第31話 樹希の戦い

 つかつかと、歩み寄るロングブーツの足音が響く。外界との境であったシャッターを失い、闇と瘴気に包まれていた工場内は一変した。

 見ればそこかしこに妖糸で編まれた網が仕掛けてあり、あの土蜘蛛の将とやらがいかに入念な仕込みを行っていたかが分かる。


「ぎぎ……その妖気、貴様もあやかしか!」


 心地良い闇の世界を侵され、怒りを込めて侵入者に向き直る土蜘蛛。


「助けに来てくれなんて、一言も言った覚えはないのだけど? それに、来るのもちょっと早すぎだと思うわ……雷華」


 先程も念話で……そう。文字通り“念”を押したというのに。


「お嬢様の“問題ない”が当てになった試しはありませんからね。それに、見た限りでは割と絶体絶命ではありませんか」


「ああ、これね……」


 わたしの体は今、土蜘蛛の張った網のひとつに捕らわれている。流石に妖の網。その粘着力は相当なもので、全体重をかけてもその束縛には抗えない。

 傍目はために見れば、手も足も出ない状態と言って然るべきだろう。


「雷華が来ちゃった以上、もう絶体絶命の振りをする必要もないわね」


 動かせない腕の先で、唯一自由な指をぱちん、と鳴らす。するとわたしの身体を眩しい火花が覆い、貼り付いた蜘蛛の糸が一瞬で焼け落ちた。

 体内に宿った雷気を、指向性を与えず解き放つ術――――紫電。雷術使いにおいては初歩の術だが、物は使い様である。


「何ッ、貴様!」


 あっさりと自由の身に戻ったわたしを見て、土蜘蛛は蠟梅する。


「こちらの術も知らずに勝ったつもりになるなんて、脳天気にも程があるわ。もっとも、その御蔭で幾らか情報を引き出せたのだけど」


 そう、最初からすべてはこの為だった。捕えても口を割る前に自害するような妖どもから、情報を得るにはどうしたらよいのか?

 答えは簡単だ……立場を逆にすればいい。心理的優位に立った者には、すべからくスキが生じるものだ。そこを衝き、必要な情報を喋らせる。


 相手が土蜘蛛と分かった時点で、網を使う戦術は予想できていた。わたしは対策を用意した上で、敢えて罠に飛び込んだのだ。


「これで分かったでしょ、雷華。わたしがやる事に、無茶も無謀も無いって」


「その無茶を無謀とも思わないところが心配なのです。せめて、事前にちゃんと説明を……」


「したら、止めるでしょ……あなたは」


 ふう、とため息をつく雷華。こんなやり取りを、今まで何度繰り返しただろうか。いい加減一人前の術者として認めてくれてもいいと、わたしは思うのだけど……


「ぐぐっ……貴様等ァ!」


 これで二対一。土蜘蛛はそれでも糸にぶら下がったままこちらの様子を伺っている。流石に将などと名乗った以上、後ろも見ず遁走する訳にはいかないのだろう。


「さて、こうなったからにはもう容赦はしないわよ。速攻で片付けて他に回らないと、現場の皆様の迷惑になるわ」


「ええ。始めましょうか、お嬢様」


 わたし達は、互いにゆっくりと歩み寄る。祝詞を発する前でありながら、雷華とわたしの間にはばちばちと雷気が飛び交い、それは二人を囲うように渦を巻いていく。


戦姫霊装イクサヒメノヨソヲイ!」


「了――――!」


 そして眩い電光の中で、ふたつの影は一つに重なった。雷華の姿はわたしの身体に吸い込まれるように掻き消え、紫の燐光を放つ呪紋となって全身を駆け巡る。

 同時に着ていた制服は一瞬で分解されて、動きやすく布地を減らした巫女装束へと再構成されていく。


 ものの数秒もかからず、わたしと雷華は霊装を完了していた。


「その姿……もしや貴様が四方院! 妖遣あやかしつかいの四方院か!」


「あら、ウチの家をご存知とはね。それなら、勝ち目が無いって事も解ると思うけど?」


「ほざくな、小娘ッ!」


 土蜘蛛は糸を伝って回転しながら天井まで上昇していく。それを追わんと両足に力を入れようとした、その時。

 周囲の壁に立て掛けてあった角材――――家の柱に使われるような、太くて長い――――が、四方からがらがらと音を立ててこちらに倒れ込んできた。


「今更、こんなもので!」


『いえ、お嬢様。私達が避けようと動けば、周りに張られた網に引っ掛かる仕掛けです』


 そうか。真正面からでは勝てずとも、この廃工場には奴が張り巡らせた罠の数々が残っている。上手くめれば勝機ありと踏んだわけか。


「――――洒落臭しゃらくさい! 雷華、獣身通・王虎!」『了』


 わたしの両腕が瞬時に黒き虎のそれへと変わる。雷華の反応ははやい。一心同体とは言え、こちらの思考まで先読みされているようだ。

 有り難い反面、少しもやもやする。彼女にとって四方院樹希とは、そこまで分かり易い人間だというのか……


 いや、今はそんな事を思い悩む時ではない。わたしは倒れ来る柱の一本を両手で掴み、力任せに振り回す。倒壊する勢いを上回る力で弾かれた柱達は放射状に倒れ、その何本かは工場の壁を突き破る。轟音と振動にコンクリートの床には亀裂が入り、土蜘蛛がぶら下がる天井の梁をも大きく揺さぶった。


