第19話 橘寮の寮母さん

 寮のロビーから風情のある幅広い階段を上る。三階建てのお洒落しゃれな建物の二階、そこの五号室がぼくに割り当てられた部屋だ。


「ここの角はフリースペースだから、お友達と好きに使ってくださいね。お手洗いは階段の横にありま~す」


 にこにこと笑みを振りきながら、上機嫌で案内してくれるのは……君鳥きみどり温子あつこさん。このたちばな寮の寮母さんだ。


 ふわっとウェーブのかかったココアブラウンの髪に絶えず柔らかい微笑みを浮かべた、エプロン姿の家庭的な女性。

 歳は車折先生と同じだそうで、ふたりはこの学園の同期……そして術者仲間でもあったと言う。


 あった、と過去形になるのは……彼女が杖をつき、左足を引きずるように歩いている事に起因する。何でも事故で足を痛めてしまい、現役引退を余儀なくされたという話だ。


「は~い。205号室はこちらで~す」


 君鳥さんが指さした、これまた風情がある大きな木製のドアには……「205」と書かれた金色のプレートが輝いている。

 その下には入居者の名前を入れる表札?的なスペースが二つあり、今はその両方が空欄くうらんとなっていた。


「ここに名札を入れま~す。はい、これでこの部屋は月代灯夜さんの部屋になりましたよ~」


「あ、ありがとうございます……」


 終始、心から嬉しそうににこにこ対応してくれる君鳥さん。見ていると何だかこっちの顔もにやけてしまいそうだ。

 ぼくの事を「思っていたより、ずぅ~っと可愛い子が来てくれて嬉しいのです~」と語っていた彼女。車折先生からぼくの性別は聞いているはずなのに、そっちにはツッコミ無しなのが逆に不安になるけど……


「おい、いいから早くドアを開けろ……」


 衣装ケースを抱えた車折先生が後ろからせっついてくる。そうだ、先生に荷物を持ってもらっていたのだ。

 いかに大人とは言え、女性に力仕事をさせるのは男子としてちょっぴり申し訳ない。


 君鳥さんに貰ったカギを差し込み、がちゃりとドアを開けると……そこに広がるのは床一面にフローリングが敷かれた広々とした部屋だった。

 実際の広さは八畳くらいだと思うけど、家具らしい家具は部屋の両角に離して置かれた二対の机とベッドくらいなので、余計に広く見えるのかも。


 そう、家具は二対ある。すなわちそれは……ここが二人部屋であるという事実を示していた。


「同室になる子はまだ準備ができていないみたいなの~。でも、近いうちに来ると思うから、心配ないわよ~」


 …………いや、心配だ。例によってこの学園のルールでは、寮に入る生徒は基本的に二人部屋で共同生活を送る事になっている。

 それは正体を偽って入学してきたぼくにも容赦なく適用されるわけで……つまるところ、ぼくはこれから女の子と一緒の部屋で暮らしていくことになる――――男子である事を隠したままで!


 同室になる子の人選は蒼衣お姉ちゃんに一任してあるから、ある程度の便宜べんぎははかってくれると思うのだけど……それでも、女子と同じ部屋で寝起きしなきゃいけないという宿命からは逃れられない。


 いち男子として、ここは喜ぶべきポイントかもしれないけど……男子だとバレてはいけない時点で台無しというか、ハードルが高すぎる。


「荷物はここでいいな? 置くぞ」


「あっ、はい!」


 ドアの脇にどかっ、と衣装ケースを降ろす車折先生。このケースの中には学園内でのあらゆるシチュエーションに対応するための……女の子の服が詰まっている。

 ぼくとしてはできれば開けたくない代物なのだけど……いずれ必要となる日も来てしまうのだろう。


「よし……私は帰るが、また何かあったら遠慮なく言えよ。学園内の事なら、力になれる筈だ」


「えぇ~もう帰っちゃうの? お茶れるから少しゆっくりしていってよ~」


 ぼくが返事をするより、君鳥さんが反応する方が早かった。久しぶりに会った旧友と親交を深めたいといったところだろうか?


「そ、そうもいかんのだ……教師というのは、何かと忙しいのでな……」


 何か歯切れの悪い口調で、やんわりと辞退する車折先生……もしかしたらだけど、彼女は君鳥さんが苦手なのかもしれない。彼女の放つ独特な空気の中では、いつものシリアスなキャラを維持できないのだろう。


「それではさらばだ月代! 遅刻しないよう早く寝るんだぞ!」


 そう言うと、先生は背を向けて足早に去っていく。


「はいっ! 今日はありがとうございました!」


「もう……つれないんだから蛍ちゃんは~」


 車折先生が階段の影に姿を消すと、それを眺めていた君鳥さんはくるりとぼくに向き直って、


「それじゃあ、部屋の中をひと通り見てみましょうか~」


 再びにこにこと案内を再開する。部屋は基本的にワンルームで、家具や壁の収納などは左右対称に配置されている。そして中央にはカーテン状の敷居が設置されており、一応のプライバシーは確保できるようになっていた。


