第18話 蛍とドライブ

「これで全部か、月代」


 ぴっちりとした紺色のスーツを身に付けた女性――――車折先生が車のトランクに衣装ケースを積み込み、ばたんとふたを閉じる。


「はい。あとは手荷物だけなので……」


そう答えつつも、ぼくはこの状況に困惑していた。


「月代先生からお前の事を頼まれてな。時間も時間だ……私が寮まで送ってやる。引っ越しの荷物もある事だしな」


 今からさかのぼる事十分、妖事件の現場から帰還したぼくを待ち受けていたのは……一年S組の担任、車折先生だった。

 本来ならこの役目は蒼衣お姉ちゃんがふさわしいのだろうが……あいにく彼女は今日起きた妖事件の事後処理で手が離せない。

 それで白羽の矢が立ったのが、車折先生という事か。けれど入学初日から担任の先生のお世話になるというのは……どうにも落ち着かない。


「どうした、早く乗らんか」


 ぼくが困惑しているうちに、先生はもう車に乗り込んでエンジンを掛けていた。この白い車は学園内の移動にのみ使われる公用車で、ちなみに公道は走れない。

 天御神楽学園では車の乗り入れにも厳しいルールが存在し、駐車場以外の場所を走れるのはこの公用車と認可を受けた各種業者の車、あとは緊急時のみ警察や消防関係の車両といった具合になっている。


 その開け放たれた後部座席に手荷物と吞気に眠りこけているしるふを乗せて、ぼく自身もそのまま座席に身を沈めた。


「おい……何故、そっちに座る?」


「えっ?」


「荷物は後ろ。お前は前だろう」


 前って……先生の隣じゃないですかっ! そんな、ただでさえコミュ障気味のぼくが今日出会ったばかりの女性ひとの隣になんて……

 しかも、結構厳しい系の先生の隣でぼくは、ぼくはどう振舞ったらいいのだろう?


「早くしろ。それとも、私の隣では不服か」


 と、とにかく今は言う通りにしないと……親切で迎えに来てくれた先生の手を、これ以上わずらわせるのは悪い。ぼくは後部座席を名残惜しく後にし、助手席のドアに手をかける。


「し、失礼します……」


「よし。シートベルトはちゃんと締めろよ」


 すぐ隣に、車折先生がいる。ぼくはガチガチに緊張しながらもドアを閉め、シートベルトの金具をかちりとはめる。


「――――たちばな寮、だったな」


「はい」


 橘寮。それがぼくがこれから住まう事になる寮の名だ。とは言え、ぼくが知っているのは名前と場所……あと、S組の生徒の大部分がその寮に集められているという事実だけだ。


「事情が事情だけに、あそこの寮母にはお前の事を話してある……その性別についてもな」


「え!?」


 ゆっくりと走り出す車の中で、唐突に告げられる身バレ宣告。また一人、ぼくの秘密を知る者が増えてしまった……


「安心しろ。あいつの事は昔からよく知っている……秘密をバラすなんてヘマはしまいよ」


「は、はぁ……」


「それに、何かと世話焼きな性格でな……お前の力になってくれるだろう。元術者でもあるからな」


 なるほど、寮母さんまでも“関係者”という事か――――S組の生徒を集めた橘寮。その寮母ともなれば、やはり身内に任せるのが妥当といった所なのだろう。


 車はまばらな街灯に照らされた車道をまっすぐ進んでいく。車内の時計が示す時刻は午後八時過ぎ。そもそも交通量が少ない学園敷地内だからか、対向車線の車とすれ違うこともない。


 さて、困ったぞ……会話が途切れてから、そろそろ一分が経過しようとしている。できる事なら軽妙なトークで間を持たせたいものだが、残念ながらぼくにそっち方面の才能はない。大体ぼくのお母さんくらいの歳の女性と一体何の話題で盛り上がったらいいのか、さっぱり思いつかないのだ。


 けれどこうしている間にも、気まずい沈黙は続いていく。当の車折先生はそんなぼくにお構いなしで車を走らせ続けているが……だめだ、これ以上この物言わぬ空気の圧力には耐えられない。何か、何か話さないと。ええと、あのジャージは私服じゃなかったんですか? とかはさすがに失礼だし……


「あ、あの……先生!」


「何だ?」


「その…………」


 限界ギリギリまで、灰色の脳細胞を稼働させる。ぼくと先生の共通の話題――――今日、教室で起こった事の中で……何かっ!


