第21話 これは朝チュンですか!?

 ぴぽぴぽ。ぴぽぴぽ。がしっ。


 聞き慣れた音が鳴り始めたのとほぼ同時に、ぼくは目覚まし時計の頭を叩いていた。我ながら素早い対応。十分な睡眠を取っていると、ここまで鮮やかに起床する事ができるのだ。うん、今日は朝から調子がいいぞっ。


 ……なんて思いながら伸ばした腕を引っ込めて、腕の影になっていた部分が視界に入った途端、ぼくの爽快な目覚めは一気に吹き飛んだ。


 そこにあったのは……顔。息がかかるほど近くに、女の子の顔があった。


「う……ん……」


 何やら悩ましい吐息を洩らすその顔には見覚えがある。カーテンの隙間から射す朝の光に照らされた、艶やかな黒髪。目鼻立ちはくっきりとしながらも、もちもちと柔らかそうなほっぺた。わずかに開いて白い歯をのぞかせた、桜色の唇。


 そう、彼女は――――四方院樹希。ぼくにとっては同じ魔法少女仲間(そう言うと彼女は怒るけど)であり、この一週間厳しい修行をつけてくれた師匠でもある。

 そんな彼女がどうした事か、ぼくと同じベッドで眠っているのだ!


「どうして……どうして?」


 小声でつぶやきながらも、ぼくの視線は目の前の彼女にくぎづけだ。今まで見たことのない、穏やかな寝顔――――彼女の場合、怒ってない時の顔はレアなのだ――――をこうして改めて見ると、年相応に可愛い女の子なのだという事を今更ながら再認識する。ホントに、怒ってなければ美人なのになぁ…… 


 と、いけない! このまま彼女の寝顔を観察し続けたいのはやまやまだけど、まずは何がどうなって二人はベッドを共にしたのか、その謎を解明しなきゃだっ!




 ――――昨晩、この橘寮に入寮したぼくは……ええと、君鳥さんに頂いたおにぎりをありがたく完食した後、備え付けのシャワーで一日の汗を洗い流して……


 その後、着替えを用意していなかった事に気付き、バスタオルを巻いただけの姿で荷物を開封したんだった。 


 手持ちのバッグに入る程度に厳選した荷物の中には、下着類の他にも愛用の目覚まし時計だったり、趣味のお人形――――さすがに全部は持って来れないので、一体だけ――――だったりが入っていた。


 それを見てぼくは、人形は普通に飾っておくべきか、それとも同居人を警戒して隠しておくべきか。いや一応今は女の子扱いだから別に隠さなくても……でも、子供っぽい趣味だと思われるかな? なんて事を考えていると……


 ふと、スマホのLEDランプがちかちかと点滅している事に気付いたんだ。そう、買ってもらったばかりの……新品スマホ。

 これは今日知った事だけど、この学園では基本的に携帯類は持ち込み禁止で、その代わりに学園から生徒用に支給される単機能のガラケーを使う事になっている。もっともぼくの場合は特別で、例の仕事用スマホを代わりに持ち歩く事が許されているんだけど……


 おかげでこのぴかぴかのスマホは、残念な事に活用される機会を失ってしまったのだ。考えてみれば買ってもらった直後に色々設定して、さあ使うぞーってところで樹希ちゃんの別荘に連行されてしまったんだっけ……その後は修行やら何やらで全然いじる暇がなかったし。


 それが今、かまって欲しいと言わんばかりに光を放っている。ぼくは手を伸ばしてスマホを取り、とりあえず通知をチェック……げっ、なんかすごい量のメールが届いてるんですけどっ!


 うーん、今朝までは何も届いて無かったはずなのに? 届いたメールを一番下から順に見ていくと……ああ、しまった。そういう事か!


 メールの送信者は全部同じ……「果南かなみちか」。そう、小学生時代のぼくの数少ない友達……ちかちゃんからだった。


 その内容はというと……なんで学校に来ないんだとか、なんで名簿に載ってないんだとか……。最後のほうになると「はかったな!」「ウラギリ者ー!」とか……


 ああごめん。ホントごめん……ぼくがこの天御神楽学園への入学が決まったのは小学校の卒業式の後。その後はすぐに修行の日々が始まってしまい、彼女にそれを連絡するのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 ちかちゃんにしてみれば、当然ぼくも同じ公立中学に通うものだと思っていた訳だから……この反応は当然のものだろう。


 取り急ぎ現在の状況を説明……するにしても、女子校に通ってますなどとは言えるはずもなく。慎重に言葉を選びつつなんとかメールを返信した時には、時計はすでに深夜零時を回っていた。


 普段ならまだ起きていられる時間だけど、さすがにこの日は色々な事があり過ぎた。ぼくはそのままベッドに沈み込んで……ついさっきまで、熟睡していたのである。 




 ――――あれ? じっくり回想してはみたけれど、樹希ちゃんがちっとも登場しないではないか。じゃあ、なんで……どうして朝チュンみたいな事になってるの?


