第30話 土蜘蛛の虜

 わたしは、郊外の廃工場の前に立っていた。先程作戦室からもたらされた情報では、あやかしは下水道を使って移動しているとのこと。

 いくつかの出現予想ポイントが割り出され、わたし達もそのひとつへ向かっていたのだが……その途中で偶然、この工場の異常に気づいたのだ。


「それじゃあ、ウチらは行きます。あまり無理はしないで下さいよ!」


 ここまで同行してきたスタッフ達には、別の現場に向かうよう指示済みである。適材は適所に充てるべし。そして妖退治は……四方院わたしの役目だ。


 彼等は最初渋ったものの――――こんな場所に子供をひとり置き去りにするのは、気が引けたのだろう――――結局はわたしの言葉に従い、本来の目標ポイントへと向かっていった。

 四方院の名はこういう時に便利だ。大の大人であろうとも、この業界の一人者である四方院の巫女の言葉を、無下にはできないのだから。


 車のテールランプが遠ざかっていくのを確認し、わたしは工場の敷地へと足を踏み入れる。工場は普通の建物でいえば三階建てくらい、中の広さはおそらくバスケットボールのコート程度はあるだろうか。

 敷地を囲う柵に貼られた看板を見るに、ここは数年前すでに不動産会社に売却されているらしい。おそらくは買い手が付かず建物ごと放置されているのだろう。


 そして、その建物の中央。半開きになったシャッターの奥からは……妖特有の邪悪な霊気、妖気とでもいう様な不快な空気が漏れ出していた。


 『……雷華、そちらの様子はどう?』


 今は別行動を取っている雷華に、念話で呼びかける。契約によって結ばれた霊装術者と妖の間には、魂の絆とも言うべき繋がりが存在している。現状で解除する方法の存在しないそれを利用することで、わたし達は遠距離においても意思の疎通が可能なのだ。


『お嬢様、こちらは指定されたポイントのひとつで土蜘蛛に遭遇しました。捕らえて尋問しようとしたのですが……』


 雷華の思念がわずかに曇るのを感じる。一心同体の霊装状態の時のように感情がだだ漏れになる事はないけれど、それでも何も感じないわけではない。


『逃がしたの? あなたらしくもない……』


『いえ、自害されました……まさか、ここまでの覚悟とは予想外でした』


 自害! 妖といえど、普通は死を恐れるものだ。そこまでするのは異常という他ない。


『命を捨ててでも、こちらに情報を与えたくないって事!?』 


『わかりません。確かなのは、彼等にはそうしなければならない理由があるという事だけです』


 土蜘蛛がここまで大規模に動くのは、それこそ今世紀に入って初めての事。やはり、何かあるのだ。今日の事件は今までのような散発的なそれではなく、何か大きな意思によって起こされたものではないのか?


