第22話 その笑顔はふわふわで
ぼくがロビーに到着した時、食堂はすでにピークを過ぎたのか……テーブルに着いている生徒は多くはなかった。
それもとっくに食べ終えて談笑していたり、カバンを枕に眠っていたり……(大丈夫なのかな、これ?)といった面々ばかりで、食事を取っている人はほとんど居ない。
しまった、出遅れたか……必死に動揺を隠しながら、食堂のカウンターへ向かう。
「あ、あの!」
カウンターから、奥にいる割烹着を着た女の人に声を掛ける。ここで生徒は名前を告げて、自分の分の食事を受け取る事になっている。名前を言うのは本人確認の為もあるけど、人によってはアレルギーを起こす食材もあるので、その確認もしなけりゃならないからだ。
「あら、おはよう月代さん~」
ぼくの声にくるりとこちらを振り向いたのは、寮母の君鳥さんだった。
「君鳥さん!? 寮母さんって、給食の仕事もしてるんですか?」
「いえいえ、ただのお手伝いですよ~。調理や洗い物なんかは全部業者さんがやってくれてるので、私は受付をしてるだけ~」
なるほど、そういう事になっているのか……君鳥さんが背後にいる白衣の人達――――給食業者の人であろう、年配の女性――――に声を掛けると、一分もかからずにパンやシチューの乗ったトレーがぼくの前に到着した。
「まだ時間はあるから、ゆっくり食べていってね~」
「はい。ありがとうございますっ!」
両手でトレーを受け取り、ゆっくりと振り向きながら……ぼくはふと、ひとつの問題に行きあたる。
「さて……ぼくは、どこに座ればいいんだろう?」
中央のテーブルはおそらく上級生であろうグループが占領しているが、空いているテーブルも多い。普段のぼくなら迷わず、一番隅っこのテーブルでぼっち飯を決め込むところだけど……
そこにひとつ、選択肢が生じていた。窓際のテーブルにぽつんと座っている女の子……特徴的な天然パーマ?の頭は同じクラスの沢渡さんだ。
この食堂にいる生徒がみんな知らない人ならともかく、彼女はぼくのクラスメート。それも隣の席に座っている子である。ここは勇気を出して、お近づきになっておくべきなのではないか?
……いやいや待てよ、昨日の今日知り合ったばかりでまともに話した事もない子に、いきなり近づいていくってのはどうなんだ? いやいやいや、そんな事を言っていたら、いつまでたっても話しかけられないじゃないか。仲良くなって、あわよくば友達になってもらうには……まず最初の一歩を踏み出さなきゃいけない。
幸いというか何というか、今のぼくは「女の子」である。小学生の時にずっと感じていた……男子が女子に話しかけるという高いハードルを、今は無視できる。
――――そうだ。「女の子同士」なら、普通に仲良くなっていいんじゃないか! 確かに、性別を偽ってというのはちょっぴり卑怯な気もするけど……今まで男子だからと遠慮して女の子の友達を増やせなかった
自分から動かなければ、何も変えられない――――全力でぶつからなきゃ、何も始まらない。それはぼくが小学生時代に学んだことだ。
だから、ぼくは変える。自慢じゃないが友達の少ないこの人生を、これから変えていくんだっ!
「お、おはよう! あの……隣、座って……いい、ですか?」
「えっ?」
まずは一言……若干しどろもどろになってしまったけど、なんとか話しかけることには成功したぞ! さて、彼女はどう反応するだろうか……「なんだぁ? テメェ……」みたいな顔をされたらどうしよう……
沢渡さんは一瞬、目を丸くしてぼくの顔をまじまじと見つめたけど……その後すぐに素の笑顔に戻って、
「おはよう、月代さん……ですよね? 同じクラスの」
「そ、そうです! 同じクラスのっ!」
「いいですよ。どうぞ!」
わざわざ椅子を引いて、こころよく同席を許してくれた。良かった~。断られたらどうしようかと思ったよ……
ぼくはありがたく沢渡さんの隣へと座る。その様子を、彼女は食事の手を止めてじーっと眺めていた。
「あ……迷惑じゃないですか?」
聞いてから、しまったと思う。これは彼女に悪いというより、自分が安心したいが為に出てしまった言葉だ。そうじゃないと言ってもらう事を……半ば期待して。
「いえ……ただ、その……びっくりしちゃって」
そんなぼくの思惑を知ってか知らずか、沢渡さんは微笑みながら答える。昨日も思ったけど、彼女は笑顔が可愛い。何というか、場の空気がふんわりと柔らかくなるような……自然にこちらも笑顔になれる雰囲気を生み出してくれる。
ぼくが彼女に話しかけようと思った理由のひとつは、間違いなくこの「話しかけやすい空気」に
「ごめんね、いきなり話しかけちゃって……」
「あ、そういう事じゃなくって」
