第23話 一陣の旋風

『お嬢様! 今は――』


 雷華の呼びかけに、わたしは憤りをひとまず置いて意識を研ぎ澄ませる。


「術に集中でしょ! 分かってるわよ!」


 わたしが放った土雷つちみかづちの閃光は飛翔する魔槍より一足早く建物に達すると、その表面を覆う壁を築く。

 ――――地より立ち昇る、雷の壁。しかしその密度は上層に向けて次第に薄くなっていく。 土雷は強力な防御術式だが……土中の雷気を操る都合上、その範囲は限定される。

 そう、地面から離れる程に、術の効果は減衰するのだ。


 サラマンダーが投擲した槍は、三階建ての建物の明らかに上層を狙っていた。これでは、魔槍の威力を低く見積もったとしても……


「防ぎ、切れるか――」


 背筋を駆け上る不安を押し殺し、着弾点付近に雷気を集中させる。



 その、刹那だった。


 ごう、と音を立てて、強烈な圧力を伴った空気の塊がわたしの背中を打ち据えた。

 土雷の制御の為、身を屈め地に手を着いた姿勢でなかったら……吹き飛ばされかねないほどの凄まじい風。


「――っ、何事!」


 それは瞬く間に中庭を走り抜け、落ち葉や枯れ草……更には小さな瓦礫までをも巻き上げて上昇に転じる。


 急激な温度の変化によって起きる、突発的な上昇気流……

ニュース番組か何かで聞いた、そんな文言が脳裏に浮かぶ。しかし、目の前で起こったそれは、あまりにも突然で。


 更にその直後の光景は……日々妖と丁々発止を繰り返すわたしにとってさえ、信じ難いものだった。



 ――――それは、扉だった。いや、正確にはかつて扉であった物だ。サラマンダーが地上に出た際に破壊された、中庭中央の建造物……その出入口に据えられていたのであろう、歪んだ金属製の扉。


 それが地上三階の高さまで舞い上げられ……あろうことか、今にも雷壁に突き刺さらんとする魔槍の切っ先に滑り込んだのだ。


 あっ、と思った時には、激しい爆音と閃光が周囲を飲み込んでいた。

荒れ狂う炎と煙……サラマンダーの最大術式が生み出す、破壊の嵐。


 しかしその余韻さえも瞬く間に吹き飛ばされ、残ったのは土雷の雷壁と、その向こうに何事も無かったように佇む……白い建物の姿だった。


 ……助かった。全身に張り詰めていた緊張が、音を立てて解けていくのが分かる。

 魔槍は本来ならば雷壁に直接炸裂する筈だった。それが直前で飛来した扉に接触したために爆心がずれ、結果としてその威力を削いだのだろう。


『――お嬢様、あれを!』


 雷華の声に振り向いたわたしが見たのは、遁走する途中で振り向き……その姿勢のまま固まっているサラマンダーの姿だった。

 驚愕に眼を見開いたままの表情は、そのまま奴が受けた衝撃の大きさを表している。

 ……囮に使ったとは言え、己の最大術式である。恐らくはその成果を一目見たくて振り返ったのだろう。そして、見てしまった……それが建物に、傷どころか焦げ目ひとつ付けられなかったという現実を。


 いち術者としては気の毒に思わなくも無い。だが奴は、サラマンダーは敵であり……この瞬間は、隙だ。


「四方院の名にいて!」


 わたしの祝詞に気付き、慌てて逃走に戻るサラマンダー。だが、遅い。


降臨くだれ、“拆雷”さくみかづち!」


 天空より駆け降りた一条の閃光が闇を切り裂き、狙いあやまたず火の精霊を打ち貫く。


 他の八雷やつみかずちの術と異なり、拆雷は何かに特化した効果を持たない。

いうなれば、降雷という自然現象を忠実に再現した術だ。その威力は術者によって自在に調節でき、最大威力においては自然の雷のそれをも上回る。

 つまり、サラマンダーは生身の人間ならば即座に感電死する程のダメージを受けたわけだ。


 既に十分なくらい疲弊していた奴が、その一撃に耐えられる筈も無い。

轟く雷鳴が収まった時、体のそこかしこから白煙を立ち昇らせながら、サラマンダーは崩れるように倒れ伏した。

 幸い、絶命するには至っていないようだが……最早抵抗する力は無いだろう。


『お嬢様、お気付きですか』


 問い掛ける雷華の言葉は質問ではなく、確認だ。


「わかっているわ雷華……あれを偶然だと言い切れるほど、わたしは能天気じゃない」


 ぶすぶすと煙を上げ続けるサラマンダーに歩み寄りながら、わたしは思い出していた……あの不自然な突風を。

 確かに、旋風が起こり得る状況ではあった。しかしあの時、あの瞬間を見計らったとしか言いようのないタイミングまでは説明できない。



 自然に、意思があるというのでなければ――――


 わたしはゆっくりと、周囲を見渡した。先程まで燃え盛っていた中庭の火は今やほとんどが消え、燻りを残すのみとなっていた。

 二棟の建物にも目立った損害はない……サラマンダーと戦っていた時間を考えれば、燃え移っていてもおかしくは無いのに。


「もう気配は無い……けれど、居たのね」


 偶然でないというなら、答えは――決まっている。


「わたし達以外の……術者が!」

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