第24話 コーヒーブレイクは妖と共に

【前回までのあらすじ】


 渋谷の街で行われた大規模な召喚術。その痕跡を調べた蒼衣は、それが妖の仕業であると確信する。

 情報が足らず動けない警察に代わり、捜査にあたるのは樹希たち学園の術者だ。


 わずかな手掛かりを求め、人の姿を取った二人組の妖を追い電車に乗った樹希たち。二手に分かれ、高田馬場で下車したがしゃ髑髏を追う樹希だったが、その行動はすでに察知されていた。


 ゴールデンウイークで人が溢れる街中で、対峙する妖と術者。窮地に立たされた樹希の運命は――――!



◇◇◇



「ほらよ、ドリップコーヒーのショートのアイス。ここじゃあこいつが普通・・のアイスコーヒーだ」


 テーブルに置かれたのは、緑色のマークが描かれた白い紙コップ。男の言う通りならば、乳白色の蓋の下には氷と黒褐色の液体が満たされているのだろう。


「……有り難う」


 わたしはそのショートのアイスとやらを手に取り、一口のどに流し込む。砂糖もミルクもあったが、それらを入れる気分にはなれなかった。


「構わねーよ。しかし、お嬢様ってのはアレか。こんな庶民の店には入った事もねぇのかい?」


 そう言いながら、わたしの手にした物の倍はあるコップからコーヒーを――――やたら長ったらしい名前がついていたが、コーヒーショップで出るからにはやはりコーヒーのたぐいなのだろう――――をがぶ飲みするのは、派手な紫のジャケットを着た二十代前半の男。


「わたしだって喫茶店くらい入るわよ。ただ、学園の中にはここのチェーン店が無かったから……少し、戸惑っただけ」


 先程メニューを見て固まっているわたしを見て、奴は「アイスコーヒーでいいだろ? 普通のヤツで」と言い、手早く注文を済ませると……慣れた様子で二人分のコーヒーを受け取って来たのだ。


 女性をエスコートする手際においては多少、評価しないでもないが……正直な話、わたしが感じているのは――――屈辱。ただそれだけだ。


 ――――まさか、コーヒーショップの作法であやかしに遅れを取る羽目になるなんて。


 そう。テーブルをはさんでわたしの向かいに座っている男は、人間ではない。

 正確には“人間に憑依した妖”であり、半分は人間と言えなくもないが……最早魂まで深く融合し、身体の主導権を完全に奪っている以上、ほぼ妖そのものと言ってしまって良いだろう。


「そんな事より……貴方、どういうつもり?」


「どうもこうもェだろ。俺だっていい大人だぜ? コーヒー一杯おごる程度の甲斐性はあるってもんだ」


「そんな事は聞いていないわ! どうしてわたしと貴方が……敵同士が仲良くコーヒー飲まなきゃならないのかって話よ!」


 思わず声を荒げるわたしに、周囲の一般客が一瞬、静まり返る。


「……あんまり大声出すなよ。なんか痛い娘だって思われるぜ?」


「くっ、妖の貴方がそれを言うというの……」




 ――――事の始まりは十分程前。人で溢れかえる駅の構内で対峙したわたしと……【がしゃ髑髏どくろ】の男。


「立ち話もナンだ。折角だし一杯……付き合ってくれよ?」


 一触即発の空気に水を差したのは、他ならぬ奴自身であった。


「ここで一戦やらかしても、お互い得する事なんてェ。そうだろ?」


 この場で即、戦闘開始ともなれば、周囲に犠牲者が出るのはまず避けられない。更に言えば……パートナーである雷華を欠いた状態で、わたしが憑依を果たした妖である奴に勝てる見込みは薄い。


