第9話 術者たちのゴールデンウイーク、1

「――――そう、分かったわ。くれぐれも灯夜より先にボロを出したりしない事。こっちは大丈夫。また後で」


「イツキ、雷華ちゃんは何だって?」


 いけない、また声に出してしまっていた――――霊装術者が契約したあやかしとの連絡に用いる“念話”は、文字通り頭の中で念じるだけで相手と意思の疎通が可能になる術。

 本来口で言葉を発する必要は全くないのだけれど……単独行動をしている時のクセでつい、うっかりである。


「何でもありませんよ。定期連絡みたいなものです」


「そうなの? 何か灯夜がどうとか言ってなかった?」


 背を向けて床にしゃがんだ姿勢のままわたしに問い掛けてくるのは、月代蒼衣つきしろあおい巡査。警視庁特殊事案対策室第一分室の暫定室長を務める、二十代もそろそろ後半の女性である。


「灯夜達も今日は学園から出ているでしょう? あなたもたまには休日を楽しみなさいとか、そういう話ですよ……先生」


 わたしは彼女を巡査ではなく、先生と呼ぶ。彼女は学園に教師として在籍しており、昨年度はわたしの担任だった。その名残なごりである。

 今のところ、わたしも彼女も呼び方を改める必要を特に感じてはいない。


「そうよねぇ……雷華ちゃんが妖といっても、休みのひとつも無けりゃやってらんないわよね。ましてや今はゴールデンウイーク、休めないほうがどうかしてるのよね……フフ、フヒヒ……」


 床から集めた粉末をサンプル容器に詰めながら、肩を震わせ不気味に笑う彼女……そう、わたし達は残念ながら、遊びでここに居る訳ではない。

 渋谷のオフィス街のとあるビルの屋上。そこで昨夜行われたという、大規模な儀式魔術の痕跡を調査するのが……わたし、四方院樹希の今回の“仕事”なのだ。


「そんなに休みたいのなら、休んでおけば良いんですよ。そもそもこの事件だって、上は事件として見ていないんでしょう?」


「はあ、そこなのよねー。本部の霊力計は明らかに異常な数値を出してるし、街の上空に魔法陣がって目撃情報もある。なのに、被害届けが出てないから事件性はナシって……まったく、警視庁の上層部って奴はどいつもこいつも脳がんでるんじゃないの!?」


 先生が怒る気持ちは分かる。結局、警察と言えど所詮はお役所でしかないのだ。事が起こって、被害が出てからでなければ動けない……今回の事件だって、本来なら異変が起きた夜のうちに手を打つべき案件の筈だ。


 それが、目に見える被害が無いからという理由で流され……しまいには計器の異常だの通報に信憑性が無いだのという話になってしまっている。まるで、最初から何も起きていないと言わんばかりに。


「妖の事件が恐いのは、見えない内に被害が広がるからだってのに。本部長が話を通してくれなきゃ、こうして捜査する事だって許してもらえなかった所なんだから」


「ええ。けれどこうして痕跡が見つかった以上、事件性はアリになった筈。流石に知らぬ存ぜぬでは通せないと思いますが……」


 わたし達の足元に描かれているのは、薄れて消えかけているものの……確かに魔法陣のたぐいであるのは間違いない。

 何者かがここで何らかの儀式を行っていた揺るぎない証拠だ。


「どうだかねぇ……一応報告は上げてあるけど、本格的に人を使うにはまだ足りないと思うわ。『何らかの魔術的儀式が行われたが、それは失敗した』ってのが本部の見解。緊急性がある事件ヤマかどうかは、この魔法陣を詳しく調べてみないとね」


 そう、儀式は確かに行われている。目撃者の証言では、街全体を覆う程の巨大な魔法陣が上空に現れ、その直後に何か獣が吠えるような怪音を聞いたという話だ。

 しかし……異変はそのわずか数分の間のみで終わっていた。その後この渋谷の街は何事もなく朝を迎え、こうしてわたし達が訪れるまで、事件らしい事件は何も起こっていない。


「それにしたって、何でまたこんな都会のド真ん中で儀式をしたのやら。まさか本当に怪獣でも呼び出そうとしてたのかねぇ?」


「一体誰が、何の目的で……そして、儀式自体の成否。分からない事だらけです。この陣を調べるにも、描いた者を探すにも、わたし達だけでは……」


 ここに居るのは己のカンに従い、まだ立件されていない事件の捜査に乗り出した先生と……たまたま暇だったからという理由で駆り出されたわたしの二人だけ。

 一応本部から許可は受けているものの、正規の活動ではない為警察の人員は動かせないのだ。


 ――――四方院家のメイド部隊を動員する、というのも不可能ではないのだけれど、万が一空振りに終わった場合……その動員費用は先生がポケットマネーで支払う事になる。

 人件費だけならまだしも、ヘリやドローンといった装備まで含めると相当な額だ。非正規公務員の先生がぽんと出せる物ではない。


「なぁに、そろそろ応援が到着する頃よ。桜が来てくれればここの調査もはかどるし……ちょっと不安ではあるけど、犯人探しは“あの娘達”にやってもらうわ」


 そうなると彼女が動かせるのは、わたしの様な学生の術者に限られる。学園と政府の間での取り決めにより、在学中の術者に限っては奉仕活動の一環として無報酬で応援を要請する事が可能なのだ。


