第27話 お嬢様と私
ごう、と音を立ててうなる尻尾が、咄嗟に身を屈めた“私”の頭の上を真横に薙いだ。
『お嬢様!』
「分かっているわ!」
屈んだ姿勢から、伸び上がるように蹴り出される踵。それは狙い過たず怪物の顎を打ち抜いた。ぎゃっと悲鳴を上げ、もんどりうって倒れる石の怪物……いや“怪獣”か。
ここはとある石細工店の敷地の中。私とお嬢様が活性化した【門】の監視の為に訪れた時、それは起こった。
墓石や石灯籠が並ぶ中、一際異彩を放っていた高さ二メートルを超す直立した恐竜――――俗に言う“怪獣”の像が、突如として動き出したのだ。
「いわゆるガーゴイルの類ね。【門】からあふれた霊力が、丁度いい受け皿を見つけたといったところかしら」
ガーゴイル。西洋の
『それにしても、ここに何故こんな石像が……西洋では魔除けの為に悪魔の像を置くと聞きましたが』
「用は客寄せの看板みたいな物よ。細工技術のアピールも兼ねた、ね」
ぎゃおお、と一声鳴いて起き上がる石の怪獣。ぶんぶんと振り回される太い尻尾が周囲の墓石をなぎ倒す。
「とは言え、こいつの巨体はまさに凶器よ。放っておくわけにはいかないわ」
お嬢様の意識が研ぎ澄まされていくのと同時に、身体を走る霊力の流れが加速する。全身に刻まれた“呪紋”が輝きを増し、あとは術の発動を待つばかりだ。
「四方院の名に
人差し指を天にかざし、大気中の雷気を集中させる。樹希お嬢様が得意とする雷術、
「…………」
そこで、異変が生じる。お嬢様の、何か迷うような思念が伝わってきた。普段ならば一瞬の躊躇もなく雷を放っている筈が……
「……
振り上げた手を地面に叩き付け、発動したのは
怪獣の足元から幾条もの雷の縛鎖が飛び出し、石の巨体に絡みついて締め上げる。その呪縛は内部の霊力中枢にまで及び、並の妖では最早、身じろぎする事も叶わない。
それが麻痺拘束特化雷術“伏雷”の威力だ。
術の効果は申し分ない。巨大な石の怪獣は、まるで元の石像に戻ったようにぴくりとも動けなくなっている。“伏雷”の呪縛は術者が集中を続ける限り持続し、集中を解いてもなお数分は解ける事はないのだ。
恐ろしげな見た目に反して、ガーゴイルは妖としては低位の存在に過ぎない。最初から、四方院の巫女が遅れを取るような相手では無かった。
だが、ならば何故“伏雷”なのか? そのまま“拆雷”を放っていれば、一撃のもとにあの怪獣を打ち倒せただろうに……
「何か言いたそうね、雷華」
一心同体の霊装状態では、互いの心情を隠すのは難しい。思考そのものが伝わるのはある程度防げるが、わずかな感情の揺らぎまでは隠し切れない。
『いえ、ただ……お嬢様らしくないと思っただけです』
そう。これが今までの四方院樹希ならば、躊躇など微塵もなく敵を粉々に破壊し尽くしていた筈だ。自らの力を誇示する為か、あるいは日々溜まった鬱憤を晴らす為か……お嬢様は対峙した妖を殊更派手に倒す事にこだわっていた。
それが、今になって突然地味な捕縛術を使うとは。彼女に限って、これは単なる気まぐれではあり得ない。なにか心境の変化でもあったというのか?
