回してくれたのだろう。


 万が一の事態に備えて、という話ではあったけど……結局何も起こらず一時間程で勢いは弱まり、年長のスタッフさんが儀式をおこなって【門】を封じた後、みんなで周囲を安全確認ヨシ!ってやって状況終了。

 ちょっと早いけど打ち上げ行くか、店どこにする? なんて話をぼんやり聞いていたところで……またスマホが鳴り出したのだ。


「いい? 灯夜の役目はあくまで時間稼ぎよ。他の犠牲者が出ないように、妖を引き付けておくの。ガチガチに防御を固めて応援を待つのよ。わかった?」


 ――――ただ待機するだけの仕事で終わりと思いきや、打って変わって危険な任務。他のチームが担当していた【門】が突然活性化し、中から凶暴な獣の妖が現れたというのだ。


 現場にいたスタッフさん二人に怪我を負わせ、妖は逃走中。逃走経路から推測するに、このままでは人口密集地に向かう可能性が高い。

 そこで現状最も機動力のある霊装術者……つまりぼくが迎撃に向かう事になったのだ。


 ちなみに樹希ちゃんは樹希ちゃんで別の任務に出ずっぱりになっている。そっちが片付いたら応援に来るって話ではあるけど、いつになるのか具体的な事はわからない。

 ……最悪、ひとりでどうにかするしかないのだ。


『ひとりじゃないヨ、とーや!』


 おっと失礼、その通り。今のぼくはしるふと一心同体の魔法少女。ひとりに見えても……ひとりじゃない。


「しるふと一緒なら……なんとかなる。今度だって――――」


 なけなしの勇気を振り絞り、紅く染まっていく空を駆け抜ける。スマホのGPSの表示は少し前から動いていない。少し、不安ではあるけど……追う側としては好都合とも言える。


 画面上の光点が示す場所を目指して飛んでいくと――――見つけた。

空に浮かぶ黒いシミのような物体。四基のプロペラで浮遊するそれは、GPSの信号を発しているドローンだ。

 危険な妖を追跡する為に最近導入された装備で、何でも式神の眼が貼り付けてあって本来カメラに映らない妖も視る事ができるという話だ。


 まあ、そもそも式神の眼を扱える人がほとんど居ないとか、一機あたりのコストが高くて壊すとすごく怒られるという欠点があるらしく……ここぞ、という場面でのみ投入される決戦兵器なのだそうだ。


 さて、ドローンが居るという事は……妖はこの下か。ここはいわゆる田舎の農村といった感じの場所で、家と家の間には竹藪とか畑なんかがあり、この時間帯は割と人通りは少ないようだ。


