第25話 四方院樹希の優雅なる午後、1

「……そう、分かったわ。また何か動きがあったら知らせて。」


 軽くため息をつきながらボタンを押すと、携帯の表示は通話終了を示すそれへと変わった。


 ――ここは学園内のとあるカフェ。二階から張り出したバルコニーに設けられたテラスが人気の店だ。

 全寮制のお嬢様学校、それもかなりの規模であるこの学園には、こういった飲食施設が無数に存在している。

 その中でもこの店は四方院樹希わたしのお気に入りであり、よく晴れて適度な日差しのある今日のような日は、ここのテラス席で優雅なひとときを過ごすのが日課になっていた。


「どうぞ、お嬢様」


 柔らかな湯気を立てる琥珀色の液体をたたえたカップが白いテーブルにことり、と置かれる。運んできたのは、メイド服の女性……雷華だ。


「何か、進捗はありましたか?」


「無いわね。あと、例の術者について調べさせたのだけれど、病院の関係者リストからは何も出なかったそうよ」


 昨晩のサラマンダーとの戦い。それに少なからず干渉した謎の術者の正体は、いまだ謎のままだ。


「この辺りには名のある術者も居ないし、野良かしらね……せめて、術の痕跡を調べる時間があれば良かったのに」


 そう、丁度サラマンダーを倒した直後に駆け付けた消防隊のせいで、わたし達は退散を余儀なくされたのだ。


 術者の存在は公にしてはならない。これは古よりの不文律であり、わたし達が常々人目を避けて行動するのはその為でもある。

 ……そうでなくてもあんなコスプレまがいの恰好で現場に残っていれば、重要参考人として連行されても文句は言えないのだけど。


「正直、今からでも行って調べたいわ。そろそろ現場の封鎖も解かれるだろうし」


 あの炎の魔槍を防ぎ切る事ができたのは、件の術者の助力があったからに他ならない。

 中庭であれだけの火勢があったにも関わらず、周囲の建物に被害が出ていない事も含めて、それなりの実力を持った術者であるのは確かなのだが……


「……午後の授業を抜け出す口実としては、いささか難がありますね。お嬢様」


 にこやかな笑みを崩さず、そんな事を言う雷華。三月も半ばを過ぎて、授業の内容なんてほとんど無いってのに。


「それに当面の目的は四大精霊の速やかな回収です。妨害されたならいざ知らず、助力して頂いた相手を追い回すのは後回しでもよいかと」


「当面の目的、ね……」


 紅茶を一口飲んで、わたしは思索にふける……事の発端。それはほぼ二日前にさかのぼる。



 ――――地のノーム、水のウンディーネ、火のサラマンダー、風のシルフ。


 俗に【四大精霊】と称される彼らは、あやかしとしてのランクは低く能力もそれなりである。

 だがそれ故に制御もし易く、召喚術に長けた術者ならば容易く呼び出す事が可能な為、妖研究の場においては重宝されているのだ。


 今回逃げ出した精霊達もそうした研究活動の一環で使われていたという……内容は詳しく知らないけれど、妖が視える子供の早期発見を目指しているとか何とか。

 とにかくそういった経緯で、四体の精霊は移送されていた。問題が発覚したのは、移送に使われていたトラックが高速道路で玉突き事故に巻き込まれ損壊し、その際に精霊達が解放されてしまった後だった。


 マニュアル上では、精霊達の移送は専用の車両で設備ごと行われる事になっている。ちょっとした現金輸送車並に頑丈な車両だ。

 セキュリティ対策も万全で、少なくとも普通の交通事故程度で積荷の精霊が解放されるなどあり得ない。


 が、今回は違った。四体の精霊が乗せられていたのは専用車両ではなく、通常のトラック――普通に宅配便等に使われるそれであった。


 ……移送は、何かの手違いで民間の運送業者に委託されていたのだ。本来あり得ない経緯で移送されていた精霊達は、起こるべくして起こった人災によって解き放たれることになった。一旦解放されてしまえばもはや制御も及ばない。事態を収拾するには、ばらばらに逃走する彼らを一体ずつ捕らえるしかないのだ。