「あと、こっちのドアの向こうに脱衣場とシャワーがあるの。早朝とか、大浴場が空いてない時間用ね。これは各部屋にひとつだから、仲良く使ってね~」


 これは地味に有益な情報だ。この寮では、お風呂はみんな一階の大浴場を使う事になっている。

 これもまた生徒同士のコミュニケーションを重視した設備であり、利用できる時間も限られている為……常に誰かと一緒に入る状況がほぼ強制されているのだ。


 ……当然のことながら、ぼくにとってそれは死の宣告に等しい。いかにぼくが女の子に見えるといっても、裸になればその……“真実”がさらけ出されてしまう。


 だから、部屋にシャワーがあるというのはまさに救い。最悪、ずっとシャワーのみの日々が続くとしても……お風呂で全裸を晒すよりははるかに安全だ。


「インターホンもひとつだけね~。お客さんが来た時とかはこれで連絡するからよろしくね~」


 嬉々とした様子で部屋の設備を説明する君鳥さん。もしかして入居者が来るたびにこのテンションで案内しているのだろうか……だとしたら。


「これでひと通り終わったかな? 何か困ったことがあったら、何でも言ってね~。蛍ちゃんが厳しすぎるとか、そういうのでもオッケーだから」


 だとしたら、とても良い人だ。これからお世話になる寮の寮母さんが彼女のような人だと安心できる。


「あ、そういえば……月代さんはお夕飯、食べてきましたか~?」


「え、まだですけど……」


 言われて思い出した……そういえばお昼に現場でお弁当を頂いて以来、何も口に入れてないんだった。


「あらあら、それは大変。余り物になっちゃうけど、何か持って来ますね~」


「そんな……悪いですよっ」


 反射的に遠慮してしまうぼくに、彼女はうふふと嬉しそうな笑みをこぼしながら、


「いえいえ、早速お役に立てて嬉しいわ~。じゃあ、ちょっと待っていてくださいね~」


 そう言うと、杖をついているにしては軽快にぱたぱたと階下へ去っていった。


 ――――あ、わざわざ持って来てもらうより、ぼくが行ったほうが良かったんじゃ……いくら寮母さんだからと言っても、足を痛めている人に階段を往復させるのはさすがに悪い。

 まだ眠り続けているしるふをとりあえずベッドの上に置き、ぼくは君鳥さんを追って再び一階へと戻る。


 階段を下りた先は玄関を兼ねたロビーだ。すでに必要な箇所以外は照明も落とされ、人の姿は見当たらない。

 広々としたロビーにはいくつもの横長のテーブルが並び、その上には逆さまになった椅子が置かれている。確か朝夕の食事はここでするんだっけ。


 さて、君鳥さんはどこに向かったのだろう? 何か食べる物を持って来ると言っていたけど、ここでの食事は専門の業者による給食方式だったはず。

 夕食の時間をとうに過ぎた今となっては、もう何も残っていないはずだ。


 ロビーの柱に貼られた案内図を頼りに、ぼくは管理人室を目指した。生徒達と違い、寮母さんは昼間も寮に残っている。

 つまり、給食のないお昼に食べる食料が何かあるのだろう。


 他の部屋と同じ、木製の大きなドア。ただひとつ違うのは、部屋番号の代わりに「かんりにんしつ」と書かれたファンシーな表札が掛かっている事。


「ここか……」


 ノックするために拳を握りしめて、ぼくは大きく深呼吸をした。夜分遅くに女性の部屋を訪れるというのは……やっぱり緊張する。


 覚悟を決めてドアを叩こうとした瞬間、そのドアノブが音を立てて回った。びっくりして心臓が止まりそうになったぼくの前に飛び出してきたのは……


「わぷっ!」


 ピンク色のエプロンと、その向こうの圧倒的な柔らかさ。これはもしかして……いや、もしかしなくても、胸! ぼくは今、胸にめり込んでいる!?


「あら、月代さん? 今持って行こうとしてたんですよ~」


 胸の彼方から声がする……けれど、ぼくは顔を包み込むふんわりとろーりな感触と温もり、鼻腔びくうをくすぐる香水の香りにすっかり神経がマヒしてしまい……ぴくりとも動けなくなっていた。


「ごめんなさいね~。すぐ外にいるなんて思わなくて~」


 君鳥さんが一歩身を引いて、至福の瞬間は幕を閉じた。ヘリの中での雷華さんといい、今日のぼくは何かと大きなおっぱいに縁がある。

 ちなみにどちらも甲乙つけがたい柔らかさでした……サイズに関しては君鳥さんの方が上かな?


「……あら、どうかしました?」


 おっといけない、ぼくはラッキースケベの為にここまで来たわけじゃなかった。


「す、すいません……往復させちゃうのは、その……悪いと思って」


「別に、気にしなくていいんですよ~? 私、こう見えても体力あるんですから~」


 にこにこと微笑みながら片手でガッツポーズを取る君鳥さん。ああ、本当に良い人だ……


「そうそう、お食事ですけど……はい。ふたつで足りるかしら?」


 そう言って彼女が差し出したのは……ラップの掛かったお皿。その中からのぞくのは……混ぜご飯でできたおにぎりだ!


「ありがとうございます! 十分です!」


 お皿を受け取りながら、何度もぺこぺことお辞儀をする。ぼくの為に、わざわざ握ってくれたのか……


「うふふ、お口に合えばいいのだけれど。お皿はお掃除の時に持っていくから、戻さなくていいですよ~」


 管理人室のドアが閉じるまで、ぼくはお辞儀を繰り返した。ありがたや、ありがたや……良い人どころか、まるで天使じゃないか。


 今日一日、色々な事があったけど…………本当に色々な、良い事も悪い事も。けれど、一日最後の締めくくりをこの橘寮で迎えることができて良かった。


 明日から、また頑張ろう。何もかも、まだ始まったばかりなのだから……

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