第20話 夜行前夜
――――――――闇。一面の闇。
その洞窟はどこまでも暗く、静かで……それでいて、何かねっとりとまとわりつく様な空気に満たされていた。
人里離れた山奥の、更に地下深く。地上で吞気に平和してやがる人間共が未だ知らねえその深淵こそが、東の
“らしい”と言うのは……俺が実際ここでそいつに出会った事が一度もねえからだ。
「まったく、何度来てもクソ陰気くせェ場所だぜ!」
悪態をついた所で、聞く奴も居ない。俺の声はごつごつした洞窟の壁に反響しつつ、何処へともなく消えていった。この洞窟は迷路のように入り組んでいて、その上各所に攪乱の妖術が掛けられている。人がうっかり迷い込んだら最後、二度と日の光は拝めねえだろう。
そう、ここは人が足を踏み入れちゃならねえ場所。闇に潜む妖達のテリトリーなのだから。
かく言う俺も、人の姿はすれど人じゃない。いや、正確には人に憑いた妖か。【がしゃ髑髏】の
俺がここを訪れたのには当然理由がある。でなけりゃこんな胸糞悪い場所に来たりはしない……妖がいくら人目を避けるといっても、物には限度がある。引き篭もるにも程があるってヤツだ。
今夜ここで開かれる、妖達の会合。俺はそいつに出なきゃならねえ。勿論、すっぽかす事も考えたが……
一歩一歩、闇の中を進むごとに……ぞわぞわする「気配」に近づいていく。ひとつじゃあ無い、おびただしい数の「気配」が、この道の先に集まっている。
前方に見える、僅かな光。どうやら、目的地にたどり着いたようだ。何か朗々とした男の声が聞こえてくる。蛟の旦那の声か。
って事は、もう会合は始まってやがるのか……どうやら少々、のんびり来すぎたようだ。
「……これは我等が再びその威を示す為の、大いなる一歩である! 穢れた文明とやらに奢る、
旦那は基本的には義理堅くて良いヤツなんだが、言っちゃあ何だが考え方が古い。これは大半の妖にも言える事だ。人間達がこの百年でとんでもない発展を遂げているのに対し、妖達の方はそれこそ江戸時代のあたりから何も変わっちゃいない。
まあ妖ってヤツの本質が基本的に変化を嫌うってのもあるが……それにしたって、二十一世紀にもなって電気もガスも無い洞窟住まいとか、流石についていけねえ。
狭い道の先に広がっていたのは、一転して巨大な空間だ。ちょっとした野球場くらいの広さはある。その天井からはおびただしい数の鍾乳石が垂れ下がり、その先端に付着した光り苔が場を照らす唯一の明かりになっていた。
そしてその中央には、澄んだ水を湛えた地底湖がある。そのほとりには河童や
「――――怒りの鉄槌を下す時が、遂に来たのだ! そう、決行は明日。故に今夜は、
水面に波紋ひとつ起こさず平然と立つ長髪の男――――東の水妖の長、蛟は近づいてくる俺に一瞬目を向けつつも、動じる事無く熱弁を振るい続けている。
やれやれ、流石に名指しで遅刻を咎めたりはしねえか。俺が安心しかけたその時、
「……御大将の夜行に遅参するとは何事か」「あれは新参者の我捨……」「西の妖は礼儀を知らぬと見える……」
何やら天井の方がざわついて、好き勝手なことをぬかし始めやがった。イラついて上を見上げた俺の目に映ったのは……無数の赤い光点が不気味にゆらめく光景だった。
一匹や二匹じゃあない、天井を埋め尽くす程の数の妖がそこに群がっている。そうか……今度の夜行をやるにあたっては、旦那の眷族である水妖だけじゃ数が足りない。人間達へ大規模な攻勢をかけるとなりゃあ、兵隊となる妖が大量に必要になる。
だから、蛟の旦那は“ヤツら”に声を掛けたのだ。現存する妖の中でも有数の大勢力であり、かつ人間達への憎しみ深い……あの一族に。
「うるせェぞ【土蜘蛛】! 文句があるなら降りてきやがれ!」
思わず叫んだ俺の声は辺り一帯にガンガン響く。やべえ、大声出し過ぎた……演説を中断された旦那がこっちを睨んでやがる。
だが、ここは退けねえ。何故なら俺の声に応じて……天井から降りて来るヤツが居るからだ。幾つもの深紅の目を有する、真っ黒い塊。見えない程に細い糸にぶら下がったそいつは、音もなくゆっくり俺の目の前まで来ると、八本の長い脚を威嚇するようにぐわっと広げた。
――――――――【土蜘蛛】。 ヤツ等のルーツは大昔……朝廷に逆らって滅ぼされた地方の豪族達の怨霊がその身を蜘蛛に変えて蘇ったとかいう、何とも眉唾なモノだ。
だが現実に、妖としては珍しく大人数で徒党を組む習性のあるヤツ等は、この二十一世紀の現代においてもかなりの数が生き残り、人間達への復讐の機会をうかがっていると言う。