 と、とりあえず、この危険な状況から脱出しなくては……ぼくは樹希ちゃんを刺激しないよう、ベッドの上をもぞもぞと後退する。だが、これがいけなかった……まだ勝手知らぬ部屋のベッドである。うっかりバランスを崩したぼくは、無様にごろりと床に転げ落ちてしまったのだ。


「むぎゃ!」


 ぼくがフローリングの床で哀れな悲鳴を上げるのとほぼ同時に、ベッドの上の気配が身を起こす。


「…………あら、ずいぶんと寝相が悪いのね……それとも、床で寝る趣味でもあるのかしら……ふあぁ」


「いっ、樹希ちゃん……」


 目覚めて、しまった……。ベッドからぼくを見下ろし、眠そうにあくびをする制服姿の彼女……ん、制服姿?


「おはよう灯夜。ん……何? あやかしでも見たような顔をして」


「な……なんでいるのっ!」


 動揺を押し殺して、現状最大の疑問をぶつけるぼくに……樹希ちゃんは首をかしげながらしばし虚空を見つめると、不意にぽん、と両手を打ち鳴らした。


「そういえば、言ってなかったわね……今日からわたしがあなたのルームメイトになるから。よろしくね、灯夜」


「よろしくって……えぇええっ!?」


 そんな、まさか――――これからずっと同じ部屋で暮らしていく事になるルームメイトが、あの樹希ちゃんだなんて!


「何よ、いくら嬉しいからって……そんな大声を出しちゃ近所迷惑だわ」


「いやいや、そうじゃなくて! 樹希ちゃんは二年生でしょ? なんでぼくと同室になるの!」


 そう。ぼくが聞いた話では、同室になるのは同じ学年の生徒のはず。ひとつ学年が上の樹希ちゃんがどうして――――


「それなら問題ないわ。この学園には姉妹制度というものが有るの。下級生が上級生と姉妹の契りを結び、共に生活する中で様々な事を学び取るっていう……まあ最近はあまり使われていない制度だけど、ある以上は活用しない手は無いわ」


「そんなの、初めて聞いたんだけど……」


「当然よ。この学園の歴史をなめてもらっては困るわ。あなたの様な新入生では把握しきれない程の様々な校則が、ここには有るのよ」


 新入生が把握しきれない程の校則って、一体……


「それはともかく……どうして、樹希ちゃんはぼくのベッドで寝ているの! 自分のベッドがちゃんとあるでしょ!」


「ああ、それは……あなたがあんまり気持ちよさそうに寝てたから……つい」


「ついって何だよぅ!」


 樹希ちゃんはばつが悪そうに視線をそらしながら、


「本当は荷物を置くついでに、ちょっと顔を見ていくだけのつもりだったのだけど……少し休憩していこうかとベッドに腰掛けたら、そのまま眠ってしまったようね」


 なるほど、それで制服姿のままだったのか……と、いう事は。


「……何よ、その目は。わたしは別にやましい事はしていないつもりよ?」


 どうやら、幸いにも? 今回の朝チュンは未遂で終わったみたいだ。喜ぶべきか、はたまた悲しむべきなのか…… 


「それはそうと、わたしは先に出るわよ。元々そのつもりだった訳だし、別邸いえにも寄って行かなきゃならないから」


 立ち上がってぱんぱんと埃を払うと、樹希ちゃんはそのままドアへ向かって歩いていく。


「――――ああそう、一応断っておくけど」


 がちゃりとノブを回しながら、彼女は今一度こちらを振り向いて、


「同室だからって変なマネをしたら、それ相応の報いを受ける事になるから。あなたにそんな度胸があるとは思えないけど……一応ね」


 釘を刺されてしまった。確かに、樹希ちゃんにそういう真似をしたら命に関わる事態になるのは目に見えている。


 ばたんと閉じられたドアをぼーっと見つめながら、ぼくはさっき見た樹希ちゃんの寝顔を思い出していた。同年代の女の子の顔をあんな近くで見たのは、初めてかもしれない。


 よく寝顔を見られると怒る子がいるけど、彼女はあまり気にしていないようだった……っていうか、最後の一言以外は男子として意識されてない感じさえする。

 うーん、やっぱり彼女にとっても、ぼくはそういう立ち位置の人間になるのか……なんだか、ちょっぴり悔しいかも。


 ふと時計に目をやると、びっくり。すでにロビーの食堂で朝食が配られている時間じゃないか!


「やばっ!」


 パジャマ代わりのジャージを慌てて脱ぎ捨て、まずはシャワー脇の洗面台で顔を洗う。タオルで顔を拭いてから眼鏡をかけ、ハンガーに掛けられた制服に袖を通す。再び洗面台に戻って、鏡を覗き込むと……そこにはどこから見ても美少女にしか見えない、ぼく自身の姿が写っていた。


 よし、完璧……というのが半分、どうしてこうなった……というのが半分。これから朝を迎えるたびに、ぼくはこんな葛藤に襲われるのだろうか……


 いや、今はそんな事を憂いている時ではない。君鳥さんのおにぎりは文句なしに美味しかったけど、育ちざかりの男子にしてみればちょっぴり、量が足りなかったのだ。


「朝はしっかり食べていかないと……だ!」


 決意も新たに、食堂へと向かうぼく。




 ――――入学二日目の朝。この日がまさか初日よりとんでもない事になるなんて……その時のぼくにはまだ、知るよしもなかったのである……。

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