「こ、小癪こしゃくな!」


 梁に繋がった支点からぐるぐると振り回されながらも、必死に態勢を整えようとする土蜘蛛。もはや先程までの余裕は微塵もない。


「ひとつ、聞いてもいいかしら……貴方、人間は好き?」


 両手で握った柱をバッターボックスに入った打者のように振りかぶると、わたしは妖に問いかける。


「な、何故その様な事を聞く!?」


「わたしの友人のひとりが言っていたのよ。妖であっても無闇に殺すのは良くない。仲良くできるならその方がいい……ってね。貴方にもしその気があるのなら、命だけは助けてあげてもいいわ」


 考えば考える程に、甘ったるい理想だ。人間に善人や悪人が存在するように、妖にも危険な者とそうでない者がいる――――


 それは、あまりに希望的観測に過ぎる。人が凶暴な猛獣と対話できないように、明らかな敵意を持って襲ってくる妖と和解するなど、ある意味倒すよりも難しい。

 この土蜘蛛のように、古代史の時代から人を憎み続けている妖だって少なくはない。このような手合いに、下手な情けは逆効果ですらあるのだ。


 だから、答えは聞くまでもない。そんな事は分かり切っている。それを、敢えて問うたのは……


「がっがっ! 好きに決まっておろう! 貴様等人間は我等が供物。血も肉もその霊力も、余す所無く大好物よ!」


 梁の上まで登り、天井に張られた細い鉄骨を数本もぎ取ると、土蜘蛛は吠えた。命乞いするどころか、ますます敵意を燃え上がらせて。


「そう……安心したわ」


 確認、するためだ。これからわたしが行うのが……無益な殺生でないことを。あの月代灯夜がこれを知った時に、胸を張ってそう言い返せるように。


 今まで多くの妖をたおしてきた事を、後悔するつもりはない。だが彼の優しさに、あるべき正しさを感じてしまったのもまた……事実。

 だから、確証が欲しかった。わたしがしてきた事と、これから行う事。それもまた、正しいのだという確信が。


『お嬢様、来ます!』


 土蜘蛛はその脚で器用に鉄骨をつかみ、こちらに投じてくる。苦し紛れの攻撃とはいえ、当たれば致命傷だ。


「分かって――――」


 柱をぶん、と振り回し、鉄骨をすべて叩き落とす。その勢いのまま一回転すると、わたしは掴んだ柱を槍投げのように、蜘蛛の乗った天井の梁へと投げつけた。


「――――いるわ!」


 瞬時に眼前へと迫る柱の先端に、怯え狼狽うろたえる蜘蛛の姿。一瞬後、奴がばらばらに弾け飛ぶ様を想像し……わたしはほくそ笑んだ。


『!!』


 工場内に響く、ばきっ! という鋭い破砕音。同時に辺りに飛び散った破片は、すべてわたしが投げた柱のものだ。蜘蛛の残骸は……含まれていない。


「なっ、防がれたというの!? いくらでかいとは言え、土蜘蛛にそんな力は……」


『いえ、お嬢様……どうやら新手のお出ましのようです』


 舞い上がった埃が晴れた時、頭上の梁には土蜘蛛と……一人の男が立っていた。


「へへ、邪魔して悪いなァ……嬢ちゃん」


 乱れた白髪頭の、痩せぎすの男。派手な装飾のジャケットを肩から羽織り、こちらを見下ろす視線は……ぎらぎらとした狂気をまとっている。


「――――が、我捨か! 此奴が、この小娘がこそが四方院! 貴様が受け持った妖遣いぞ!!」


 こちらを指差し、ヒステリックにわめく土蜘蛛。それに対し、我捨と呼ばれた男は……冷徹な薄ら笑いで応じた。


「へェ……土蜘蛛のセンパイが持て余すって事ァ、そこそこ使えるって話は嘘じゃねェんだな」


 一見して、歓楽街をうろつくチンピラのような風体。しかしその痩身からは、かたわらの土蜘蛛を遥かに凌ぐ妖気が漏れ出している。


「雷華、こいつは……」


『はい。おそらくは――――【憑依】かと』




 既に陽は沈み、辺りに冷たい空気が満ちる中。


 わたしの戦いは、新たなる局面を迎えていた……。

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