第3話 四方院の巫女
物質世界において、
――――人間を圧倒する強大な力を持つ彼らが、この世界の支配者となり得なかった理由。それはこの制限があったからに他ならない。
世界をあまねく縛る、純然たる物理の法則。それは妖という不確かなる出自の者……イレギュラーの存在を拒む。具体的には、この世に非ざる存在を打ち消す反作用の様なものが働き、妖の命を常に削り続けているのだ。
その制限の檻に抗する為、妖はただ存在するだけでも力を失い続けることになる。
それだけではない。妖を妖たらしめる妖術の行使にもこの制限は当てはまる。特に、万有引力や質量保存といった重要な法則に反した力を使う為には、より多くの妖力を消費する事になるのだ。
――この理不尽な枷を恐れずに、己が力を振るう術はないものか――
妖がその力の源とするのは、恐れを始めとする人の強い感情である。「妖が人を喰らう」というのも、生死の境に置かれた人の感情が糧として優れている為なのだ。
ある妖は考えた。取り込んだ人間を殺さずに共生できれば……喰らうのではなく、逆に人間の身体を取り込み一体となることができれば、より多くの力を引き出し続けることが出来るのではないか?
そうして編み出されたのが“憑依”だ。
高い霊力を持ち、かつ己と波長の合う人間と霊的契約を結び、肉体を共有することで、妖はその妖力を存分に発揮することが可能となる。ただ力を得られるだけではない。人と一体になることで制限そのものが大きく緩和されるのだ。
妖の多くは巧みに人の心の弱みを突き、惑わせることで自らに有利な契約を交わさせ、身体の主導権を手に入れる。
しかし、強固な意思をもって妖を逆に支配、または懐柔し……その力を手にした人間もまた、存在した。生来高い霊力を持つ彼らは逆に「妖を狩る者」として、その無双の力を振るったという――
……暗闇を引き裂いた閃光が現れた時と同じく唐突にかき消え、そこにあったわたしの姿は変貌を遂げていた。
先程までの制服の女学生の面影はすでに無い。身に纏っているのは、巫女服に似た意匠を持ちながらも動き易さを重視した……有り体に言えば布地が減った衣装だ。
肩から上腕にかけて大きく肌が露出し、緋袴は半ばミニスカートに近い代物になっている。その結果晒される両脚はひざ上までの足袋ともニーソックスとも採れるブーツに覆われていた。
そして何より目を惹くのは、全身を幾重にも走る紫色の光条だ。光の刺青、とでもいうべきか。露わになった素肌に刻まれた紋様の中を、光の粒子が流れるように移動していく。
これは術者の間で“呪紋”と称される、霊装時特有の現象。妖の血流……いや、むしろ妖そのものが血流となって体の隅々まで浸透し、人間の肉体に妖の身体能力を上乗せしているのだ。
そう、今のわたしは契約によって憑依した雷華の……霊獣・鵺の力を操ることができる。
――退魔の術に加え、強大な妖力。およそ退魔行において無敵の存在――
この姿こそが“戦姫霊装”……守護獣たる鵺をその身に纏った、四方院の巫女の戦闘形態なのだ。
「……この姿を見た以上、相応に痛い目を見てもらうことになるけど」
わたしはノームに向けて一歩踏み出した。ハイヒールの踵がかつり、とコンテナを叩く。
「覚悟は――宜しい?」
土くれの巨人が、たじろぐ。
先程までのドヤ顔はどこへやら、ノームは明らかに狼狽していた。どうやら察しの悪い土の精にも、明らかな戦力差というものが伝わったようだ。とはいえ、ノームに与えられた選択肢は少ない……素直に捕まるか、暴れてから捕まるか。
わずかな逡巡の後、土くれの巨腕が唸りを上げ猛然と突き出された。巻き起こる突風がわたしの頬を叩く。
「あまり利口とはいえないわね……」
ノームが驚愕に目を見開いた。確実に打ち抜いたはずの標的が、拳が通り過ぎたはずの場所に少しも変わらぬ様子で立っていたからだ。
「……!」
何かの間違いだ。そう言わんばかりに二度、三度と立て続けに拳を振るうノーム。しかしそのいずれも獲物を捉えるには至らない。
当然だ。今のわたしにはノームの動きが完全に見えている。霊装状態のわたしは単に夜目が利くだけではない。強い妖力の流れそのものを感覚的に“視る”ことができるのだ。
四方院の巫女となる者に元々備わっている、妖力感知の能力……それは妖そのものと一体になることで更に精度を増している。加えて身体の反応速度も妖のそれが上乗せされていては、最早ノーム程度の速度でわたしに触れることは難しいだろう。
「…………!!」
渾身の一撃を相次いでかわされ、業を煮やしたノームは両の拳を組んでそのまま叩きつけてきた。足場もろとも打ち砕くつもりだ。
一足早く後方に飛び退いたわたしの前で激しい衝撃音が響く。見れば巨大な拳がコンテナの淵にめり込んでいた。流石大地を司るというだけはある。大した腕力だ。
ノームは更に追い打ちをかけようと身を乗り出した。巨腕に比して短い足でコンテナ上に立ち上がり、拳を振り回しながら間合いを詰めにくる。
列車の最後尾まで追い詰めてしまえば、いかに素早い相手でも回避は難しい。そして攻撃を当てて列車から落としてしまえば、逃走する時間を稼ぐことができる。
ここが攻め時とばかりに、圧力を強めてくるノーム。
『雷華、そろそろじゃなくて?』
攻撃をかわしながら確認する。一心同体の霊装状態では必然、念話で意思の疎通を行うことになる。
『そろそろですね。あと二十秒程ですか』
ノームの攻撃は相変わらずかすりもしないが、その巨体を生かし回避の方向を制限する事で着実にわたしを後方に追い込んでいる。今いるのは最後尾のコンテナだ。これ以上は後退できない。
ノームはじわじわと距離を詰めながら、ゆっくりと腕を振りかぶる。このまま真横から薙ぎ払うつもりなのだろう。前後、左右共に逃げ場はない。
「頃愛ね……獣身通・王虎!」『了』
勝利を確信したようないやらしいにやけ笑いを浮かべながら、ノームはわたし目がけて巨腕を叩きつけた。
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