 そして、リスクがあるのは向こうも同じ。憑依によって人間と一体になった妖は普通の人間にも視えてしまうし、カメラ等の機械でも不鮮明ながら撮影が可能だ。

 憑依の弊害へいがいで、奴は人間としての顔を変える事ができない。身元が特定され指名手配ともなれば、コーヒーショップどころか人前に出る事すら危うくなるのだから。


「……分かったわ。貴方がそうしたいと言うのなら」 


 あちらに戦う意思が無いのなら、ここで事を荒立てるメリットもまた存在しない。わたしはしぶしぶ奴に従い……すぐ近くの店で、こうしてテーブルを囲む事になったのだ。




「それはそうと……そろそろ聞かせて貰えるかしら、わたしに声を掛けた理由を。ただ女子中学生とコーヒーを飲みたかった訳では無いのでしょう?」


 わたしが知りたいのは、まずその一点。尾行を察知していたのなら、綺麗にく事だって出来たはず。それをわざわざ接触してきたのには、何か奴なりの理由があるのだろう。


「まァ、そうだろうな。俺だって、子供ガキをナンパする趣味があると思われちゃァかなわん。そろそろ本題に入らせてもらうぜ」


 言いながら紙コップの中の液体を一気に飲み干すと、奴はこちらに顔を向け、まっすぐ睨み付けてきた。不揃いな前髪の隙間から放たれるぎらぎらとした眼光が、わたしの瞳を真正面から射抜く。 


「まず、確認しておくが……お嬢様。アンタの格好から察するに、遊びに来た先で偶然俺を見つけたって訳じゃねェんだろ?」


 そう、わたしが着ているのは例によって天御神楽の制服――――朝早くに呼び出されて、私服を選んでいる時間が無かったのだ――――連休中に街を歩く服装としては、いささか無粋に過ぎる。


「となれば、昨晩の派手な召喚儀式の件で来たって事だな。まったく、こんな即バレるような場所でやらんでもいいだろうによォ……」


他人事ひとごとみたいに言わないで! 全部貴方達の仕業でしょうに!」


 声量を抑えつつも、最大限の圧を込めて言い放つわたし。周囲を気にして、大声で恫喝どうかつできないのがもどかしい。


「それが、そうでもねーんだなァ。確かにやったのは妖だが、そいつ等は俺達の仲間じゃねェ……正確には、もう仲間じゃあなくなった連中なのさ」


「どういう事……?」


 問いかけるわたしの前で、奴は小さくため息をつくと……手にした紙コップの蓋を外し、中に残った氷を口の中に流し込んだ。

 そして無表情のまま、ばりぼりと音を立ててそれを嚙み砕く。


「早い話が……裏切り者よ」


 氷をすべて飲み込んだ奴が、吐き捨てるように放った言葉。それは、わたしにとって全く想定外であり……ただでさえ暗礁あんしょうに乗り上げかけた捜査を、さらなる混迷の水底へと突き落とす忌まわしい新情報だった。


「裏切り者……それじゃあ、貴方達は――――」


「そう。俺達もまた、ヤツ等を追っているって訳だ。キッチリと落とし前をつける為になァ」


 ……裏切り者。それはすなわち、くだんの妖大将に逆らった者という意味だろう。

 そして、それを追うのは憑依によって並の妖を超える力を持つこの男。刺客としては順当な人選といった所か。


 思い起こしてみれば……前の戦いの際にも、こいつはいさかいの末に仲間の妖を殺している。同胞をあやめる事にためらいが無いのは、そういった汚れ仕事に慣れているからかもしれない。


「……貴方の言う事が真実だとして、それをわたしに教える理由は何? まさか、冥途の土産とでも言うつもりじゃないでしょうね?」


「へっ、わざわざそんな面倒くせェ事するかよ。それに、これはまだほんの触りにすぎねェ。アンタさえその気になりゃあ……もう少し、身のある情報をやらんでもねェぜ?」


 唇の端を歪め、にやりとわらう男。爛々らんらんと燃える視線が、まるで値踏みするようにわたしをめ回す。


「つまり、コイツが本題よ。“取引”といこうぜ、四方院のお嬢様――――!」

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