「……五月蠅いのは貴様の方だ。新参者の若造め!」
馬程の大きさがある巨大な蜘蛛の口から発せられる、くぐもったしゃがれ声。
「遅参するだけでは飽き足らず、蛟殿の言を妨げるとは。貴様のような下種は、この夜行に加われるだけでも誉れであろうに!」
……そもそも、何故俺がここにギリギリの時間に来ようとしたのか。それはコイツの様なカビ臭い古参の妖どもと、一秒でも同じ場所に居たくねえからだ。
ヤツ等は大した力もねえクセに古参ってだけで威張り散らしやがる。蛟の旦那に釘を刺されてなけりゃあ、この場で即バラしてやる所なんだが……
「西から逃げて来た貴様なぞ、蛟殿に拾われていなければ今頃は追手の餌食であろうに。恩知らずとは正にこの事よ!」
そう言うと、ヤツはげっげっげ……と体を揺らして
「……うるせェよ」
目の前の蜘蛛を支える糸が、唐突にぷつりと切れた。突然の事に受け身も取れず、蜘蛛は無様に落下しどすんと地響きを立てる。
「ぐぇッ!? き、貴様ァ!」
うめき声を上げながらも身を起こす、巨大な蜘蛛。
「どうしたんスかァ? 足でも滑らせましたかァ、先輩!」
そう。糸を切ったのは俺だ。骨針を伸ばして断ち切ったのだ……コイツの複眼でも捉えられない程のスピードで。
「おのれ! 我を土蜘蛛の八将、
「知るかよ……ンな事より、やるのかい? イイぜ。敵うと思ってんなら試してみろよ…………なァ、せんぱァい!?」
さあ来い、来やがれ。分かりやすく
「双方控えよ! 御大将の
鳴り響いたその一言で、殺気立っていた地底湖はしん……と静まり返った。
「……狭磯名殿。配下の無礼、どうかお許し願いたい。
――――水入り、か。旦那の立場からしてみれば、大事な夜行の前に手駒を減らしたくは無えんだろう。もっともこんな老いぼれ蜘蛛の一匹減ったところで、何がどう変わるって訳でも……
と、思った俺の周りは、いつの間にか天井からぶら下がる蜘蛛どもに囲まれていた。なるほど、ぶつかりゃ減るのは一匹じゃ済まなかったって事か。
「蛟殿がそう言われるならば……良かろう、この場は矛を収めるとしよう」
命拾いしたとばかりに、すごすごと引き下がる蜘蛛野郎。チッ、こんな事なら速攻でバラしときゃあ良かったぜ。
「命拾いしたな小僧。蛟殿の恩寵に、精々感謝するがよいわ!」
おい、それは手前の方だろうが……とツッコむ間も無く、がさごそと暗がりに消えていくクソ蜘蛛。俺を囲んでいた土蜘蛛達もするすると天井の闇に戻っていく。
「さて、宜しいか各々方。それでは本題に入るとしよう……」
ひと通り喧騒が治まったところで(俺はまだ治まっちゃいねえが)、蛟の旦那は演説を再開する。と言っても、その内容は俺が事前に聞かされた通りのモノだ。
土蜘蛛の連中が同時に複数の場所で暴れて術者共をおびき出し、釘付けにする。そして中でも一番やべえって噂の【四方院】の術者が出て来たら……その時は俺の出番だ。
「我捨……【四方院】の相手は、お前に任せる。あれは契約した妖を使役する【
数日前、あの幽玄とかいう野郎と別れた後、蛟の旦那は俺にそう言った。
「奴等はその歴史の中で幾度も、名の有る妖を屠っている。故に、並の妖ではその相手は務まらぬが……【憑依】を果たしたお前ならば、なんとか勝負になる筈だ。最悪、時間稼ぎが出来れば良い」
「【四方院】ねェ……時間稼ぎっていうか、別に殺っちまっても構わねェんだろ?」
何気なくそう返した俺に、旦那は意味ありげな苦笑で応じる。
「それが叶うのなら、そうするが良い。だが……恐らくそう上手くは行くまい。【四方院】には、恐るべき“術”があるのだ」
「“術”?」
思わず、オウム返しに聞き返す。人間達の使う術には確かに侮れないものもあるが……そういった術は大抵、複数の術者の連携や入念な下準備が不可欠だ。術者ひとりが即興で出せる術など、たかが知れている。
「詳しく話してやりたいのは山々だが、生憎とその“術”を受けて生き延びた者が
「…………」
流石の俺も、情報ナシじゃあ気を付けようが無えんだが……
「だがお前なら、何とかしてくれると信じている。でなければ……西のお尋ね者を
それを言われちゃあ、断る訳にもいかねえ。【四方院】とやらをブチのめして、証明しなけりゃならない……俺を拾った旦那の判断は、間違っちゃねえって事を。
「しゃあねェな。じゃあ、俺が遊んでやるよ。その【四方院】と……命懸けの
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