第4話 雷、轟くとき

 丸太のごとき剛腕が横一文字に振り抜かれ、枯れ木のように吹き飛ばされる巫女……ノームが想像したであろう光景は、しかし現実とはならなかった。


 わたしの左腕が、それを受け止めていたからだ。


 漆黒の毛皮に覆われた……大型肉食獣の前脚。紫の呪紋を縞状に走らせた異形の腕。今、わたしの肩口から生えているのは……まぎれもなくあやかしの、ぬえのそれだった。



 ――――鵺という妖は、その体に複数の獣の特徴を併せ持つ。それを人の身において再現するのが“獣身通”と呼ばれる妖術だ。中でも“王虎”は両腕を虎のそれに変化させる事を意味し、その力は鉄製のコンテナを歪ませるノームの一撃をも軽く受け止める程である。


「敵うとでも……思っていたの?」


 ノームの表情が、文字通り凍りついた。そう、奴はこう考えていたはずだ……総合的な力量差は有るにしろ、攻めに関してはこちらに分があると。

 なぜなら、敵は攻撃を躱し続けるだけ。それは即ち、全力で躱し続ける以外に手が無いという事を意味し、こちらが攻め続ける限りは主導権を握り続けられると……


 だが、そうではなかった。敵は迅さだけでなく、ノームが絶対の自信を持っていた腕力においてさえ、その上をいっていたのだ。その気になればいつでも攻撃を受け止められた。躱す必要すら、無かったのだから。


 ノームは、気付くべきだったのだ――自分より優位であるはずの相手が、何故守りに徹していたのか? 狭い列車上で不必要な回避を続けていたのは一体、何の為なのか?


 愚鈍な土の精が結論に至る前に、その時は訪れた。


 不意に、闇が途切れる。わたしが列車上に降り立った時から変わらず続いていた景色……左右の黒々とした木々が唐突に消え去ったのだ。

 そして間を置かずに列車が立てていた轟音が変質する。くぐもった重低音が幾分軽目の反響音に上書きされていく。


 ノームは左右に首をめぐらし、次いで「下」を見た。列車は今も変わらずレールの上を走っている……しかし。


 土の精霊の顔が、歪んだ。先程とは違う――恐れの表情。奴は見た。そして知ったのだ……自分が今、何処にいるのかを。



 ――――橋。貨物列車は鉄橋に差し掛かっていた。地上十数メートルの眼下に広がっているのは、幅広い川の真っ黒な水面だ。


 地面の上すべてを自らの領域とする大地の精霊。一見隙がない様に見えるこの領域には、実は大きな穴がある。広義において地面の上であっても、水面は例外なのだ。


 水中を領域とする水の精霊との干渉により、一定量の水を挟むと大地の加護は届かない。そう、すべては布石だった。鉄橋の手前で待ち伏せたのも、不安定なコンテナ上におびき寄せたのも。

 そして攻撃をギリギリでかわして注意を引き付けたのも、すべてはこの瞬間のため。


 ノームの右腕を受け止めたままの左手……虎の前脚から鋭利な爪が飛び出して、土塊の腕にがっちりと食い込んだ。そしてわたしは隙だらけのノームの懐に飛び込むと、奴の右腋に腕を差し込み力を込める。


 ぐらり、と巨体が傾ぐ。わたしはそのまま全体重をかけ、一本背負いの要領でノームを投げ落とした。


「……沈め!」


「――――!!!」


 解読不能な絶叫をあげながら落下した土の巨人は、その巨体に応じた巨大な水柱を上げた。


 ――――ここまでは、予定通り。


 ノームは移動速度こそ遅いものの、いざとなれば土中に潜ることができる。うっかり地下にでも逃げられてしまえば捕えるのは非常に困難だ。

 そこで逃げ場のない水場に誘導し、弱体化したところを確保する。これが今回、ノーム捕獲にあたってわたしが立てた作戦だ。


 水柱が消えた後も、依然としてノームの巨体はそこにあった。しかしその全身にはくまなく亀裂が入り、端からボロボロと崩れ始めている。体を構成する土に水が浸透することで、加護を維持できなくなっているのだ。


