第8話 ノイと灯夜

「トーヤは男の子なのに、どうして女の子の格好をしてるんだよ?」


「…………え?」


 時はさらにさかのぼって、四月の頭。それは【すたれ神】戦の後入院していたぼくが、たちばな寮に戻ってきた時の話だ。

 がらんとした寮のロビーで不意に放たれたノイちゃんの質問に……ぼくは心臓をわし掴みにされるような衝撃を受けた。


「な……何を言っているのかなノイちゃん? ぼくはこのとおり、どこからどう見ても普通の――――」


「男の子だよ。ノイも最初は女の子かと思ったけど、匂いが違う。周りが女の子ばっかりだから、逆に目立つんだよ」


 匂い! そうだ、彼女は猫の妖精……少なくとも猫並か、それ以上の嗅覚を持っていてもおかしくはない。


「う、うう……」


「別に、男の子なのが悪いって言ってるんじゃないよ。他のみんなが誰も突っ込まないから、どうしてかなと思っただけ」


 金色の瞳を好奇心できらきらと輝かせながら、ぼくの顔をじっと見つめてくるノイちゃん。相変わらずその表情は読みづらいけど……そのまっすぐな眼差まなざしに、悪意のたぐいが混ざっているとは思えない。


 ――――だったら、いっそ。


「だ、黙っててごめんっ! けれど、この事はみんなには内緒にして欲しいんだ!」


 言いながら、腰を九十度近く折り曲げて頭を下げる。正体を見破られてしまった以上、あとはそれが広まらないようにお願いするしかない!


「男の子だって事がバレると、ぼくはこの学園に居られなくなっちゃうんだ。だから……お願いっ!」


 勝手な言い分だというのは分かってる。友達が性別を偽っていたなんて、絶交以前にドン引きする案件だ。どんな事情があるにせよ、親しい人を騙すなんて決して褒められた行為じゃない。

 先に裏切ったのはぼくの方。彼女がどんな答えを返そうとも、ぼくにできるのは、こうして頭を下げてお願いする事だけなのだから――――


「……ふーん、そうなんだ。じゃあ、内緒にするんだよ」


「えっ、いいの!?」 


 拍子抜けするほどあっさりと、ノイちゃんは答える。まるで最初から、ぼくの性別なんか気にもしていないかのように……


「トーヤはノイの友達なんだよ。友達の秘密は、守るのが当たり前……あやかしと人間でも、それは変わらないんだよ?」


 妖と――――人間。その言葉を聞いた時、ぼくは思わずはっとした。気付いたのだ。ぼくとノイちゃんの間には、性別よりも大きな壁がそびえ立っていたという事を。

 そして……彼女はその壁を軽く乗り越えて、ぼくに手を差し伸べてくれたのだという事も。


 ノイちゃんにとって、ぼくが女の子かどうかなんて問題じゃなかったんだ。そんな事は百も承知で、それでも友達になってくれた。


「あ……ありがとう、ノイちゃん。うう、本当に……本当にありがと……」


「トーヤ? 何、泣いてるんだよ?」


 ぽろぽろと、こぼれ落ちる涙が止まらない。これで、男の子だという事を隠している罪が消えたわけじゃない。それは分かってる。


 けれど、ぼくはその時……ノイちゃんにだけは、許されたって思うことができたんだ――――。




「――――なるほど、事の経緯は分かったわ。ところで灯夜、あなたはどうしてそれをわたしに黙っていたのかしら?」


「恐らく、そうやって殺気を込めた目で睨まれるのが怖かったのでしょうね……お嬢様に」


「イツキ達もトーヤの秘密を知っていたんだね。納得したんだよ……家があるのに、わざわざ寮に入った理由はそれなんだね」


 そして、時は遠征前日へと戻る。ダブルブッキング計画について話していたぼくと樹希ちゃん、雷華さんの前に現れた――――ノイちゃん。


 ぼくは計画を実行するにあたって障害になると目された彼女が、実はすでに秘密を共有する同志である事を……鬼のような形相の樹希ちゃんの前で必死に説明していたのだ。


「いいこと灯夜、あなたの正体がバレるとわたしも先生も、みんなが迷惑するの! 今回は相手が相手だから仕方ないとはいえ、それを今までずっと黙ってるなんて有り得ない! あなた、報告連絡相談という言葉を知らない訳じゃないわよね?」


「うう、ごめんなさい……」


「お嬢様、もうその位でいいでしょう。灯夜様も反省しているようですし……一度懲りれば、二度同じ過ちを繰り返したりはしない筈……ですよね、灯夜様?」


 雷華さんの問いかけにこくこくとうなづくぼくを見て、樹希ちゃんは大きくため息をついた。


「分かったわ。今回だけは不問にしてあげる。その代わり、後で蒼衣先生にもちゃんとこの事を話すのよ?」


「うん。ありがと……樹希ちゃん」


 ――――こうして新たにノイちゃんを協力者に加え、ダブルブッキング計画は一応の完成を見る事になる。

 ぼくの知るちかちゃん達一行の情報を雷華さんに教え、愛音ちゃん達から明日の予定コースをそれとなく聞き出し、完璧とまではいかないけど、入れ替わりのスケジュールを含めた一日の行動予定表を仕上げる事ができたのだ。


 そして今。池袋駅の女子トイレ内でぼくはぼくに化けた雷華さんと待ち合わせ、最初の入れ替わりを実行する段階に来ていた。


「こちらの組は最初に映画館でしたね。それでは携帯をお預かりします。映画が終わったら連絡しますので」


「はい、お願いします」


 見た目は完全にぼくの雷華さんに、ぼくのスマホを渡す。S組側のぼくはこれを使っていないと怪しまれるからだ。

 これは入学祝いに買って貰ったスマホで、ちかちゃん達に見せた事はない。だからそっち側のぼくは仕事用のスマホで代用しても問題ないのである。


「それでは、行きます……ご武運を」


 かちゃりとドアを開け、個室を後にするもう一人のぼく。再び閉じたドアにそうっと鍵を掛けて、ぼくはトイレの隅に置かれた小振りのリュックサックの紐を解く。


「ぷはー! やっと出られたヨ~! べつにアタシまで荷物にしなくってもイイのに~!」


 飛び出してきたしるふを尻目に、ぼくはリュックの中身を確認する。入っていたのはお気に入りのグレーのパーカーとデニムのジーンズ、そして使い古した運動靴。

 ここ一か月身に着けることの無かった、男の子の服装だ。


「よし、これで一日……切り抜けてみせる!」


 素早く着替えたぼくは脱いだ服をリュックに詰め込み、それを背負って女子トイレから脱出した。あえてパーカーのフードは被らずにいたおかげで、目立ちはしたけど怪しまれずには済んだ。


 後は人気のない場所に移動し、変身して渋谷を目指す。向こうに着いたらまた目立たない所で変身を解き、何食わぬ顔でちかちゃん達に合流するという寸法である。


「いくよしるふ。まずは変身できる場所を探すよっ!」


「アイアイサ~!」



 ……こうして、ぼくのダブルブッキング計画はスタートした。この行動がもたらす運命のうねりが、世界にどんな影響を与える事になるのか。


 それに気を留める者は、まだ誰もいなかったのである――――。

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