第21話 魔法少女の誤算

「……まったく、頭にくるわ」


 降り注ぐ火球をいなし、敵の懐へ飛び込む。移動しながらの……蹴り。火の精霊サラマンダーはゆらりと上体を反らしてそれをかわす。


 ここまでは予想通り。着地と同時に体をひねり、蹴り足を踵から叩き込む……相手の態勢を崩してからの、本命の一撃。

 しかし、わたしの足はむなしく空を切る。人間ならば回避不能の攻撃であるそれを、サラマンダーはギリギリのところで避けていた……長い尾を使って巧みにバランスを立て直す、まさにあやかしならではの動きで。


『お嬢様、体裁きが雑になっています』


 雷華が冷静に、わたしの無様な戦いを添削する。


『無手での戦いは動きを止めず、手数で圧倒すること。基本をお忘れなく』


「そんなこと、今更言われなくたって……!」


 再び距離を離したサラマンダーに向かって駆けながら、わたしは――四方院樹希いつきは、この泥沼のような状況に辟易していた。


 狭いケーブル孔を一時間強も彷徨った挙句、ようやく見つけた獲物にこうも手こずるとは。何よりの誤算は、奴を追い込んだ先にこのような施設が存在していた事。感じからして何か医療関係の施設だろうか?


 人里離れた自然の豊かな場所に療養所を建てるというのは、確かによく聞く話ではある。

 ……何もこんな山奥にというのは、野暮な話だろうが。


 しかもすでに周りは火の海だ。これでは人目を避けて深夜に行動している意味が無い。建物に目立った動きは見られないが、何人かにはもう姿を見られているだろう。

 ここで時間を取られる訳にはいかない……少なくとも、消防がやって来るまでには決着を付けないと。


 そんなこちらの事情を知ってか知らずか。あのサラマンダーはわたしの攻撃をひたすら回避に徹していた。その上こちらが術を使う気配を見せれば近づいて牽制し、応戦しようとすれば再び距離を離して炎弾で削ってくる。


「嫌らしいったらありゃしない。実力差が分かってるなら、さっさと逃げるか諦めるかすればいいのに!」


 眼に流れ込んでくる汗をぬぐいながら、逃げるサラマンダーを追う。そこら中に火の手が上がっているせいか、周囲はもう真夏のような暑さだ。


“拆雷”さくみかづちを見られていますからね。迂闊に背は向けられないのでしょう』


 僅かに咎める気配を含んだ雷華の指摘。地上に出た時、初撃に拆雷を放ったのは失策だと言いたいのだろう。

 確かに外しはしたが、あの時点ではそう間違った判断ではなかったはずだ。事実サラマンダーは避けきれずにダメージを負っている。

 炎と煙が視界を妨げていなければ、一撃で勝負は付いていたというのに……


『必中を期すならば、大声で祝詞のりとを唱えずとも良かったのです。不意を打てば避ける間も無いでしょうに』


「の、祝詞は高らかに唱えないと失礼にあたるでしょ! それに四方院の巫女が下級精霊相手に不意打ちなんて、物笑いの種だわ!」


 雷華の言い分は正論であるだけに、反論するのはいつもひと苦労だ。

霊装として強大な力を与えてくれる半面、その使い方には厳しくツッコミを入れてくるのが彼女の難点である。

 永く齢を経た霊獣としては、若い術者に口出ししたい事も多いのだろうが……


『そもそも、奴を地上に出したのが間違いなのです。地下できっちり仕留めておけば、こんな事には……』


 これも確かにその通り。狭い地下坑内での戦いならば互いに大きな術は使えない。

 そうなれば必然的に戦いは肉弾戦に限定され、サラマンダーは今のような敏捷性を生かした「逃げ」の戦術を封じられることになる。


 正面からの殴り合いでこちらが遅れをとる事は当然ないので、時間はかかれど確実に勝利を得られたであろう。


 だが、それは結果論だ。わたしはさらに早期の決着を望み、その実現こそが最適と判断したのだ。

 ……計算外の状況と僅かな不幸により、それは叶わなかったわけだが。


『…………お嬢様、もしかして……わざと・・・やりましたか』


「……」


『そういえば地下で奴と遭遇した時、妙に大振りの攻撃を連発して壁を壊していましたね。あれはこちらの力を見せつけ、閉所で戦う事の不利を悟らせる為だった。一刻も早く地上に逃れなければ危ないと……そう、誘導していたのですね』


「………」


『……外にさえ出れば、自分が得意な雷術で一撃で決められると。成程、合点がいきました』


「…………うまくいくと思ったのよ」


 雷華の思念がはぁ、とため息をついた。


『お嬢様……浅はかです』



 ――――確かに、わたしは肉弾戦よりも術による決着を望んでいた。だがそれは決して、体術においてサラマンダーに抗し得ないという意味ではない。


 魔術や法術を操る者達……いわゆる術者の多くは肉体的には脆弱である。術を極める為の壮絶な修練の日々は健康とは縁遠く、むしろその体を蝕む程なのだから当然だ。


 しかし四方院の巫女は違う。霊装をまとう事で得られる高い身体能力は、妖達の変幻自在な能力を相手にする上で大きなアドバンテージとなる。

 人外の化物と真正面から殴り合える程のそれは、触れられれば倒れる並の術者とはもはや別次元の戦力なのだ。古来より、対妖の切り札と呼ばれているのは伊達じゃない。


 当然ながら、たかが下級精霊を拳ひとつで封殺するなどたやすい事だ。だが、わたしは敢えてそうすることを望まなかった。何故か?


 ――――そんな事は決まっている……わたしは、術者だからだ。


 できるからと言って、妖を殴り合いで倒すというのはいち術者としてひどく不本意な勝ち方だ。第一、そういった勝利を重ねた所で恐れられるのは霊装の力であり、わたしという術者の評価には繋がらない。


 わたしが収めるべきはただの勝ちではない。四方院の巫女として、ふさわしい勝利でなければならないのだ。


『術者の矜持、ですか……それも大事ですが、今もっとも優先すべきは何か。お忘れ無き様』


「分かって……いるわ!」


 叫びながら放った蹴りが、遂に標的を捉えた。ガードした両腕ごと真後ろに吹き飛ぶサラマンダー。

 結果としてまた距離を離されることにはなったが、手応えはあった。尾を振り回してむりやり着地した奴の両腕が、だらりと垂れ下がっている。


 おそらくは吹っ飛ばされる事も計算してこちらの攻撃をガードしたのだろうが……その代償は想像以上に大きかったようだ。


『畳み掛けますよ、お嬢様』


 雷華の声を聞く前に、わたしは駆け出していた……言われなくても理解わかる。今が、好機チャンスだ。


「後悔させてやる……四方院わたしに歯向かった事を!」

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