第72話 はじまりの炎

【前回までのあらすじ】


 無人となった池袋の一角で、裏切りの妖たちによって喚びだされた伝説の【竜種】・紅の竜姫と、強大な火炎を操る霊装術者・不知火ミイナの戦いは続いていた。


 【門】より現れたサラマンダーの群れをけしかけ、自らは高見の見物を決め込むミイナだったが、怒りを爆発させた竜姫の反撃に一転、窮地に追い込まれてしまう。


 強者同士の死闘、その勝負の行方は如何に――――!?



◇◇◇



 ……平時ならば、そこは往来の激しい交差点であった。人や車がひっきりなしに行き来する、日常の光景……それを知っている者が今の有様を目にしたならば、あまりの凄惨さに思わず顔を覆ったことだろう。


 通りを埋め尽くしているのは、おびただしい数の生物の残骸。元がどんな生き物だったかも分からない程にズタズタに切り刻まれた肉塊が、アスファルトの路面が見えなくなる程に敷き詰められた……まさに地獄絵図。


 不知火ミイナは、今更ながら戦慄していた。この場に呼び寄せられた火の精霊サラマンダーは三桁にも届く程の大群だった筈。それが十分も経たないうちに全滅……である。


「フッ……呆れた化け物振りだ。ここまでとは、流石に思っていなかったんだがな」


 それを成し遂げた“化け物”――――自身を中心に高速回転する二本のリングをまとった異形の乙女は、未だくすぶり続けるあやかしたちの残骸の中で……ただただ涼やかな笑みを浮かべたたずんでいた。


「……やっと、二人きり・・・・になれたのう? これでようやく、お主と遊べるというものよ」


 不自然な程に柔らかい声色で、唯一生き残った敵手に語りかける……紅の竜姫。そのうっとりとした笑顔は、食事の最後にとっておきの好物を残しておいた子供を思わせるものだ。


 久方ぶりに味わう、息が詰まるような重苦しいプレッシャー。ミイナの脳裏に、かつて見たある光景がフラッシュバックする。

 彼女が経験してきた、数多あまたの地獄……わずか十五年の人生にしては濃厚すぎるそれの中でも、一際鮮やかな記憶が。


 ……赤く染まる空に、黒々と立ち並ぶ瓦礫がれきの街。肌に吹き付けるざらついた熱気と、肺の奥まで染み込む……血と肉の焦げた匂い。


 忘れはしない。そう、これは“戦場”の空気だ――――。




 ……今をさかのぼる事四年前、不知火ミイナの姿は中東某国にあった。児童養護施設を十歳で脱走した彼女は、放浪の果てに貨物船に密航し……遠く離れた異国の地へと流れ着いていたのだ。


 そこは古くから民族紛争が続く政情不安の土地。ミイナが人並外れた処世術を持つとはいえ、言葉も通じぬ異国で一人で生きていくのは並み大抵の事ではない。

 飢えと渇きに倒れた彼女が次に目を覚ましたのは、とある難民キャンプのテントの中であった。


 打ち捨てられた古代の神殿跡に設けられたそのキャンプには、中規模の都市ほどの数の難民が暮らしていた。戦禍に巻き込まれる事が日常茶飯事のこの国では、至る所にこうしたキャンプと……そこでの不自由な暮らしを強いられる人々が存在したのだ。


 周囲とは明らかに人種の異なるミイナだったが、しかしその所為で不当な扱いを受ける事はなかった。両親を失ったり、置き去りにされた外国人の子供が他にも居たのも理由だろうが、キャンプの人々は同じ境遇の者に対して寛容だったのである。


 ……そこでの生活は、ミイナにとって意外なほど充実した日々であった。水や食料といった物資が慢性的に不足している難民キャンプでは、皆が互いを支え合わなければ生きていく事ができない。

 それは子供であっても例外ではなく、ミイナも他の子供たちと共に大人の手伝いや雑用をこなし、また一方でその地の言葉や風習を学んでいった。


 ミイナがかつて施設で受けた形だけの物より、そこでの学びは遥かに有意義であった。幼い頃、生き延びる為に必死で覚えた悪事の手管とは違う……他者の為に働くすべ。それは彼女に、少なからぬ喜びをもたらしたのは間違いない。



 このキャンプで働き、やがて大人になる自分……ミイナがそんな未来を夢想し始めた頃、“それ”は突然訪れた。


 何の前触れもなく、おびただしい数の武装した男たちがキャンプに押し寄せた。抗議しようとした老人が出会い頭に撃ち殺され、その銃声を聞いた住人は一瞬でパニック状態におちいる。


