第28話 決意の飛翔

「やっぱり、ここだったのね……月代君」


 ぼくは、曲がり角にいた。


「静流ちゃん! どうして、ここに――――」


 四方院別邸の敷地内、離れの防風林。木々に囲まれた細い道を抜けて。


「車折先生に聞いたの。四方院さん――――あなたのお仲間には、どこへ行けば会えますかって」


 この角を曲がれば、四方院家のヘリポート。そこにはすぐに出発できるよう待機しているヘリがある。


「まさか寮であなたの同室になっているとはね……万が一の時の為にって、ここの場所も聞いておいて正解だったわ」


 そこでぼくは、静流ちゃんに待ち伏せされていた……猛ダッシュで駆けていく愛音さん達に遅れまいと必死で追いかけている最中に、不意に現れた彼女。


「し、静流ちゃん……ぼくは」


「行かせない。あの愛音って子と一緒に、また危ない事をするつもりなんでしょ。私を助けた時みたいな無茶を、またしに行くんでしょ!」


 有無を言わせない、険しい表情。それは彼女が、静流ちゃんがどれだけぼくを気にかけてくれているのかの現れだ……けれど。


「チョット! とーやはこれから大事なお仕事があるんだヨ! 邪魔しちゃメーだヨ!」


 立ち止まったぼくを見て、静流ちゃんに突っかかっていくしるふ。 


「あなたは黙ってて! 私は月代君に話してるの!」


「ぴゃっ!?」


 だが、相手が悪い。今にも掴みかからんばかりの彼女の剣幕に押されて、数メートル近くも吹き飛ばされてしまった……気圧されるにしても、少々飛びすぎだが。


「さあ、帰りましょ。あなたがあの四方院さんや叔母おばの先生に何を言われたのかは知らないけど、そんなの関係ない。あなたをそそのかして危ない目に遭わせようとする人達になんか、従っちゃダメよ!」


 静流ちゃんは、心からぼくのためを思って言ってくれている。それは理解できるし、嬉しいとも思う。だけど、言う通りには……できない。


 彼女の言う通りにすれば、確かにぼくの身は安全だ。けれどその代わりに樹希ちゃんや愛音さんの負担は増え、結果としてあやかしによって被害を受ける人が……かつての静流ちゃんのような犠牲者が増える事を意味するのだから。


 ちらり、とヘリポートのほうを見ると、ぶんぶんと手を振って何やら叫んでいる様子の愛音さん。離陸直前のヘリが起こす爆音のせいか、何を言っているのかは分からないが……想像はできる。


「……しるふ、愛音さんに伝えて。後から飛んで追いかけるから、先に行ってて、って」


「わ、わかったヨ~!」


 飛び去っていくしるふを見送ると、ぼくは改めて静流ちゃんに向き合った。ここで彼女から逃げてしまったら、それは彼女を、彼女がぼくを思う気持ちを踏みにじる事になる。


「まだ分からないの? あなただって本当は嫌なんでしょ。私は知ってるわよ、月代君は争い事が嫌いだって。あのお友達と争うのが嫌だから、仕方なく妖怪退治に付き合っている……そうなんでしょ?」


「静流ちゃん、ぼくの話を聞いてほしいんだ……」


「言い訳するつもり? だいたいどうしてあなたが妖怪退治なんてやらなきゃいけないのよ! そんなのは四方院さん達に任せておけばいいでしょ!」


 うう、本気で怒った時の静流ちゃんは怖い……今まで何度か見てきたけど、怒りながらも正論を突き付け、冷静に相手の弱みをえぐる彼女にはクラスの誰も太刀打ちできなかったっけ。


「言い訳するつもりなんてないよっ! ただ、聞いてほしい……ううん、君に言わなきゃいけない事があるんだ!」


 そうだ、言わなきゃ。彼女をここまで怒らせたのは他ならぬぼく自身。ぼくが魔法少女になったきっかけを作った彼女と、ちゃんと話せなかったぼくのせいなんだから。 


「……言いたい事があるの? 私に? この綾乃浦静流が、何か間違った事を言ってるとでも!?」


 まっすぐぼくの目に突き刺さる、静流ちゃんの視線。今の彼女にはたして、ぼくの言葉は届くのだろうか?


 いや、それでも言わなきゃいけない。これを話さなきゃ、ぼくはこの先へは進めない。進む資格を得られない。

 静流ちゃんの沈黙を、語ることのへ承諾と解釈し……ぼくはごくりとつばを飲み込んで、再び口を開いた。


「…………お母さんが、事故に遭ったんだ。三年前に」


「え……?」


「その時の事は、実はあまりよく覚えていないんだ。お医者さんの話では、ショックで記憶が欠落したんじゃないかって」


 さすがの静流ちゃんにも、思いもよらぬ話だったのだろう。一瞬眼をぱちくりとまばたかせ、困惑の表情を浮かべる……けれどすぐに、


「それが一体、何の関係があるっていうの! 今はあなた自身のことを話しているのよ!?」


「これは、ぼく自身の話だよ。ぼくも……その場所に居たんだ。お母さんと一緒に」




 ――――何がどうしてそうなったのかは、わからない。


 ただ、ぼくが気が付いた時……お母さんは軽トラックとブロック塀の間に挟まれていた。だらりと垂れ下がった腕、その指先から滴る赤い水滴が、ぽたり、ぽたりとアスファルトに染みを作っていく。その光景だけが、ぼくの覚えている「その時」のすべてだった。


