第24話 眠らなくても明日は来る

 キンコン……カンコン……

始業のチャイムの音が、闇の底からぼくの意識を引きずり戻す。


「おい灯夜、そろそろ起きねーと先生来んぞー」


 隣の席からちかちゃんの声がする。眠気に耐えながら学校まで来たものの、どうやら席に着いたところで気を失っていたらしい。何せ、昨晩はほとんど寝ていないのだ……


「お前がねぼすけとかめずらしーな……徹ゲーでもしてたのかー?」


 あはは、と曖昧に笑いながら……ぼくはなんとか眠気を散らせようと深呼吸した。


「ゲームじゃなきゃ動画か? うっかりハマると一晩中検索したりするしなー」


 いや、流石に一晩中はやりすぎ……と返そうとして、ふと思い出した事がある。


「そういえばちかちゃん、新しい魔法少女の動画って出てる? 昨日の夜から……今朝にかけてとか」


「ん、別にないなー。まとめサイトも更新ねーし」


 スマホをつんつんしながら答えるちかちゃん。魔法少女関連の情報なら彼女がチェックしないはずはない。

 つまり、昨晩の事件は……ぼくが目撃した魔法少女と火の精霊の戦いは、ネット上にも流れていないという事になる。


 さすがにあんな事があった後なので、ぼくも新聞やテレビのニュースを注意して見ていたのだけど……それらしい事件は報道されていなかった。

 たしかに、結果だけみれば深夜の小火ぼや騒ぎで済まされる程度の被害だったわけで、大きなニュースにならないのは当然かもしれない。


 けれど実際あの場にいたぼくにとっては、今までの人生になかった程の大事件だったのだ。


 深夜の病院で繰り広げられた、炎や雷が飛び交う超常の存在どうしの死闘。まさにアニメやゲームが現実になったかのような光景。

 しかし、そこで起こった事は夢でも幻でもない。実際に中庭はサラマンダーのまき散らした火に焼かれ、もう少しで建物にまで燃え移るところだった……

 あの時、ぼくとしるふがそこに居なければ。



 今思い出してもぞっとするくらい、ギリギリの状況だった。


 ぼく達の能力は「風を操る」こと、それだけだ。つまり風だけで、中庭の火を食い止めなくてはならない。

 それにはまず、ある程度まとまった強さの風をつかむ必要がある。仮契約の力では、中庭の周囲をカバーできるだけの風を作れないからだ。


 幸か不幸か、炎の熱によって暖められた空気が昇っていく流れが視える。ゆらゆらと立ち昇る、オレンジ色の風。

 これが上昇気流というやつだろうか? ぼくは屋上の柵から身を乗り出して、その流れの端をつかんだ。


 ――――風をつかむ。しるふとの仮契約によって得た、風の精霊の力。これが風を操る上での基本だ。


 しるふが言うには、風を操る動作は風の精霊が生まれながら自然に行っている事であり、「つかむ」というのはあくまで物の例えとしてわかりやすいからだという。

 確かにいきなり「念じて動かせ」と言われるよりは感覚的にやりやすい。

おかげでぼくのような初心者でも……いささか不格好ではあるが、風をなんとか操作できるのだ。


 オレンジの風はそのまま空に向かって上昇しようとする。ぼくは風をつかんだ腕を思い切り振り下ろし、その方向を斜め下に変えて投げ放った。

 風の先端は建物に沿って、再び地表へと帰っていく。これで建物を中庭の火から遮る風の流れが生まれたことになる。


 当然、事はそう簡単に済むはずは無い。流れを変えられたのは風の先端部だけ。それに続くいわば風の胴体部分は、今にも流れを外れて上昇しようとしている。

 それを片っ端からつかんでは投げ、つかんでは投げ…… 


 流れが安定する頃には、ぼくはへとへとになっていた。風を操るなんていうファンタジックな能力が、まさかこんなに体力を使うものだとは……


『ふえぇ……とーや~、もうつかれたよ~』


 そう、疲れていたのはぼくだけじゃない。一心同体になっているしるふもすっかりグロッキーな状態だった。風の精霊とはいえ、これだけの風量を操作するのは彼女にとっても大きな負担になる。

 ……ぼくが体力担当なら、精霊力はしるふ担当。一心同体というのも楽じゃない。


 けれどその甲斐あってか、中庭を周回する風の流れはうまく炎の延焼を食い止めている。一度流れができてしまえば、あとは微調整をするだけで維持できそうだけど……消防車が来るまでの時間が読めないので、まだまだ安心はできない。