 もっとも、これはあくまで要請であって強制という訳ではない。学生の術者が皆、わたしの様に意識が高いはずも無く……結果、招集に応じる面子は限られてくる。


「桜はともかく、本当にあの先輩方がここに来るんですか? ゴールデンウイークを潰してまでこちらに協力する人達とは思えないですけど」


「来るわよ。進学してすぐ謹慎になったせいで、あの娘達のゴールデンウイークは補習漬けなの。一日でも学園から離れられるならって、喜んでOKしてくれたわ」


「そ、そうですか……」


 人手が欲しいのは確かだけれど、わたしはやはりあの先輩方の手を借りることには抵抗がある。術者としての実力は低い訳ではなく、むしろ高いと言える程なのだが……それ故に御しがたいという一面も内包しているからだ。

 暴走でもされたら、こちらの手に負えなくなる危険は充分以上。敵以上に厄介な味方とはこの事か。


「おっと、噂をすれば。ハ~イ、オハヨウみんな~! 遠いところオツカレ~!」


 開け放たれたままの扉をくぐって現れたのは、思い思いの私服に身を包んだ少女たち。先頭に立ってまっすぐ歩いて来るのは、小豆色あずきいろのブレザーに同色のベレー帽を被った、如何にもお嬢様然とした装いの娘。


「おはようございます、蒼衣先生……と、樹希。朝早くからお疲れ様です」


「おはよう、桜……あなたも災難ね」


 ――――藤ノ宮桜ふじのみやさくら。わたしのクラスメイトであり、魔術儀式や祭事に造詣ぞうけいが深い藤ノ宮家の術者だ。

 いつもは双子の妹と行動を共にすることが多い彼女だが、その妹の小梅は灯夜達と遊びに行ったため不在。一緒に付き合っていればこうして呼び出される事もなかっただろうに……まさに災難である。


 彼女の後に続くのは、すみれ色のワンピースを着た小柄な少女。短めのボブカットの髪と相まって、幼く見えるが……これでも私より二つ上の高校生だ。

 名前は呑香由衣どんこゆい。稲荷を信奉し、管狐くだぎつねを操る一族の生まれで、くだんの先輩方の中では唯一、最初からこの学園に在籍していた術者である。


「……」


 無表情な上に極端に無口なせいで、彼女の思惑おもわくは読みづらい。そもそもわたしは、あの少女が口を開いているところをまだ見た事がないのだ。


「おはよセンセー! それに四方院のお嬢様。なんや、朝っぱらから浮かない顔してまんなぁ?」


 そして無駄によく通るキンキンと耳障りな声を響かせ、足取り軽く近づいて来るのは……まるで針金のような長身の女。


 軽薄を絵に描いたような金染めの髪を肩で束ね、前で結んだシャツからはこれ見よがしに豊かな胸元を覗かせている。

 タイトな黒革のボトムスがくるぶし丈のブーツと相まって脚の細長さを強調し、まるで雑誌のモデルか何かのような気取った印象を周囲に振り撒いている――――一言で言うなら、いけ好かない女。


「せっかくのゴールデンウイークなんや。気分だけでも上げていかなぁ……あかんで?」


 ただでさえ細い目を更に細めて、にやにやとかんさわる笑みを浮かべるこの女こそ、高等部における問題児の一角なのだ。


「わたし達はここに、遊びに来た訳じゃない……それは理解しているのかしら、灰戸はいど先輩」 


 灰戸一葉かずは――――親の転勤に合わせたという名目で去年、学園に転入してきた……“西”の術者。


「あれ、ちょっと……ミイナはどうしたの? たしか、一緒に電車に乗ったって言ってたわよね!?」


 先生が不意に素っ頓狂とんきょうな声を上げる。言われてみれば、居ない。高等部の術者の中で最も後に学園入りした生徒であり――――同時に最大の脅威と化した、あの女が。


「やれやれだわ……最初からこれじゃあ、先が思いやられるというものよ」


 燦々さんさんと降り注ぐ朝の陽射しを浴びながらも……わたしの心中には、既に暗雲が立ち込めていたのだった。

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