 次にぼくが目を覚ましたのは、病院のベッドの上。幸いにも、「ぼく」は軽傷で済んだらしい。入れ替わり立ち代わりする看護師さんをつかまえてお母さんの居場所を聞こうとしたけど、誰も具体的な事は話してくれなかった。

 それから数日の間、ぼくは何も知らされぬまま病室で過ごした。何度か抜け出してお母さんを探しに行こうとしたけど、その度に捕まって連れ戻された。


 そしてある日、ぼくはお母さんの両親と名乗る年配の夫婦を紹介され、その日のうちに退院することになった。

 ――――お祖父じいちゃんとお祖母ばあちゃん。会うのはこれが初めてだった。


 病院を出る前に、ぼくは二人に連れられてお母さんの病室を見ることができた。中には入れてもらえず、窓越しだったけど……何本もの点滴のチューブに繋がれて身動きひとつしない青ざめたその顔は、確かにお母さんのものだった。


 ぼくはどうしようもなく悲しくて……泣いて、叫んで、暴れた。


 聞いたのだ。ナースステーションの前で、看護師さんが話していた。「あの患者さん、自分の子をかばって事故に遭ったそうよ」と。


 …………なにも、できなかった。ぼくが何かしようと思った時には、すべては締め切られて手の届かないところへ隔離されてしまっていた。


「灯夜ちゃんのお母さんは、自分にできるいちばん良い事をしたのよ。だから、いつまでも泣いてちゃダメ。あなたがそんな顔をしてたら、お母さん恥ずかしくて起きてこられないよ?」


 お祖母ちゃんはそう言ってぼくを慰めてくれたけど、ぼくは納得できなかった。そもそもお母さんがああなったのは「ぼくのせい」じゃないか。なのにどうしてぼくだけが助かっているのか。良い事をしたお母さんが、なんであんな目に遭わなきゃならないのか。


 ――――お母さんが自分を犠牲にするだけの価値が、ぼくなんかにあるのか?


 あるわけがない。ただの子供のぼくが、お母さんみたいな立派な人間と釣り合う価値なんて……あるわけがない。


 それから、ぼくはお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家に住むことになり、近くの小学校にも通うようになった。多少のトラブルはあったけど、新しい生活にも慣れ、それがぼくの日常となっていった。


 けれど、お母さんは目覚めなかった。一年が過ぎ、それが二年、三年と続いた。


 お医者さんは「命が助かったのが奇跡」と言う。けれど、こんな残酷な奇跡があるものか。お母さんは今も薄暗い病室でチューブに繋がれたままだ。もしかしたら一生、このままかもしれない。ぼくなんかを助けたせいで、お母さんの人生は事実上、終わったも同然なのだ。




「ぼくは、ずっと自分には価値がないって思ってた。ただ見た目がいいだけの無力な子供だって。お母さんに助けられる価値なんて無かったんだって」


「月代君……」


「…………でも、やっと見つけたんだ。ぼくができる事を。他の誰かじゃ代わりにならない、ぼくにしかできない事を」


 ぐっ、と顔を上げると、そこには蒼い空があった。夕焼けに変わる直前の、どこまでも続く空。ぼくに新たな可能性を信じさせてくれた――――広大な風の世界が。  


「誰に言われたからでも、他に道が無いからでもなくて……ぼくがぼく自身で、やりたいと思ったんだ」


 遠くでエンジン音を響かせていたヘリが舞い上がっていく。その行く先は妖が跋扈ばっこする危険な場所。しかし同時に、多くの人が助けを待っている場所でもある。


「とーや~! アタシ達も行くよ~!」


 伝言役を終えて、しるふが戻ってくる。ぼくも行かなきゃならない……あの空の向こうへ。


「だから静流ちゃん、ぼくは戦うよ。ぼくに救える命があるなら、お母さんのしたことは無駄じゃない。お母さんに救われた命で、もっとたくさんの命が救えたら……」


 目を閉じて、集中する。しるふとの間にある霊力の流れ、契約によって結ばれた切れない絆に。


「そうしたらぼくは、自分を許せると思うんだ。あの時、何もできなかったぼく……無力なぼくはもういないんだって、証明できたなら!」


「月代君! あなたは――――」


「いくよしるふ! 変身っ!」


 まっすぐ飛び込んできたしるふと重なった時、ぼくの周囲を光と風が吹き荒れた。そして一呼吸ほどの間を置いて……ぼくの姿は魔法少女のそれに変わっていた。


「……行って、きます」


 大地を蹴り、瞬時にはるか上空へ飛び上がる。後ろは振り向かない。もう、言うべき事は言ったから。これでまた彼女に嫌われたとしたら、それは仕方がない。ウンディーネから彼女を助けた時だって、ぼくは嫌われるつもりでいたのだから。


 でも、静流ちゃんなら分かってくれると思う。黙って聞いていてくれたのだ。少なくとも、ぼくの思いは伝わったはず。そう信じたい。


 風の流れをたぐり寄せ、ぼくは飛翔する。少しずつ茜色に変わりつつある地平線、そのはるか彼方を目指して……。

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