流れるように謝罪するぼくを遮るように、
「月代さんみたいな人が私に声をかけてくるなんて、思わなかったの」
「えっ?」
……彼女が言うには、自分のような地味な子に、外国のお姫様みたいなぼくが――――そこは違うと、念を押したけど――――話しかけてくるなんて、夢にも思わなかったらしい。
「自己紹介ではああ言ってたけど、お姫様がお忍びで……っていうのは、よく聞く話だから」
うーん、やっぱりあの「噓をついてもいい自己紹介」ってのは信憑性に欠けてたみたいで……彼女はぼくの「日本人で一般人です」という言葉を信じていなかったようなのだ。
「それに、しゃべり方とか……女の子なのに“ぼく”って言うところとか、日本語にまだ慣れてないのかなって思ったの。違ってたら……ごめんなさい」
……今さらながら、思い知らされてしまう。いわゆる普通の人にとって、ぼくがどう見えているのかを。ホント、見た目だけは普通じゃないのだ。見た目だけは。
けれど、会話が弾むにつれて――――もっとも話題は、自分がいかに小市民であるかをぼくが一方的に語り続けるという、身もフタもないものだったけど――――どうやら、一応は信じてもらえたようだ。
「月代さんが……いえ、灯夜さんがそう言うなら、そういう事にしておくね。身分はどうあれ、ここでは同じ学生同士だし……灯夜さんが親しみやすい人だというのは、十分伝わったから」
……信じてもらえた、のかな? とりあえずこれで変に遠慮されたり、かしこまられたりはしないと思うけど。
「でも正直、お姫様説も捨てがたいなぁ……女の子にとっては、やっぱり憧れだから」
「あはは……」
本当はお姫様どころか、女の子ですら……いやいや、少なくともそっち方面にはこれっぽっちも疑われてないみたいだし、それはそれで良しとしよう……。
「……えっと、灯夜さん」
「えっ、なに?」
「早く食べないと、遅刻しちゃうよ?」
あっ! 会話に没頭してすっかり忘れていたけど、そういえばもう結構な時間だったのだ! 改めて沢渡さんのトレーを見ると、彼女はとっくに食事を終えていた……その上で、わざわざぼくのおしゃべりに付き合ってくれていたのだ。
「ご、ごめん! 沢渡さんまでこんな時間に……」
「大丈夫だよ。もう着替えて準備もしてあるから」
「ぼくはもうちょっとかかるから、先に行って!」
残りのパンを急いで詰め込みながら――――これはちょっと、お嬢様的に恥ずかしいかもだけど――――ぼくは彼女に先に登校するよう促す。まだ時間があるとは言え、万が一昨日のぼくのように道に迷ってしまったらと思うと、心配だ。
「うん。それじゃあ、遅れないでね?」
ぼくの思いを察してくれたか、沢渡さんは静かに席を立ち、トレーをカウンターへと運んでいく。
さあ、急がなきゃ! パック入りの牛乳でパンを押し流し、そこにヨーグルトでふたをする。最後にお茶を……いや、さすがにこの辺りが限界か。
「ごちそうさまでしたっ!」
「はいは~い。それじゃあ気を付けていってらっしゃ~い」
「はい、行ってきますっ!」
カウンターの君鳥さんに一礼して、ぼくは……周りに誰もいない事を確認しつつ、二階への階段をダッシュする。こんな事なら、最初からカバンを持って下りてくれば良かった……いや、それだと歯が磨けないか。
とにかく急がないと。ガチャガチャとカギを開け、部屋の中に。そのまま洗面台へ直行し、手短に歯を磨く。準備はひと通り終わっているから、あとはカバンを持って出るだけでいい……
おっと最後に、しるふの様子を……って、いない! ついさっきまで、寝床である100均で買ったバスケットの中で眠っていたはずなのに……
ふと部屋の奥を見ると、閉めてあった窓がわずかに開いている。どうやら犯人はここから逃亡を図ったらしい……そういえば昨日は眠っているところを先生達に捕獲されたって言ってたから、今日は先手を取った訳か。何も考えてないようで、意外と考えてるんだな……
まあ、しるふの事だ。特に心配はいらないだろう。今はそれより、自分の心配をしないとっ!
ばたばたと階段を駆け下り、ロビーを通り抜ける。開け放たれた出入り口をくぐって……
「ギリギリ、セーフですね」
突然、脇から声を掛けられた! 恐る恐るそちらを振り向くと、そこには……
「沢渡さん! どうして……」
「待っていられる時間までは、待っていようかと思って。だって……せっかく一緒に登校できるお友達ができたんだから、ね?」
彼女はそう言って、再び微笑む。ぼくが好きになった――――あのふわふわの笑顔で。
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