「み、美国さん! 今日の自己紹介の前に、美国さんが言ってましたよね……真実を言われると都合が悪いとか、平等に噓をつくとか……」


「……ああ、言っていたな」


「あの話……ぼく、全然意味がわからなくて。でも先生にはちゃんと伝わってたみたいだから……」


 ぼくが必死でひねり出した話題……それは今思い出しても不可解なやり取りだった。中学生らしからぬ口調で何やら難しい事を言い出す美国さん。そしてその意図を完全に理解していたような車折先生。そして始まった“噓をついてもいい”自己紹介――――


「あれは……そうだな、美国なりに気を遣ったというところか」


 カーブに合わせハンドルを切りながら、先生は答える。


「あの場に集った者達には、大なり小なり秘密にしておきたい事情があった。月代、お前もそうだろう?」


「は、はい……」


「初日の自己紹介から全てを明かせる物ではない。しかし、これから一年同じクラスでやっていく面々に最初から噓をつくというのもまた、気持ちの良いものではない」


 確かにその通りだ。他の人がどんな秘密を抱えているかは分からない。けれどぼくに限って言えば、それは知られたらこの学園にいられなくなる致命的な秘密だ。

 みんなにどう思われようと、早々に明かす事はできない。


「だから最初に“噓をついても良い”と念を押して欲しかったのだろう。自分だけが噓をつく訳ではない、誰もが噓をついてよい場なのだと……」


「みんなが噓をつけば、それは公平……という事ですか? でも静流ちゃ……綾乃浦さんは嘘は言いませんでしたよ?」


「それは、そういう者もいるという事だ。綾乃浦とて、言おうと思えば言える事もあっただろう……お前の事とか、な」


 そうだ。静流ちゃんはあの自己紹介の時、ぼくについては一言も言わなかった。うっかり同じ学校出身だとか言われていれば、そこからぼくの正体が特定されかねない。


 けれど、彼女は言わなかった。今思えば朝の一件以来ぼくに近づこうとしなかったのも、ぼくと旧知の仲である事を悟らせないためだったのかもしれない。

……ただ怒って口も聞きたくないだけという可能性もあるけれど。


「あ、でも……そうするとみんなが噓をついているかもって、疑心暗鬼になりませんか?」


「――――まさにそれなんだよ。美国の狙いは」


 えっ? 美国さんは気を遣ったんじゃないの? それじゃあまるで……


「本当に気を遣うのなら何も言わなければいい……そうすれば秘密はあくまで個人の問題に留まる。だが、あいつは敢えてその問題を明らかにし、クラス全体に広げた。いかにも皆の為といった体でな」


「そ、それじゃあ美国さんは……」


「そうさ。噓つきに囲まれて疑心暗鬼に陥るお前たちの様を観て、愉悦に浸ろうとでも考えたのだろうよ……あいつは、昔からそういう奴だ」


 そう語る車折先生の目は、ここではないどこか……遠くを見ているようだった。


「……先生は美国さんの事、知っているんですよね?」


「ああ。だが、あいつが話していない事は私も明かせない。そういうルールだからな」


 不意に車が減速し、右折しながらゆるい傾斜を登る。そのヘッドライトの光に一瞬、照らされた門柱には……「橘寮」の文字。


「着いたぞ月代」


「は、はい。ありがとうございます!」


 先生は慣れた動作で車を駐車スペースに着け、エンジンを止める。ドアのロックが解除されると同時に、オレンジ色の車内灯がぼく達を照らし出す。


「月代、美国にはあまり関わるな。私が言えるのはそれだけだ……あいつは昔からああいう奴だし、これからも……そう変わりはするまい」


 ドアを開け、身を乗り出したぼくに……車折先生はそう忠告した。関わるなって言われても……具体的にどうしたらいいのだろう?

 ぼく達を見て愉悦に浸るとか……ちょっぴり意地悪な性格なのは理解できたけど、それでも同じクラスメイトだし……できれば仲良くしたい。


「蛍ちゃ~ん!」


 突然、女の人の声が辺りに響き渡る。見れば建物の――――橘寮の入り口から一人の女性がこちらに向けて手を振っているではないか。


 ……あれ? でも“蛍ちゃん”って?


「あいつ、生徒の前では呼ぶなとあれ程――――」


 顔を真っ赤にして吐き捨てるようにつぶやく……車折先生。


「あの……“蛍ちゃん”ってもしかして……」


「車折 蛍だ! 悪いか!」


 そう言うと、車のドアを乱暴に閉じる。今にして思えば、彼女が敢えてフルネームを名乗らなかったのはこのせいだったのか……


 ――――車折、蛍ちゃん。確かに竹刀を持ったスパルタ教師の名前としては、ちょっと可愛すぎる……かも。

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