 ……この時期、その地域は急激に勢力を拡大した大規模テロリスト集団による侵攻を受けていた。軍隊並みの兵力を持ち、自分たちを“国”と称する彼らの跳梁跋扈ちょうりょうばっこは、周辺国家のみならず世界規模での脅威となりつつあったのだ。


 この襲撃に、どのような戦略的意図があったのかは分からない。恐らくテロリストたちの中でも、それを答えられる者は少数だったろう。

 しかし、逃げ惑う丸腰の難民を虐殺する男たちに、躊躇ちゅうちょや迷いは一切無かった。彼らは殺戮さつりくの日々に慣れすぎたのか、あるいは神の教えに従い、己が正しい行いをしていると信じていたのかもしれない。


 そんな狂騒の只中において、ミイナはただ闇雲に逃げるしかなかった。キャンプでの日々は彼女に多くを与え、成長を促したが……それも圧倒的な暴力の前では何の意味も持たない。


「結局、あたしはただの子供ガキだってことか――――」


 見知った顔が次々と銃弾に倒れていく……悪夢のような惨劇の中で、唇を嚙み締めるミイナ。そんな時、彼女の目はふと奇妙な光景を捉えていた。


 ――――それは、ミイナとそう歳の変わらぬ少女だった。この地域ではありふれた、漆黒の髪に褐色の肌の少女……薄いヴェールを身にまとった彼女は、広間の床にひざまずいて一心に祈りを捧げているように見えた。


 昨日までであれば、何という事もない日常の風景に埋没していただろう姿。だが、銃弾が飛び交い悲鳴と怒号が木霊する中で……その有様はまるで生きることを諦めているかのように、ミイナには映ったのだ。


「何してる、馬鹿野郎!」


 ミイナは思わず駆け寄り、その見知らぬ少女の腕を掴んでいた。


 ――――熱い。焼けた砂を握ったかのごとき感触に驚くミイナだったが、掴まれた少女はミイナ以上に仰天した様子であった。


『アナタニハ、ワタシガ視エルノ?』


 その声は耳からではなく、頭に直接流れ込んできた。初めての感覚に、思わず少女に触れた手を引っ込めるミイナ。


「お、お前はいったい……」


『……アナタニハ、ワタシノ声ガ聞コエルノ?』


 少女の長い前髪の隙間から、琥珀色の瞳がきらめく。広間に立ち並ぶテントにはいつの間にか火が放たれ、彼女たちの周囲は刻一刻炎に浸食されていた。


 しかし、ミイナは動けない。まるで時が止まったかのように、彼女は少女の瞳から目を離せなかったのだ。



 これが不知火ミイナと、その相棒となる“炎の魔人イフリート”・サラーヴの出逢いであった…………。




「……そう、あの日からあたしは変わった。もう踏み潰されるだけの子供じゃあ……ない!」


 ミイナの全身から、霊力を込めた深紅の炎が溢れ出す。目の前の敵は、中途半端な小細工が通用する相手ではない。

 ならば……やる事はひとつ。


「ほほう、大した気迫ではないか。そんな余力があるのなら、最初から見せて欲しかったものよ」


 口元に穏やかな笑みをたたえながらも、紅の竜姫の眼は笑っていない。彼女の敵手が次に繰り出すのが、その持ちうる最大の技であろう事を悟っていたからだ。


「もはや出し惜しみは無しだ。この不知火ミイナの本気の炎、受けられるものなら受けてみるがいい――――!」


 片膝を持ち上げ、顔の前で交差した両腕を勢いよく開く。それはまるで、翼を広げた鳳凰を思わせる異様な構え。

 身体を覆った炎が渦を巻くのに合わせ、ミイナはそのままの姿勢でバレエを踊るかのようにくるくると回転し始める。


「……面白い。舞いでこのわらわと張り合うか!」


 それはまるで業火で形作られた独楽こま、あるいは竜巻だろうか? 回転するミイナの姿は、瞬く間にこの世の物ならぬ灼熱の渦へと変貌を遂げていた。


「――――“煉獄斬円almutahar dayira yaqtae”!!」


 竜巻が、跳んだ。空中で横倒しになったそれは更にその回転速度を上げ、赤熱した巨大な丸のこぎりと化して竜姫に襲い掛かる!


「受けてやろう! お主の本気とやらを!!」


 鱗のリングと灼熱の丸鋸。恐るべき強者が操るそれぞれの凶器が激突した瞬間、池袋の大地は唸るように震撼したのであった――――!

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