第7話 ダブルブッキングの魔法

 ――――獣身通・化生狸ばけだぬき。それは雷華さんの持つぬえの妖力のひとつで、周囲の人にいわゆる“幻覚”を見せる事ができるという。

 その力を使えば……さっき彼女が樹希ちゃんに化けていたように、他人そっくりに変身する事も可能なのだ。


「ただ、【化生狸】は【天狐】と違って、それ程強力な幻術ではないの。霊力の高い者にはもちろん、普通の人間にだってキッカケ次第で見破られてしまう……それがなければ完全無欠の術なのだけれど、世の中そう上手くはいかないものね」


 樹希ちゃんがため息まじりに語る。この前の【すたれ神】戦で使ったという獣身通・天狐は、わずか一秒だけ看破不能の幻を見せる術だった。化生狸のように見破られる心配はないけど、幻の持続時間は圧倒的に短い。

 同じ幻術とはいえ、有効な場面はそれぞれ異なるということだろう。


「この術で雷華さんがぼくに化ければ、ぼくが同時に別の場所に存在することも可能になる。見破られる危険はあるかもしれないけど、映画館みたいに他のみんなと絡む機会の少ない場所で交代してもらうようにすれば……一日で二つのイベントをこなす事だって!」


 本来不可能なダブルブッキングさえも実現してしまう、神秘の術――――これは、まさに魔法じゃないか。 

 雷華さんも獣身通を使えば空を飛んで移動できるし、入れ替わりのタイミングは携帯でその都度連絡し合えば……よし、いける!


「日頃お嬢様がお世話になっていますからね。私としても協力は惜しまないつもりですが……いくつか、対策すべき問題点があります」


 微笑みながらも、雷華さんはぼくの目をまっすぐ見つめて……続ける。


「まず、私自身が灯夜様になり切る事……出会ってから日は浅いとはいえ、灯夜様の人となりは私なりに把握しているつもりです。同じようにこの学園で灯夜様と知り合った方相手ならば、まず怪しまれる事はないでしょう。しかし……」


「そうか! 静流ちゃんみたいに昔からぼくを知ってる人には、偽物だってバレちゃうかもしれないのか……」


 一年S組の中で唯一、ぼくの過去を知っている静流ちゃん。けれど、この学園に来てからはお互い、何かと意識し合ってしまい……結果、顔を合わせてもほとんど会話もないというもやもやした関係が続いている。


 今回の遠征で、できればそのあたりの人間関係を改善したかったのだけど、逆に今の微妙に空いた距離はこの入れ替わり作戦に有利に働くだろう。

 ……ちょっと寂しいけど、この埋め合わせは必ずするからねっ!


「静流様もですが、問題は灯夜様の郷里きょうりのご学友の方です。流石の私も、会った事も無い方々の前でかつての……“男の子”だった頃の灯夜様を演じ切る自信はありません」


 雷華さんが言うのももっともだ。そもそも彼女に出会ったのはしるふと契約し、魔法少女になった後の話。普通の男の子として暮らしていた頃のぼくを知らないのは当然である。

 っていうか、さらっと今はもう男の子じゃないような言い方をしないで……


「別にそこまで気にする事はないんじゃないの、雷華。会わなくなってもう一か月経つんでしょ? 多分向こうも細かいとこまで覚えていないわ」


「いやいや、まだ一か月だし! それに、ぼくはすぐ忘れられるような、その…………見た目じゃないし」


「つまり、見た目さえクリアすれば特に問題はないって事でしょうが。所詮しょせん、たかだか一日遊ぶだけの相手。名前とか趣味くらい覚えておけば充分よ」


 うう、何か言い返したいけど……思えば小学生時代のぼくって、見た目以外はとりたてて語る事のないごくごく平凡な人間だったっけ。


「それと、もう一つの問題は……灯夜様のクラスが“特別”である事。霊力が高い方は幻術を見破る可能性も高くなるというのは、お嬢様が話された通りです」


「で、でも雷華さんは、怪しまれる事はないって……」


「はい。私はそういった手合いも今まで何度となく術にかけてきましたから。相手が人間であれば、愛音様や小梅様といった現役の術者相手でもだまし通す自信はあります。ですが――――」


 頼もしいけど、なんかちょっと怖い話でもある……と思ったその時、彼女は不意に表情を曇らせた。


「唯一、妖であるノイ様は別です。猫の妖である彼女の人外の感覚をもってすれば、目くらましの幻術を見破るなどたやすい事でしょう」  


 ――――ノイちゃん! そうだった……S組の生徒の中で唯一、彼女は人間じゃない。ケット・シーとかいう猫の妖なのだ。

 その嗅覚にかかれば、見た目だけの幻なんてひとたまりもない。


「彼女をどうにかしない限り、このくわだては上手くいかないでしょう。ここは賄賂わいろを送って懐柔かいじゅうするか、もしくは不慮の事故にでもって頂くか……」


「雷華……その言い方、悪巧わるだくみの話にしか聞こえないのだけど」


「何をおっしゃいますかお嬢様。はかりごととは、事の善悪にかかわらず非情なものなのです」


 うーん、雷華さんが危惧きぐするのはわかる。同じ妖として、ノイちゃんの能力の恐ろしさは充分に把握しているという事なのだろう。


 ――――けれど。


「ノイちゃんなら……大丈夫だと思う」


「は? 灯夜、あなた何を根拠にそんな事を?」


「えっと、その……言いづらいっていうか、まだ言ってなかった事なんだけど……」


 そう。これはまだ、樹希ちゃん達にも誰にも話していない事――――できればずっと、秘密にしておきたかった事実。


「あのね、実はぼく、ノイちゃんに――――」


「秘密を知られてしまったんだ……だよね、トーヤ?」


「!!」


 不意に頭の上から投げかけられた言葉に、一瞬心臓が止まりそうになる。背後で木の枝ががさりと音を立て、何か黒い塊のようなものがぼくの足元に降り立った。


「……盗み聞きとは、褒められた趣味じゃないわね。主がアレだと、使い魔も行儀が悪くなるのかしら?」


 樹希ちゃんの言葉に、ひるむ様子もなく歩き出すそれは……猫。つやつやとした射干玉ぬばたまの毛並みが美しい、優雅な黒猫だった。


「別に聞こうと思った訳じゃないよ。聞こえる所で話しているから、聞こえちゃっただけ」


 その小さな口元から流れ出す、流暢りゅうちょうな日本語。猫の声帯から出しているとは思えない、自然な声だ。


「だからね、話の流れは分かるんだよ。どうやら……ノイの話題で盛り上がってたみたいなんだね?」


 黒猫の姿がゆらりと揺らぎ……次の瞬間、そこにはショートパンツ型の制服を身に付けた女の子が立っていた。

 片目が隠れるように伸ばした前髪と、その隙間から覗く金色の瞳。どことなく猫っぽい印象を残した神秘的な少女――――ノイ・グリムウェル。


「だったら、混ぜて欲しいんだよ。本人がいない所であれこれ言われるのって……ちょっと、くすぐったいんだよ?」


 否が応にも緊迫する空気の中、何事もないように静かな笑みを浮かべたたずむ彼女……魔法のダブルブッキング計画完成の前には、まだひとつ越えなきゃいけないハードルがあるみたいだ――――。

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