第26話 四方院樹希の優雅なる午後、2
……。
…………。
………………。
先生が……出ない。こっちは残り少ない昼休みの時間を費やしているというのに。
『あーい、もぉしもぉーし?』
一分程待って、諦めかけた所でようやく応答があった。明らかに眠そうな声……まさか今起きたとか?
「……おはようございます、月代先生」
『うぃ、おはよー。こんな朝早くから何かねイツキちゃん?』
……色々突っ込みたい気持ちを必死で抑え、とりあえず要件を話す。サラマンダーの捕獲に成功したこと、そして残り二体がいまだ捜索中であること。
『んー、ウンディーネはともかくシルフはもう無理かもしれんな……アイツ一日もありゃ地球の裏側まで行けるわけだし』
風の精霊が本気で逃げれば、そういう事になる。上空でジェット気流にでも乗ればあっという間だ。
「とりあえず午後の授業が終わったらわたしも捜査に戻ります。それで見つけられなければ……」
『そんときゃ、またあーしが頭下げるしかないんやな……はぁ、鬱だ……』
先生には気の毒だが、確かに状況は思わしくない。時間が経ちすぎているのだ。初動で動ける術者がわたし以外にも居ればまだ違ったのだろうが……
政府のお墨付きがあるとはいえ、人手不足はどうにもならない問題だ。実際動ける術者をキープし続けるのは難しい。それも業界全体でもほんの一握りしか居ない、
――――追加人員としてやむなく先輩方を加えたのはこういう事態を考慮しての事だというのに……そっちが失踪して捜索に人員を割く羽目になるとは、まさに本末転倒もいいところだ。
『けどまぁ、このまま何事もなく逃げてくれりゃそれはそれで。少なくとも、最悪じゃあない』
そう、四大精霊は希少な妖ではない。本来自然界に存在して然るべきものだ。新たに数体野に放たれた所で、世界のバランスを大きく崩すことにはならない。
問題は、長く囚われの身であった彼らが市街地の真ん中で解放されてしまった事にこそある。自らの境遇と、開発によって自然の損なわれた環境を見て、彼らが人間に恨みを抱いている可能性は大きい。
昨晩のサラマンダーのように、明らかな敵意を持って向かってこないとも限らないのだ。
そして、その為の手段として……人間を襲い直接霊力を奪い始める事にでもなれば、それは取り返しのつかない惨事を呼びかねない。
幸いにもまだ一般人への被害は出ていないが、その危険がある以上、安易に捜索を打ち切る訳にはいかないのである。
「……捕まえますよ。四方院の巫女の名にかけて」
『OKOK、そっちはイツキに任せるわ……というわけで、あーしはもうひと眠りするとしますか~』
――――電話越しですら欠伸を隠そうともせず、更にまだ寝ようというのかこの人は。
「……先生、今が何時かわかってます? 今から寝てたら陽のある内に寮まで戻れませんよ?」
『え、だってまだ朝……って昼じゃん! なぜだぁあああ!』
ただでさえ疲れてるのに加減無しで飲むからでしょうに……とは言わない。言ったところでまたやるからだ。この人は。
『まだ全然寝足りねーのに……そうだ! イツキ後でまたヘリ出すんでしょ?』
「ええ、午後の授業が終わってからになりますけど……」
『そん時ウチに寄って、ちゃちゃーと拾ってくれたりするとすっごく助かるんだけどな~』
「無理に決まってるでしょう。さらっと無茶言わないで下さい!」
いくら関係者とはいえ、流石にこの状況でそんな余裕はない。というかもう少し常識で物言って欲しいものだ……仮にも教師でしょ、あなたは。折角だから少し説教して、社会人としての立場をわきまえてもらおうか――――
そう思って息を吸い込んだところだった。不意に重苦しい鐘の音が周囲を震わせる……昼休みの終わりを告げる鐘だ。
残念ながら、時間切れである。
「とりあえず、報告書の類は先生のノートPCに転送してあるので目を通しておいて下さいね……あと、ちゃんと明日の授業に間に合うように帰ってきて下さい。以上!」
『ちょ、待っ……』
それだけ告げて通話を打ち切る。終了ボタンを押してから謎の術者の件を話してない事に気づいたが、後の祭り。
どちらにしろ後回しの案件だし、こちらはもう少し捜査が進展してから報告するとしよう。
「お急ぎ下さい、お嬢様」
雷華に促され、慌ただしく会計を済ませる。雰囲気が良い店ではあるがそれ故か、カフェから校舎は少し遠い。
「まったく、忙しいにも程があるわ……」
ため息をつきながら、先を急ぐ……四方院樹希の優雅なひとときは、いつも大体こんな感じで終わるのだ。
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