第29話 藤ノ宮の双子巫女
情報作戦室は、いつになく張り詰めた空気に満ちていた。増員されてなお、悲鳴のような応対を続ける電話オペレーター達。ヒステリックにキーボードを叩く情報処理メンバー。
足元のモニターに映し出された地図。そこに表示された光点は、今もリアルタイムでその数を増やし続けている。
「今日に限って、一体どうなってるのよ……」
空調は効いているはずなのに、額にじんわりと汗が滲んでくるのを感じる。熱気あふれる職場と言えば聞こえはいいが、人命に関わる事態とあっては気の抜きようもないのだ。
昨日までが暇だったわけではない。むしろ十分すぎる忙しさだったはずだ。四方院家のメイド達は皆優秀な人材だが、それ故数には限りがある。今は非番のメンバーにも招集をかけて無理矢理回しているが、いずれ限界は来るだろう。
「月代巡査、現地のスタッフから画像が届いています。確認をお願いします」
私に声を掛けつつ、眼鏡をちゃきっ、と直す。この作戦室のチーフオペレーター、倉橋望美のお決まりの仕草だ。
彼女は、ここに本格的な情報設備が導入されるのと同時に雇われた元大手企業の
彼女のPCのモニターを覗き込むと、そこには数人の男女が路地裏で踊っているような画像が映っていた。
「ん、どれどれ……何これ、阿波踊り?」
場をなごませようという私の配慮を無言でスルーし、彼女は二枚目の画像を開く。
「こちらが、“視える”スタッフが加工を施したものです」
前と同じ画像に、上から白い線が縦横に描き足されている。
「これは、網!?」
格子状に走る線が加えられ、完成したのは網に捕らわれた男女の図だ。左右の建物の間に張られたそれが、道行く人々を絡めとっている。そこから連想されるのは……
「……蜘蛛の仕業、ね」
「現地でも同じ意見が出ています。蜘蛛系の妖……女郎蜘蛛か、アラクネか――――」
一口に蜘蛛の妖と言っても、東西合わせればそれなりの種類がいる。しかし現在起きている事態とそれを起こしうる存在となれば、それは限られてくる。
「土蜘蛛でしょうね。これだけの数の巣を一匹や二匹で張ったとは思えない。となれば、数を頼みに群れを成す土蜘蛛が関わっていると見て、ほぼ間違いないわ!」
古来から人間を恨み、事あるごとに災いをもたらしてきた土蜘蛛族。これが奴等の仕業だとしたら、その展開の速さにも納得がいく。
「だとすると……おかしいわね。望美ちゃん、報告は蜘蛛の巣だけ? 蜘蛛本体の目撃情報はないの?」
「ありません。どこの現場にも巣が残されているだけとのことです」
蜘蛛の妖が網を張るのは本来、そこに掛かった獲物から霊力を奪う為だ。だが今回、見つかるのは網と無傷の獲物ばかり……つまり、蜘蛛本体は網に獲物が掛かるのを待たずにその場を離れ、様子を見に戻る事さえしていないのだ。
「これじゃあまるで……あーし達への嫌がらせみたいじゃない!」
相手は人間を憎んで止まない妖。こうした迷惑行為を行うのも不思議という程ではないが……それにしては、いささか大掛かりにすぎる。これだけの規模で活動するならば、もっと直接的な手段で人々を傷つける事だってできる筈なのに。
「こちらが思っているより数が少ない? それとも犠牲を出す事を恐れて……?」
駄目だ。情報が少なすぎる! これだけの数の報告が上がっているのに、未だ妖の姿すら見つけられていないのだ。このまま場当たり的な対応を続けていても
「望美ちゃん、今までの目撃情報を元に、次に発生する地点の予想はできる?」
「現在、地図上では最初の地点から扇状に被害が拡がっています。警戒すべきエリアもそれに伴って拡大しているので、ポイントの特定は難しいですね」
警戒範囲が広がる程に、捜索の為の人員もより多く必要になる。奴等がそこまで考えてやっているのだとしたら、実に周到だ。
「ヘリに連絡! 灯夜達と警戒エリアを空から哨戒してもらうわ。あとそっちに“視える”スタッフを優先配置! 蜘蛛共が網を張る前に、何としても捕捉するのよ!」
これが現状で打てる最善手。でも、それだけじゃ多分……足りない。せめてもう一手、相手より先んずる為の手が欲しいところだ。
私はスマホを取り出し、幾つかの連絡先からひとつを選択する。ここは……あの二人に頼むしかない。
「月代巡査、内線です!」
電話を掛けようとした私を制止させたのは、インターホンを取ったメイドの声だ。このタイミングで上の四方院別邸からの内線、まさかとは思うけど……
「もしもし、あーしだけど?」
「月代先生ですか! 東雲恋寿なのです! その節はどうもなのです!」