 よし、これなら人が襲われる危険も人に目撃される心配も無い……と安心しかけたその時、けたたましい鳴き声が辺りに響く。

 これは……犬が吠えているのか? ぼくが声の方に振り返った、その瞬間。


 ぎゃん、という悲鳴と共に、何かが潰れるぐしゃりという気持ちの悪い音。高くそびえる竹藪の中でゆらゆらとうごめく……真っ黒い何者かの影。


「……あっ!」 


 それと同時に目に入ったのは……竹藪のすぐ近くで尻餅をついている人影だ。


 いけない! ぼくは一目散に降下し、人影と妖の間に舞い降りた。


「危険ですから、離れてくださいっ!」


 いきなり降ってきたぼくを見て、目を丸くしているのは――――年配の女性。ぼくのお祖母ばあちゃんよりも年上のお婆さんだ。


「あ、あ……タカオが、うちのタカオが……」


 そのお婆さんが持ち上げた右手には、細い紐が握られていた。そしてその紐の先は……黒い水溜まりに転がった首輪に繋がっている。


「――――――――!!」


 その光景を見て、ぼくは察してしまった。それはさっき聞こえた、悲鳴のような鳴き声の主。

 竹藪が落とす長い影に隠され、はっきりとは見えないけれど……


「…………早く、逃げて下さい。ここは、危険ですから」


 なんとか言葉を絞り出す。直接見たわけじゃないけど、想像はつく。妖が視えないのは人も動物も同じだと言うけど、感覚の鋭いその犬は気配を感じたのだろう。


 ――――危険を悟ってなお、主人を守ろうと立ちふさがったのか。


「逃げて下さい! お願いだからっっ!」


 声を張り上げたぼくの剣幕に、よろけながらも駆け出すお婆さん。

 良かった、ちゃんと立ち上がって走れるみたいだ……流石に彼女を守りながら、目の前の妖の相手をできるとは思えない。


 そして幸いにも、妖はお婆さんを追いはしなかった。怪しく光る深紅の眼は、今も真っ直ぐにぼくを見つめている。

 竹藪の端から背の低い草を搔き分けて近づいてくるそいつは、奇しくも犬のように見えた。ただし……大きい。

 子馬ほどの体躯を持った、暗闇のように黒い妖の犬。裂けたように開いた口には鋭い牙がずらりと並び、血の混じった唾液をだらだらと垂れ流している。


 ぐるる……と低く唸ると、そいつは上体を屈めた。

 ――――危ない! と思ったその瞬間、黒い魔獣は弾かれたように地面を蹴り、ぼくを目掛けて飛び掛かってくる。


 しかし、その血に飢えた牙はぼくを捕えるに至らない。すでに張り巡らせていた圧縮空気の壁が、魔獣の一撃を阻んだのだ。


「……ううっ!」


 けれど、魔獣は止まらない。空気の壁ごと、ぐいぐいと押し込んでくる。赤く輝く眼に狂気を宿し、むき出しの殺意をぶつけてくる獣を前にして、ぼくの背筋に冷たいものが走った。


 ――――怖い。今まで相手にしてきた妖達と違う、知性を全く感じられない相手。ただ目の前の獲物を屠る事だけしか頭に無い、まさに野生の殺意を目の前にして……


 それでも、ぼくの内側にはその時……恐怖より強い感情が、すでに満たされていた。


「ぼくがもっと……いや、ほんの少しだけでも、早く駆け付けていたら」


 それは限りなく冷たくて……静かな感情。


「あの人の犬が……犠牲になる事は、なかったのに」


 怒りは無かった。ただ、ただ悲しかった……例えそれが人ではなくても、あのお婆さんにとって大切な家族の命が失われた事に変わりはない。


「ぼくは、魔法少女なのに……」


 確かに、ぼくは素人だ。樹希ちゃんなんかに比べたら、全然力不足なのは分かってる。けれど、ぼくは……月代灯夜は…………


「魔法少女なのに……守れなかった!」


 圧縮空気の壁を解放し、その勢いで魔獣を吹き飛ばす。ぎゃう、と声を上げ宙を舞いながらも、器用に態勢を立て直し着地しようとする黒い獣。


 しかし、その足が大地を掴む事はない。解放された空気の流れを起点にして、瞬時に巻き起こされた竜巻が魔獣を遥か上空へと舞い上げていたからだ。


 ウンディーネと戦った時と違い、今は十分な風を使える。それにあの巨大な水霊を持ち上げた事に比べれば、子馬サイズの魔獣など軽いものだ。


 錐揉み状態で受け身も取れないまま落下し、砂利道に叩き付けられる。並みの獣なら動けなくなるだろう衝撃。だけど、妖にとってはまだ致命傷ではない。

 魔獣はよろめきながらも、再び身を起こそうとする。


 ――――それも、計算の内だ。


 ぼくが腕を振り降ろすと、上空から凄まじい突風が吹き付けた。不自然な態勢のまま、地面に押し付けられる魔獣。


「そのまま……動くなっ!」


 こうして押さえ付け、十分弱らせれば……【封印】する事ができる。一週間の修行の中で、雷華さんから教わった妖対策の基本だ。

 もっとも実際に試した事はないし、押さえ付けている間は動けないから、応援の到着を待ってからになるけど……


 それまで魔獣の動きを封じる程の突風を維持し続けるのは、なかなかハードではある。けれど、ぼくが限界を迎える頃には向こうも相当の体力を消耗するはずだから、おあいこだ。


『とーや、どうしてやっつけちゃわないノ? 今のとーやの力ならあんなヤツ、ヘデモナイ!のに……』


 何気なく、そんな疑問を口にするしるふ。言われてみれば確かにそうだ。

 ぼくがその気になれば、あの魔獣を倒してしまう事もできるだろう。こいつはすでに人を傷つけ、ペットの犬とはいえその命を奪っている危険な妖なのだ。殺してしまっても誰も文句は言わないどころか、感謝すらされるに違いない。


 けれど、命が失われるのを目の当たりにして、ぼくが感じたのは悲しみだけだった。この魔獣を殺しても、奪われた命は戻ってこない。


 樹希ちゃんだったら、ためらわず止めを刺したに違いない。そうするのが人の世界を守護する、術者の務めなのだ。


「けれど、ぼくは――――」


 突風に逆らい身を起こそうとする魔獣を留めるべく、力を込めようとしたその時、ぼくは見た。


 茜色の空に浮かんだ、それは一振りの剣。沈みゆく太陽の光を吸って、紅に染まったそれが――――


 音もなく真っ直ぐに、魔獣の腹に突き刺さるのを。

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