第17話 月明かりの下へ

 西日が強く差し込む教室の中で、ぼくはいつものように授業を受けていた。


 否。正確には、授業が終わるのを今や遅しと待ちわびていたのだ。先生の声も、黒板に書かれていく文字も、今のぼくにはどうでもいい事だった。


 どうしても、どうしても彼女に……静流ちゃんに問いただしたい事があるのだ。なぜ避けるのか。なぜ口を聞いてくれないのか。ぼくの……何がいけなかったのか。

それを確かめない限り、何も変わらない。変えようがないのだ。


 やがて重々しくチャイムが鳴り、生徒達が一斉に席を立つ。出口へと流れる人の波の中、ぼくはその後ろ姿を懸命に追いかけた。


「静流ちゃん!」


 呼ばれた少女は、しかし立ち止まらず歩き続ける。すらりと長い脚がきびきびと前後するたびに、ぼくとの距離は離れていく。


「待って! 待ってよ静流ちゃ……」


 こっちは全力で走っているのに、どうしてか追いつけない。そうこうしているうちに彼女は廊下の角を曲がり、ぼくの視界から消えてしまう。


――――急がなきゃ、見失っちゃう!


 今を逃したら、もう彼女に話しかける勇気はしぼり出せないに違いない。重い体を引きずって曲がり角にたどりつく。果たして彼女は……


 居た。がらんとした階段の踊り場にひとり、窓からの紅い光に照らされた少女の姿。身長の数倍にまで伸びたその影はぼくと彼女の間に横たわり、二人の距離を不確かなものへと錯覚させる。


「……静流ちゃん」


「月代君」


 遠慮がちに呼びかけたぼくを、遮るように振り返る彼女。逆光のせいでその表情は分からない。


 ……強烈な既視感がぼくを襲った。気付いてしまった。この光景を、ぼくは見た事がある。身を持って、味わった事がある。二年の月日を経ても変わらず残る……悲しい記憶。


「月代君、私は忙しいの」


 冷たく、抑揚の無い声。ああ、ぼくは覚えている。この先、彼女が言い放つ一言一句すべてを。


「別に私じゃなくても、あなたの相手をしてくれる子はもう、幾らでも居るでしょう……それに」


 やめて、言わないで。お願いだから……頭を抱え、耳を塞ぐ。そんなことをしても無駄なのはわかっている。わかってしまう。


 だって、これはもう「起こってしまった」事なのだから。


「それに、そもそも私は月代君のお友達になった覚えはないの。わかったらもう話し掛けないでくれる?」


 ……それが、彼女がぼくと交わした最後の会話。ぼく個人に向けて放った最後の言葉。


冷たい拒絶の――ことば。



 汗だくで跳ね起きたぼくの前に、もう静流ちゃんの姿はなかった。


 見えるのはぼんやりと霞んだ薄暗い部屋。カーテンの隙間から漏れ入る光だけが、唯一の光源だ。

ベッドの上でため息をついたぼくの前に、しるふがひらひらと舞い降りてくる。


「とーや、大丈夫? めっちゃうなされてたよー?」


心配そうに顔をのぞき込んでくるしるふ。


「……ごめん、起こしちゃった?」


枕元の時計は今が夜中であることを示している。ぼくがベッドに入ってから、まだ一時間と経ってはいない。


 ――――葵お姉ちゃんの腕の中からやっとの事で開放されて部屋に戻った時、しるふはすでにとっとと寝てしまっていた。

まだ色々聞きたい事もあったし、叩き起こしてやろうかとも思ったけど……その能天気な寝顔を見たら、ちょっとかわいそうかなって。

それに、つい昨日今日知り合った子にそこまでするのも失礼だ。そういうのはもっと信頼関係を深めてからにするべきかと……


「アタシはもう十分寝たからヘーキだよ! っていうか朝までずっと寝てるなんてニンゲンくらいだし!」


 そういえば、しるふ達風の精霊は体がちいさい分、眠る時間が短くて済むって話だったっけ……確か一日数時間寝るだけで良いとか。

その上で更に昼寝するのは贅沢な趣味なんだとかも言ってたな……


「それよりさ! シズルちゃんって例の話の子でしょ? 夢にまで出てくるとか相当アレだね~」


 おっしゃる通りです……ずっと気にしないようにしていたけど、やっぱり会ってしまうと駄目だ。自分が彼女に嫌われたままだって事を、嫌でも思い出してしまう。


「……しるふ、こんな時間に悪いけど、少し話し相手になってくれないかな? すぐには眠れそうにないんだ」


 今横になったところで、安眠できるとは思えない。下手をしたら夜明け近くまで悶々と悩み続けてしまう……一度ネガティブな思考に囚われると、なかなか抜け出せなくなるのがぼくの欠点なのだ。


 そう言ったぼくの内心を知ってか知らずか。しるふははねを震わせてふわりと浮き上がると、窓にかけられたカーテンにぶらさがり、


「気分転換だったらさ、とーや!」


そのまましゅばっ、と開け放つ。やわらかい月明かりと共に、満天の星空がぼくの目に飛び込んできた。


 窓から差し込む光の帯の中に浮かびながら、スカートの端をつまんでくるくると踊るしるふ。

その神秘的な光景は、いつも見慣れた部屋の中を……まるでファンタジー映画の舞台であるかのように変貌させていた。


「ちょっと……飛んでみない?」


 そう言ってウインクした彼女は、妖しくも美しい……おとぎ話の【妖精】そのものだった。

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