『確かめる必要があるわね』


『……お嬢様、そちらの様子はどうなっていますか? 何か、あったのではないですか?』


 流石雷華。これだけ離れているのに……伝わってしまう。わたしがこれから、一人で妖の巣窟に乗り込もうとしている事が。


『こちらは問題ないわよ。あなたはそのまま蜘蛛を狩り出して頂戴。わたしもわたしで、出来ることをやるわ』


 でも、今はこれが最善手。土蜘蛛程度の相手にわざわざ霊装する必要もない。何より人手が足りないのだ。一心同体より、バラバラに動いたほうが効率がいいだろう。


『……分かりました。くれぐれも、無理をなさらぬよう』


 さあ、こちらはこちらで一仕事だ。ここまで分かり易く妖気を振り撒いている以上、これは誘いの罠に違いない。そこにのこのこ入って行くのは危険どころか自殺行為だ。


 だが、わたしはあえて乗り込む。安全を期すなら、工場ごと雷術で焼き払うのも手だが……それでは、求めるものは手に入らない。


「さて、お誘いに乗ってあげるとしますか。あまり待たせるのも可哀想だしね」


 瘴気を放つシャッターに近づく。半開きになった開口部は、大人なら身を屈めなければくぐれない狭さだったけれど……小柄なわたしは難なく通り抜けることができた。


 例によって中は暗い。シャッターから差し込む外の光を除けば、全くの暗闇だ。明かり取りの天窓はあるものの、すでに日が落ちかかった今の時刻では気休めにもならない。


「……居るんでしょう? お望み通り、来てあげたわよ」


 がらんとした工場内に反響する、わたしの声。よどんだ空気に混じって漂う妖気の流れに、変化はない。


 ――――待ち伏せているのは確かだ。だが、静かすぎる。多勢で囲むならば、それなりの数の気配があって然るべきなのに。


 わたしがいぶかしんだ、その刹那。突然がしゃん、とシャッターが下り、工場内は完全な闇に包まれた。こちらの退路を塞ぐ、定石の一手。


「次は、こちらの目が闇に慣れる前に奇襲ね……定番すぎて面白くもない」


 そうつぶやくのとほぼ同時に、頭の上で気配が揺らいだ。咄嗟に飛び退くと、一瞬前わたしが居た場所に太い角材が音を立てて突き刺さる。

 攻撃はそれでは終わらない。わたしの動きに合わせて、何本もの角材が意志ある者のように襲い掛かってきた。


「こんなもので、倒せるとでも……」


 闇の中であっても、的確に気配を読んで攻撃をかわす。わたしだって、その程度の修練は積んできているのだ。


 ――――しかし。


 飛びずさった先で、わたしの身体は何か異様な弾力にぶつかった。はっと身を引こうとするも、それは絡みつくようにわたしの五体を縛り、その場に釘付けにする。


「しまった!」


 それは、格子状に編まれたねばつく糸。暗闇もそこに満たされた妖気も、すべてはこの網の存在を隠す為だったのか。


「……飛んで火にいる夏の虫とは、正にこの事よのう」


 天井から、げっげっげというくぐもった嘲笑が降ってくる。見上げたわたしの目に映ったのは、闇の中でなお爛々と輝く赤い光点。


「網を張って待ち構えてみれば、掛かったのはこんな小娘ひとりとはのう……我等土蜘蛛も舐められたものよ」


 そいつは音もなくまっすぐ真下に……わたしの目の前までするすると降りてきた。天井の梁からぶら下がる、それは巨大な蜘蛛の姿。


「やはり、土蜘蛛……てっきり群れで襲ってくるものだと思っていたけど、一匹だけとは舐められたものね」


 並の土蜘蛛なら、その大きさは精々大型犬程度のサイズに留まるはずだが……目の前のこいつはそれよりも明らかに大きい。胴体だけでも二メートル近く、人間など頭から丸吞みできそうだ。土蜘蛛の中でも、上位の存在と見て間違いない。


「くく、よくもまあ大きな口が叩けるものよ。小娘、己の立場が分かっておるのか?」

 

「確かに、身動きが取れないのは認めるけど……だからといって黙らなけりゃいけない決まりは無いでしょ?」


 逆さまの姿勢のまま、蜘蛛が身体を揺らしてわらう。己の圧倒的優位を誇示せんとばかりに。


「大した度胸よ。流石は術者などと名乗るだけの事はある。糸を伝わるその霊気……貴様の髪だけでも、喰らえば百は寿命が延びようぞ」


 わたしの顔のすぐ前で、ぱきぱきと蠢く蜘蛛の牙。こいつがわたしを喰らおうとしているのは間違いない。だが――――


「解せないわね。貴方のお仲間はみんな、網を張るだけ張っては蜘蛛の子を散らすように逃げ回ってるというじゃない……貴方は、逃げなくていいのかしら?」


「ふん、土蜘蛛が八将の一角、この狭磯名サシナを兵どもと一緒にするな。そもそも此度の夜行は手ぬるいにも程がある。我等一族、人に仇なす為には命を惜しまぬというのに……」


「夜行? 貴方今、夜行と言ったの!?」


 夜行とは、言わば妖の全面攻勢に等しい。最後の夜行が確認されたのは前世紀の末。まだわたしが生まれる前のその戦いで、妖は大きく勢力を減ずる事になったと聞く。実際最近になるまで、その活動は小規模なものに終始していたというのに……


「くくく……そう、夜行ぞ。最も今宵のこれはほんの先触れに過ぎぬがな」


 蜘蛛が、赤い複眼が並ぶその顔を歪ませる。人でいえば、唇の端を吊り上げた表情にあたるのか。勝利を確信し、余裕の笑みを浮かべてでもいるのだろう。


「夜行とは、また大きく出たものね……けれど、貴方の口ぶりではまるで誰かに命じられてやってるように聞こえるわ。仮にも将を名乗る者が、供も連れずにのこのこと出て来るのも不自然ね」


「……好奇心は猫をも殺すと聞くぞ、小娘。後は餌となるだけの貴様が、そんな事を気にしてどうする?」


「気になる事は、どんな時でも気になるものよ。この夜行、貴方達土蜘蛛だけのものではないんでしょう? 裏で糸を引いているのは……貴方達を動かしているのは、誰?」


 そう、思えばおかしな事が多すぎる。今日に限って異常発生した【門】と、それに呼応するかの様に動き出した土蜘蛛。そしてこれだけの規模で動いたにもかかわらず、ほとんど犠牲者が出ていないというこの現状……


 まだ、何かある。土蜘蛛達を操り、何らかの目的を果たそうとする存在。それを突き止めれば、あるいは……


「がっがっが! 我等を動かすのは誰か、とな!」


 不意に蜘蛛がそのあぎとをがばっと開き、気味の悪い大声で笑い出す。


「冥途の土産にしてはつまらぬ事を聞くものよ。我等東の妖が従うのは、今も昔もあのお方と決まっておろう」


「あのお方……?」


「そうよ。東の妖大将……貴様も術者なら聞いたことがあろう。その強大さと……恐ろしさを!」


 東の……妖大将。それがわたしの知るあの存在と同じものだとしたら、これはもう土蜘蛛どころの騒ぎではない。関東どころか、この国そのものを揺るがしかねない大事が動き始めている事になる。


「ふふ……理解できたか。人の世の終わりを見る前に死ねる事を、この狭磯名様に感謝するのだな!」


 じりじりと迫る、巨大な蜘蛛の顎。遂に万事休す、といったところか。


「そうね……わたしとしては、もう少し貴方とのお喋りを楽しみたかったのだけれど……残念だわ」


「最期まで口の減らぬ小娘よ。だが、それもこれで――――」


 工場内にばきり、と鳴り響く破砕音。それと同時に流れ込むのは月の光と……清廉なる外気。

 下ろされていたシャッターが見る間にひしゃげ、捻じれ、ばりばりと剥ぎ取られていく。


「まったく、わたしの相方ときたら……少々過保護が過ぎるわ」


 開け放たれた出口から伸びるのは……メイド服をまとった長身のシルエット。


「お待たせしました……お変わりありませんか、お嬢様?」

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