――――東雲恋寿。四方院家に代々仕える東雲家の娘でメイド見習い。あと今年からは私のクラスの生徒でもある。正規のメイドが出払っている今、上の屋敷に残っているのは彼女のような見習いだけなのだ。
「どうもはいいから。で、要件はなに?」
「藤ノ宮さん達が来ているのです! なんでも『そろそろ私達が必要になる頃合でしょう』との事で……お通ししてもよろしいですか?」
予感が、当たった。
「今呼ぼうと思ってたとこよ! ソッコーで通して!」
数分後、作戦室を訪れたのは……紅白の巫女装束に身を包んだ二人の少女。藤ノ宮家が誇る双子の術者姉妹、桜と小梅だ。
「こんばんわ、先生」「お忙しいところ失礼します」
「よく来てくれたわ。早速で悪いんだけど、あなた達の力を貸してちょうだい」
学園内でも指折りの術者である彼女達には、これまでも何度か応援を頼んだ事がある。二人の祈禱は、混迷の闇を照らす光となり得るのだ。
「もとより、そのつもりですわ」「事件発生時から現在まで、分かっている事を教えて下さい」
二人に、ひと通りの経緯を説明する。門の大量発生に始まり、蜘蛛の巣の被害の拡大……そして未だ、その元凶を見つけられていないという現状を。
「成程ね。用はその蜘蛛を見つければいいって事?」「現場の土とか、蜘蛛の糸のサンプルとか……ありません、よね?」
探したいモノに近しい触媒があれば、祈禱の精度は増す。しかし残念ながら、今回それらの用意はない。サンプルを集める時間すら惜しい局面なのだ。
「ゴメンね……手掛かりだけでいいから、大至急でなんとかならない?」
「ふふ。高くつきますよ?」「それでは、床を失礼しますね」
小梅が懐から小瓶を取り出す。そしてその口から目の細かい白い砂を、床で光る蜘蛛の巣の発生地点……現在では「対処済み」の青に変わった表示の上に、さらさらと振りかけていく。
ひとつまみ分程の量で小山を作ると、隣接した表示の点に同じ事を繰り返し……地図上に扇状に広がる光点の、最も内側の点すべてに、小さな盛り砂の山々が立ち並んだ。
「じゃあ、始めましょうか……」
いつの間にか、二人の手には小ぶりの神楽鈴が握られていた。連なった涼やかな鈴の音が、作戦室にこもった熱気を瞬時に散らしていく。
「神通神妙神力加持!」「高天原に神留まり坐す……」
ひとつの
複数の術者によって紡がれる術は、霊力を多く使える反面、その制御が難しい。祝詞や念を込めるタイミングは、術者が多くなる程にズレが生じるものだからだ。
「照らし給え」「示し給え」
しかし、この双子の場合は違う。単にタイミングを合わせるに留まらず、念を込める場所を意図的にずらす事で霊力の共鳴を起こし、術自体をより高度なものへと高めていく。
「八百万の神等の眼を持ちて」「進み至る彼方より此方まで」
二人で一人。単純な足し算ではない相乗の関係……原理的には霊装術者のそれにも近い芸当を成し得るのがこの姉妹。一時期断絶の危機にあった藤ノ宮家を救った……“奇跡の双子”なのだ。
「照らし給え!」「示し給え!」
見れば、床に積まれた白砂に変化が生じていた。砂はまるで意思を持ったかのように動き出し、床面に白い航跡を描いていく。それはまるで、あみだくじの様な複雑な紋様だった。
「……ふう。大まかにだけれど、これが妖の動いた軌跡ね」「今現在の居場所までは分かりませんが……手掛かりくらいにはなるはずです」
最初の位置から、最新の報告の位置へ。その軌跡は直線的でありながら、実際の街路とは無関係に進んでいる。
「道どころか、建物をぶち抜いて進んでるじゃない! こんな移動をしてたらどうやったって痕跡が残る筈よ。いくら視えないからって……」
――――視えないから。そう、妖は普通の人間には視えない。
しかし存在する以上何かしらの痕跡は生じるし、今展開しているスタッフの中には「視える」者も少なからずいる。なのに見つからない。痕跡すら見いだせないとなれば……
「……居るのに視えないんじゃない。居ないから見えなかったのよ!」
妖は視えない。その思い込みが、ひとつの可能性をも覆い隠していた。
「望美ちゃん! 被害地域一体の下水道の図面を出して!」
時間にしておよそ十五秒。床面モニターの地図に下水道を表すラインが重なる。そしてそれは案の定……白砂の道筋と一致していた。
「現地スタッフに連絡! 妖は下水道を使って移動中!」
祈禱の間静まり返っていた作戦室に、再び喧騒が戻ってくる。藤ノ宮姉妹がもたらした反撃への糸口。ここからは……こちらが攻める番だ。
「出口を固めて! もう一匹たりとも、地上には出さないわよ!」
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