第13話 覚悟の意味は

「そ……そんな……」


 身の毛もよだつ絶叫が辺りに響き渡る。突如として飛来した剣に貫かれ、地面に縫い留められた黒い魔獣。

 茫然ぼうぜんとするぼくの目の前でそれはもがき苦しみ、四肢が虚しく土を掻く。


 ――――明らかに致命傷だ。いかにあやかしといえども、この傷では助かるまい。


「ブラックドッグか……まさかこんな極東の島国に来てまで、コイツのツラを拝むなんてなァ」


 次第に力を失い、動きを止めつつある魔獣。その胴体に刺さった剣が独りでに抜け、くるくると回転しながら声の方向へと飛んでいく。


「でもまぁ、これで一丁上がりってヤツだ」


 血のように赤く染まった空に浮かぶ、箒に腰掛けたシルエット。


 間違いない。あれは昨晩ぼくの前に現れ、グレムリンを瞬殺して見せた――――謎の【魔法少女】!

 黒いとんがり帽子に短いマント、夕陽を浴びて更に赤い二本のおさげ髪。普通にしていれば愛らしい筈のその顔には、唇の端を吊り上げたガラの悪い笑みが浮かんでいる。


「――――どうしてっ!」


 その正体よりも、何故、何処から現れたのかよりも、


「どうして……こんなこと・・・・・を!」


 悲しみを塗りつぶす、理不尽への怒り。それに突き動かされ、ぼくは叫んでいた。


「こんなことォ? ひょっとして、手柄横取りされて怒ってんのか?」


 人に仇なす妖は、倒さなければならない――――それはこの一週間、散々言われてきた事だ。やらなければやられる。それも昨晩の戦いで身をもって味わった。

 だけど、ぼくには無理だ。悪いことをしたから殺していいなんて理屈は、やっぱり通しちゃいけないものだと思うんだ。


「そんなの、おめーがタラタラやってんのが悪りーんだろ?」


 多くの人命が危険に晒されている。倒さなければ、犠牲が増える――――昨日出動する前に蒼衣お姉ちゃんと樹希ちゃんの前で、ぼくは「わかった」と言った。

 実際グレムリンと相対するまで……ぼくは「できる」と思っていた。


「まァ、どうしてもって言うなら譲ってやらねーでもねーが……」


 だけど、できなかった。たとえ妖であっても、目の前の命を奪うことをぼくは躊躇し……そのせいで逆に追い込まれていたのだから。

 今ぼくの前で得意げに胸を張る、あの謎の魔法少女が割って入って来なかったら、もしかしたら大怪我をしていたかもしれない。


 覚悟が足らなかった、と言うより……覚悟の意味を理解していなかった。

妖を殺すという事を、ぼくは蚊やハエのような害虫を駆除するのと同じように考えていた。いや、そう考えようとしていた――――


「……ほら、残りの連中が出て来たぜ。あれならすぐに仕留められんだろ」


 その言葉に、はっとして振り返ると……草むらの中から“何か”が這い出してくるのが見えた。

 それは、四つのもぞもぞと蠢く真っ黒い塊。か細い鳴き声を上げながら、遅々とした歩みで……それでもまっすぐ、命尽きかけた魔獣へと向かっていく。


「あれは…………子供!?」


 ぼくは愕然とした。妖に、子供がいた……それも、つい今し方産まれたばかりといった様子の赤子が四匹も。


 それを見た時、いくつかの出来事が頭の中で一本の線に繋がれた。【門】から現れてすぐ、スタッフさんを襲い逃亡した魔獣。

 戦ってみて分かったけれど、この魔獣は強い。妖が視えて、あとはちょっとした儀式を知っている程度のスタッフさんでは全滅させられていてもおかしくない。


 なのに、魔獣は逃げた。そして人口密集地へ向かうという予測に反し、人気のないこの竹藪に身を潜めた。


 ――――魔獣は、身ごもっていた。一刻も早く、安全な場所を確保したかったのだろう。

 しかし出産を終えたその時、運悪くお婆さんの連れた犬に見つかってしまった。産後で気が立っていた魔獣は、産まれたばかりの子供を守るために……


「ガキだろうと妖は妖。キッチリ仕留めるんだな」


 ――――――――!