 そしてそれ以前に、中庭ではまだ魔法少女の戦いが続いているのだ。


 この先どう状況が変わるかわからない。そう考えた、まさにその矢先。


 中庭全体で火の勢いが弱まり、代わりにサラマンダーの頭上に巨大な火球が現れた。瞬く間に長い棒状に圧縮されたそれは、素人目にも分かる程に危険な輝きを放っている。

 そして、サラマンダーはそれをやり投げのような姿勢で構えた。


 ――まずい。これはまずい。


 魔法少女がピンチだ、という意味ではない。実際彼女は仁王立ちのまま微動だにしていない。

 あれを投げつけられても……防ぐかよけるかして凌ぎ切る自信があるのだろう。だから、それは問題じゃない。


 問題は……あの強大な力を秘めた炎の槍の行き先だ。


 魔法少女に当たることは……多分無い。おそらくは魔法の力で盾なり結界なりを作って防御するんじゃないかな?とは思うけど……

 普通にひらりとかわすというのも無いとは言い切れない。


 その場合、外れた槍は……建物に当たる。何せ建物は中庭の四方を囲んでいるのだ。かなりの確率で、当たる。

 そうなった場合の被害を想像して、ぼくは背筋が寒くなるのを感じた。あれだけの火力が一点で炸裂したならば、コンクリートの建物といえど……



「ごめんしるふ、もう少しだけ力を貸して!」


 屋上の柵を乗り越えて、ぼくは宙に身を躍らせた。そして流れゆくオレンジ色の風に身を委ね、神経を研ぎ澄ます。

 思った通りだ。手だけでつかんだ時よりも、風の奥深くまで感覚が広がっていく。

 これなら……動かせる。もっと早く、強く。


 地面に落ちるまで、わずか数秒。ぼくは全身を使って、風に新たな命令を下した。そして転がるように建物の下に着地する。

 体が軽くなっているお陰でケガはしてないと思うけど、それを確かめているヒマはなかった。


 なぜならぼくが起き上がったまさにその時、サラマンダーが槍を投じたのだ……魔法少女にではなく、向かいの建物に直接!


 間に合うか!? 中庭の外周を廻っていた風がその範囲を急激に狭め、中央に向けて集束していく。

 半径が小さくなるにつれその速度は増し、やがては小規模な竜巻へと姿を変える筈だ。


 だけど間に合ったとしても、この風だけであれを防げるのだろうか?

竜巻とはいっても急造品だ……槍を弾く程の力はないだろう。せいぜい、勢いを弱める程度か。

 しかし今のぼくには、これが限界。仮ではなく本契約していたならば違ったかもしれないけど、後の祭りだ。


 だめかもしれない。そんな不安が頭をよぎった、その刹那。

地面から弾けるように稲妻がほとばしり、壁となって建物を覆った。はっと振り返ると、地面に手をあてて集中している魔法少女の姿。


 ――――防御の魔法だ! 魔法少女は建物を見捨てはしなかったのだ。そうなれば、あとは。


「少しでも、威力を削げれば!」


 空気の流れに精神を集中し、竜巻を全力で走らせる。散らばっていた瓦礫を巻き上げながら進む、熱気の奔流。

 そして、建物の……雷の壁の直前で、炎の槍と竜巻は交錯した。


 目が眩むほどの激しい閃光と、耳をつんざく炸裂音。慌てて伏せたぼくの上を爆風が駆け抜けていく。


 一瞬の狂騒の後、恐る恐る顔を上げたぼくが見たのは……先程と寸分変わらない白い建物の姿だった。


「よかった……守れたんだ……」


 ほっと一息つこうとしたその時、視界の端で眩い光が閃き、ごろごろという轟音が大気を激しく揺さぶった。

 何事かとそっちを見ると、サラマンダーが白煙を上げながら地面に大の字になっている。

 ……魔法少女の魔法で倒されたのだ。


『と、とーや! ヤバイよ! 逃げよ逃げよー!』


 怯えるしるふの声。そういえば、魔法少女は精霊を狙っている……んだっけ?

 けれど、彼女は病院を守ってくれた。ただ精霊を狩るのが目的の悪人では決してないはずだ。ちゃんと話してわかってもらうべきなんじゃないか? ぼくはそう思うのだけど……


『早く早く! 見つかったらオシマイだよー!』


 とりあえず、ここは逃げよう。さっきからしるふにはずいぶん無理をさせてしまっている。ぼくのせいで万が一捕まるような事になったらかわいそうだ。



 ――――こうして、ぼく達は闇に紛れてその場を離れた……幸い、魔法少女が追ってくる気配はなかった。


 ただ、魔法少女との位置関係から大きく遠回りする必要があったのと……帰り道は風向きが真逆なせいで、結局家に帰り着いたのは夜明け近くになってしまった。


 流石に疲れたのだろう、しるふは枕元の仮設ベッド――お菓子の空き箱とハンカチで作った間に合わせの寝床――に飛び込むとそのまま眠ってしまい……朝になっても起きてこなかった。



「お、先生来た!」


 席を離れていた子たちがガタガタと慌ただしく戻っていく。いつもと同じ、朝の光景。昨日起こった事の痕跡は、ぼく自身の眠気だけしかないけれど……


 でも、やって良かった。あの魔法少女に比べれば、全然大した事はしていないのだろうけど。

 それでも、守れたのだ。病院を。そこに居た人たちを。


 ――――そして、お母さんを。


 そんなこんなで、この日の授業の記憶はほとんど無い。

……あとでちゃんと復習しなくちゃ、だね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る