 わたしが精霊達の捕獲を請け負う事になったのは、そういった流れによるものだった。その日のうちにノーム、昨晩サラマンダーを捕獲するも、残り二体の行方はまだ掴めていない。


 今も四方院家の捜索班が必死の捜査を続けている……ウンディーネ、シルフ共に本気で逃げに徹されると厄介な相手だ。

 見つからないという事は、既に捜索範囲から離脱しているか、それともいまだ潜伏しているのか。

 後者ならば、まだチャンスはある。


「……そういえばお嬢様、先生へのご連絡はお済みですか?」


「――――ああああ! すっかり忘れてたわ!」


 雷華に言われるまで、完全に失念していた。わたしはテーブルに置いたままだった携帯――ふた昔は前のごついガラケーを掴み、先生の携帯にコールする。



 ――――先生。わたし達の言う【先生】とは、政府と学園在籍の術者とのパイプ役を務めるエージェントの事だ。前任者の退職にともなって学園に派遣されてきたのは去年の四月。ほぼ一年前の話になる。


 当然の事ながら、妖の存在が公式に伏せられている以上……妖対策要員という素性もまた伏せられねばならない。そこにひとつ問題があった。


 いわゆるお嬢様学校、しかもその最高峰に位置するこの学園において、敷地内への滞在が許されるのは教職員とその他関連施設の従業員、あとは生徒及びその関係者のみと定められていた。しかも女性限定である。


 それは政府の人間であっても例外ではなく、彼女もその素性を明かせない以上、学園内で何らかの要職に就かねばならなかった。


 ……そういった経緯を経て、彼女は「教師」として学園に赴任してきた。知っての通り、教師とは過酷な職業である。

 生徒との人間関係や時間外労働の多さで精神を病んでしまうという話はわたしも聞いた事があるが、彼女の場合はそれに加え今回の様な妖絡みの事案において関係各省と連携し、わたし達術者に便宜を図るという本来の仕事をも果たさねばならない。


 そうなると当然、彼女の仕事量は膨大なものとなる。最早ブラック企業の比ではない。


 一度、仕事疲れでフラフラになった彼女に聞いてみた事がある。何故、教師なのかと。事務や学内テナント関連など、もっと負担の少ない選択肢はあっただろうに……


「だってさ……あーし、先生やりたかったから」


 彼女はやつれた顔に似合わぬ不敵な笑みを浮かべながら、続けた。


「大学出て教員免許は取ったものの、どこも枠空いてなくってさぁ……しょうがなくバイトしたり、昔のコネで今の仕事紹介してもらったりさ……けどやっぱり、夢は捨てきれなかったっつうか」


 ――――夢。政府機関の人間からそんな単語が飛び出したのは、わたしにとって予想外だった。とはいえ確かに、彼女はその雰囲気自体が政府職員らしからぬ所がある……普通に新人教師と言われても異和感の無い、いやむしろ教師が務まるのか不安なくらいに大雑把な楽天家なのだ。


「学園勤務の話が来た時さー、なんか運命感じちゃってね……これを逃したら、もうチャンスは無いなって。まぁちょっとばかしキツイのはしょうがないかなー、なんて」


 照れ隠しに微笑みながら語る彼女。その表情は素性を隠したエージェントというより、純粋に教師を志すひとりの女性のものだった。


 ……だが、その笑顔は不意に曇る。


「まぁ……キツイのはちょっとどころじゃなかったんだけどね……」


 そこから先はただひたすら、一時間近く延々と愚痴を聞かされた覚えがある……内容は思い出したくもない。あの時はなんとか意識を保っているだけで精一杯だったのだ。


 ――――それからだ。彼女に話しかける時は、とりあえずその顔色をうかがってからにすると決めたのは……

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