 このまま放っておいても土の巨人は崩壊し、ノームは無力な小人の姿に戻るだろう。けれど、それをのんびりと身守るつもりは……ない。


 わたしは鉄橋を渡る列車から身を躍らせた。


『お嬢様……!』「わかっているわ、雷華」


 ノームを封印するのは、奴が身に纏った土の鎧が完全に失われた後でなければならない。今攻撃を入れて砕いても、数分待って勝手に崩れるのを待っても結果は同じだ。


 しかし、である。罪を犯した者は相応の罰を受けるものだ。奴には……わたしから夕刻の穏やかな時間を奪った報いを与えて然るべきだろう。


 ノームに向かって落下しながら、短く印を結ぶ――獣身通はすでに解かれており、わたしの両腕は元に戻っている。


 体を走る呪紋が輝きを増し、右手に力が集中していくのがわかる。これから使用つかうのは、鵺の妖術ではない。

 特定の印と祝詞のりとを介する事で、物理の制約をすり抜けて発動する超常の業……それは、四方院家に代々伝わる退魔の術。わたしが幼い頃より研鑽を積んできた術だ。


「四方院の名にいて!」


 高らかに、唱える。大気中の霊力がそれに呼応し、わたしの右掌の上で激しく火花を散らす。こちらに気付いたノームが、崩れかけた左腕をのろのろと掲げて防御の姿勢を取るのが見えたが、


 ――――無駄よ!


 構わず、掌を叩きつける。


響震ひびけ、“鳴雷”なるみかづち!」


 一瞬の閃光。雷速の電撃が防御した左腕から巨人の全身へ駆け巡る。当然、ノーム本体にもだ。しかも、それだけでは終わらない。一拍遅れて、本命――音速の衝撃波が土の巨人を襲う。


 まさに稲妻のごとき轟音が、闇夜に響き渡った。



 “鳴雷”は四方院家に伝わる雷術――八雷やつみかずちのひとつ。衝撃に特化し、物理的に対象を破壊する術だ。この術の前では、元が土塊の巨人などものの数ではない。その巨体は無残にもバラバラに砕け散り……断片は土でも泥でもなく、砂粒にまで分解され川面にまき散らされた。


『……少しやり過ぎなのでは?』


 心なしか、気の毒そうな口調の雷華。


「そう? 手加減はしたつもりだけど」


 わたしは腰まである深さの川底から、見る影もなく衰弱したノームを引き上げながら答える。土の精霊であるこいつは、当然のように水に浮かない。


『そうではありません……派手に動きすぎではないか、と言っているのです。夜間とはいえ、人目が無いとも限りませんし』


 川岸に上がり、霊装を解除する。上空からヘリの爆音が近付いてきたからだ。


「以前あった……“魔法少女激ヤバ生配信”でしたか、あの様な事がまた無いとも限りません」


「あれは酷い事件だったわね……先輩方のしでかした事とはいえ、ぞっとしない話だわ」


 全く、嫌な事を思い出した。傍目にはコスプレにしか見えない霊装時の姿を見られるだけでも十分辛いというのに……ネットで配信とか気が遠くなる。


「さあ、撤収撤収。ここに長居する理由はないわ」


 ヘリから降ってきた縄梯子をつかむ。河原とはいえヘリが着陸できる程のスペースはない。


「ノームはどうします? ここで封印するのでは?」


「適当に縛って転がしておけばいいわ。どのみち、空の上じゃ手も足も出ないでしょ? 残り三体。今夜中にあと二体は仕留めておかないと……」


 仕留めてはまずいでしょう、と雷華が苦笑する。


「それに今夜中というのは……少し厳しいでしょうね」


 顔の上に掌をかざしながら、そう答える雷華。

丁度その時、わたしも気付いていた……川面でヘリが巻き起こす風のせいかと思っていた、頬に当たる水滴。その出処が、遥かに高い暗闇の空だということに。


「雨、ね……。また面倒くさいタイミングで……」


 今夜もう何度目かわからない溜息をつきながら、昏い曇天を睨みつけた。雨の中では妖探知の精度は大幅に落ちる。夜明けまでに残り三体の妖を探し出し、封印するのは至難の業だろう。


 ……どこか、不可思議な巡りの悪さ。何処か人の手の及ばぬ処で、運命の流れを弄ばれているような……そんな悪寒を感じるのは、わたしの疑り深い性格のせいだろうか?


「……何も、起こらなければいいのだけれど」


 そう呟く。


 ――既に事は起こっている。何かが動き始めている――


 そんな、不吉な確信が嘘に変わればいいと……一縷の望みを込めて。

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