「わ、わたしはいつも通りにやっているだけよ。ほら、この怪獣だって店の所有物じゃない。壊したらウチが賠償金を払うのよ?」
『いつもはそれも承知の上で派手に壊しているでしょう……』
何かが変わったとすれば、それはおそらく……
「こっちも新顔が増えたのだから、先達として規範を示しておく必要があるのよ。被害は最小限に留めておかないと、愛音あたりは調子に乗って暴れ放題になるわ」
灯夜様、愛音様と、相次いで出来た後輩に対する責任感。それが暴走しがちなお嬢様にとって、良い意味での足枷になっているのだろう。
元々今の天御神楽では古株の術者だったけれど、自分より若い後輩の存在が、彼女に強い影響を与えたのは間違いない。
「さて、後はこいつを封印するだけね。このまま“伏雷”を維持していれば、こっちのスタッフでも対応できるはず……って、ああっ!」
“伏雷”に縛られていた石の怪獣。その首から上が不意に崩れ落ち、ずしんと音を立てて地面にめり込んでいた。
「ちょ、え……止めを刺した覚えはないわよ!?」
呪縛の術はあくまで対象を無力化する為のもの。いかに強力であっても、それだけで致命傷を与える事は無い。ならば……
『お嬢様、あれを!』
振り返った“私”が見たのは、傍らにあった【門】が立ち消えるまさにその瞬間だった。
「なるほど。【門】からの霊力が途絶えたせいで、妖としての存在を維持できなくなったようね」
この世ならぬ者、妖が存在し続ける為には大量の霊力が必要となる。故に霊力の湧き出る【門】の
しかし、どんな妖も【門】の力を全て使える訳ではない。その膨大な霊力は人や妖の器に収まるものではなく、扱えるのは門外に溢れた分が精々。
今までどんな妖も、また人間の術者も……【門】そのものを制御するに至らなかったのはその為だ。
『この世界に妖として定着する前に、力を使い過ぎたのでしょう。どの道、長くは持たなかったと思いますが……』
妖は妖として存在するだけで、じわじわと霊力を失っていく。人や動物に近い姿を取れる者ならその消耗を抑える事もできるが、「動くことを知られた石像」ではそうもいかない。
見つかって通報された時点で、その運命は決まっていたのだろう。
“伏雷”が解除された後には、ただ立ち尽くす首のない石像だけが残った。こうなっては賠償金の支払いは避けられない。
「無駄に手間かけて損したわ……」
『対応自体は適切でした。気を落とすことはありませんよ』
事態が収束したのを見て取ったか、遠巻きに待機していたスタッフ達がこちらに集まってくる。どちらにせよ、私達のここでの仕事は終わった。
「お疲れ様です、四方院さん! 自分らだけじゃどうにもならなかったですよ! ありがとうございますっ!」
「お疲れ様、礼には及ばないわ。もっとも、わたしにはすぐに次の現場が待っているのだけれど」
「あ、その件なんですが、先程こちらに電話がありまして、何でも緊急事態だからすぐに連絡してくれと……」
緊急事態? どこか別の【門】からまた妖が現れたのだろうか。だが、それならまだ想定内の事態だ。
「緊急事態ね……まったく、ただでさえオーバーワークだっていうのに」
巫女装束の胸元の隠しから取り出された携帯には、複数回の着信を示す表示が記されていた。無論、全て情報作戦室からである。
「もしもし……」
「樹希お嬢様! やっと繋がりましたか」
数回の呼び出し音の後、電話に出たのは作戦室の主、倉橋だ。
「現在、学園周囲で妖事件の報告が相次いでます。こちらの人員だけでは対応しきれないので、お嬢様も戻ってこちらに当たって欲しいとの事です」
「妖事件? 【門】関連では無くて?」
学園にいる四方院の人員を総動員して、なお手に余る事態とは。大地の龍脈の活性化が、結果として良からぬ妖の
「はい。現在も被害が拡大しています。報告のあった地点をまとめてサイトに上げておきましたので、そちらを参照して下さい。学園から遠い場所から当たってくれると助かります」
サイトと言うのは、情報作戦室から送られたデータを閲覧できる携帯専用サイトの事だ。お嬢様の旧式の携帯では現行機種のようなアプリが使えない為、このようなサイトを経由する必要がある。
「分かったわ……倉橋、灯夜と愛音はまだそこに居る?」
「いえ、今し方出てもらったところです。繋ぎますか?」
「確認したかっただけよ。状況が状況なだけに、やっぱり出ているのね……」
お嬢様の不安が伝わってくる。まだ未熟な灯夜様と来日したばかりの愛音様。ふたりの事を案じているのだ。
『私達もすぐに向かいましょう。人手が増えれば、一人当たりの負担も減ります』
「そうね。倉橋、今から現場に向かうわ。新しい情報が入ったら伝えて」
「了解です。ご武運を」
通話を終えて、専用サイトを確認する。画面に記された地点の数を数え、ひとつため息をつくと……お嬢様は霊装を解除した。
一瞬の閃光と同時に、魂を二分される眩暈のような感覚。それが治まった時、一心同体だった私とお嬢様は再び元のふたりに戻っていた。
「お嬢様?」
「人手が足りないんでしょ。ここからは別行動を取るわ。わたしは最も近い場所、雷華は最も遠い場所から当たっていきましょう」
「ですが、それでは……」
対妖において無敵の霊装術者とはいえ、霊装なしでは普通の術者と変わらない。この事件がもし万が一高位の妖の仕業だとしたら、お嬢様の身が……
「言いたいことは分かるわ。けれど雷華……わたしの腕がそんなに信用できなくて?」
こうなってしまうと、もう一歩も引かないのが樹希お嬢様だ。
「分かりました。ですが、くれぐれも無茶をなさらぬように」
言いながら、私は背中に
翼で風を切って、私は駆ける。 陽は既に傾き、空は冷たい空気で満たされていた――――
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