 何故、彼女にはこんな事が言えるのだ? 瀕死の母親にすがりつく赤子達を見て、何とも思わないのか。

 たとえ妖だとしても、その命の営みは普通の動物と変わらないというのに。


「…………できない」


「あぁ? 今なんつったテメー。まさか妖の味方をするなんて言わねーよなァ?」


 ぼくの前に、ふわりと舞い降りる魔法少女。手にした箒をくるりと回すと、それは一瞬で半分以下に縮まり、小振りな杖へと変わった。


 それを無造作に腰に差すと、彼女はつかつかとこちらに歩み寄る。そして息がかかる程の間合いでぼくを睨み付けながら、


「どけよ。オレが殺る」


 挑発的な……いや、挑発そのものの行為。ぎらぎらと輝く瞳が至近距離からぼくを射抜く。背格好は大して変わらないというのに、圧倒的な威圧感。


 少し前までのぼくなら、あっさり気圧されていたに違いない。


「…………何のつもりだ」


 けれど、退けない。退くわけにはいかない。ぼくは両手を広げて、謎の魔法少女に立ち塞がった。


「う、産まれたばかりの子供だよ! まだ何もしてないのに、殺すなんて……」


「ぁあ? 馬鹿かテメー。何かしてからじゃ遅せーから殺すんだろうが! 妖なんだぜ? そこらの犬っころとは違げーんだよ!」


 ぼくの目の前で怒りも露わにまくし立てる彼女。多分、彼女の言っている事は正しいのだろう。


「……それでも、できない。できないし……させない!」


 けれど人の為だから、正しい事だからと言いながら、抵抗すらできない弱者の命を奪う……それはどんなに正しくても、正義の味方のする事じゃない。魔法少女はそんな事絶対にしない。だって、魔法少女は……


「魔法少女は正義の味方! 力なき者の……味方だから!」


 虚勢を総動員して、そう言い放つ。その声は自分でも驚くほど、辺りに大きく響いた。

 そして言い終えたら、なんだかスッキリした。心の中に、ずっと立ち込めていた霧が晴れたみたいに。


 妖であっても……可能な限り命は救う。少なくとも、ぼく自身が責任を負える範囲で。そう決めた。今決めた。

 これが、ぼくの覚悟。魔法少女なら……きっとこうするだろうと信じたから。


 何と言われようと、今のぼくは魔法少女――――正義のスーパーヒロインなのだ。

 ……男の子なのは、まあとりあえず置いといて。 



 さて、ぼくの決意表明を聞いた謎の魔法少女は……一瞬面食らったような顔を見せると、そのままうつむいて黙りこくった。その表情は帽子のつばに隠されてうかがい知れない。


 そしてたっぷり十秒程の間を開けて…………うっ、くっ、とうめきながら肩を震わせると、不意におもてを上げ……大声で笑い出した。


「――――アッハッハッハ! 魔法少女? 正義の味方? ばっかじゃねーのオマエ!」


 ……まぁ予想はしていたけど、酷いリアクションだ。


「質だけじゃなくて、意識までレベル下がってんのかよ……ここの術者はよォ!」


 言いながら彼女はくるりと後ろを振り返り……次の瞬間、痛烈な衝撃がぼくを襲った。


「なっ……!?」


 念のため再構築しておいた空気の壁のおかげでダメージは少ない。けれど、ぼくはその壁ごと数メートル後方まで吹っ飛ばされていた。


「い、いきなり何を……」


「何を、だァ? オレの言う事に文句があるってこたァ、つまりよォ……」


 回し蹴りを放った直後の片足立ちの姿勢のまま、魔法少女は殺気を帯びた凄絶な笑みを浮かべる。


「覚悟があるって事だよなァ? このオレ様に、ぶちのめされる覚悟が!」


 振り上げた脚をそのままくの字に曲げ、何やら中国拳法のような構えを取る。どうやらぼくは、彼女の機嫌を損ねてしまったようだ……それも、最悪の形で。


「“勝負”だぜ……極東のクソ術者。テメーが勝ったら、とりあえずこの場は見逃してやる」


「ま、負けたら……?」


「あァ? そんな事、心配するまでも無ぇ」


 吊り上がった唇の端を、更に……悪魔のように歪めて、少女は嘲笑わらう。


「キッチリ止めを刺してやるからな。安心して……地獄へ墜ちろ!」


 数メートルの距離をほんの一瞬で詰め、ぼくの頭上にその踵を振り下ろす――――避けられない戦いが、すでに始まっていた。

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