第16話 帰ってきた酔っ払い
ぼく達がお風呂から上がり、丁度脱衣所を後にした時……ぴんぽん、と玄関のチャイムが鳴った。
――――こんな時間に誰だろう。時刻はすでに午後九時をまわっている。深夜という程ではないけど、夜遅いと言われて然るべき時間だ。
ぴんぽん、ぴんぽん、ぴぽぴぽぴぽぴぽ……
ちょ、なんかめっちゃ連打始めてるんですけど! だけど、ぼくはこんな時間にこういうを事する人に……一人だけ心当たりがあった。
「はいはい、今開けるから……」
お
「……ヒック、たっだいまぁ~~! つかなんでカギ閉めてんのさ~」
聞き覚えのある、明らかにお酒が入った女の人の声。
「最近は物騒だから夜だけでも鍵かけとけって、あんたが言ったんじゃないか」
「あ~~、そだっけぇ?」
駆け付けたぼく達が見たのは、玄関でへたり込んでお祖母ちゃんに介抱される……二十代半ばのスーツ姿の女性だった。
肩より少し上で切り揃えられた髪の隙間から、真っ赤に上気した顔が見てとれる。その半開きの眼がこちらを向き……視界に捉えたものを認識するまで、およそ数秒。
「……灯夜っ! 灯夜だーーーー!!!」
彼女は今までのぐったりした様子からは考えられない、獣のような俊敏さでぼくに飛び掛かってきた。
「ひゃあっ!」
いきなり押し倒されて身動きがとれないぼくに頬擦りし始める彼女。濃厚なお酒の匂いが――これは日本酒だろう――容赦なく襲い掛かってくる。
「あー、ひさしぶりのこの感触……生きているってすばらすぃ……」
半ば予想して、覚悟を決めていたとはいえ、やっぱりこの匂いは……キツイ。
「飲みすぎだよぅ、
――――月代蒼衣。この月代家の次女である。ぼくのお母さんが長女なので、彼女はぼくの
陽気で人懐っこい性格であり、ぼくもこの家に来た当初からずいぶん可愛がってもらっている。少々スキンシップが過剰なことに目をつむれば、綺麗で優しい自慢のお姉ちゃんだ。
彼女はぼくが引っ越して来てすぐ仕事の都合で家を出たものの、月に一度か二度は今日のように連絡もせず不意に帰ってくる。「やっぱり実家は落ち着くわ~」とは本人の弁。
なんだかんだで、この家が恋しくなるらしい。
ぼくとお祖母ちゃんに居間のソファーに移動させられた後も、蒼衣お姉ちゃんは手にしたカップ酒をちびちびやっている……お
それから、残念なことにぼくはまだ開放されていない。ソファーに深々と腰掛けた彼女の脚の間に座らされ、カップ酒を持ってない方の腕でがっしり固定されてしまっている。
後頭部に伝わる心地よいふかふかの感触も、お酒の臭いで台無しである……というか、こっちまでなんかクラクラしてきたんですけど……
ちなみにしるふは蒼衣お姉ちゃんの放つ酒気に触れるや否や、「アトハマカセタ」と言い残し早々に退散してしまった。おのれ……
「……ったくさー、やってらんないわよ……勝手に業者変えるわ、そいつが高速で事故るわ……」
仕事関係の愚痴だろうか? お祖母ちゃんは気にせずはいはいと聞き流しているけど。
「やらかしたのは全部外の人間だってのに、なんであーしが頭下げて回んなきゃなんないのさっ……ヒック」
ここ半年ばかり、お姉ちゃんがお酒を飲まずに帰って来たためしは無い。
彼女は夜遅くまで飲み続けては翌日の昼まで寝込み、ぼくが学校から帰って来る頃には寮に戻ってしまう為、ぼくは
元はキリっとした美人なのに、ぼくの中ではすっかり酔っ払いのイメージが定着してしまっていた。
あんまり飲み過ぎると体にもよくないし、できれば控えてもらいたいのだけど……難しいのかな。
「だいたい人も金も足りてねーのに、なんで仕事ばっか増えるんだーって話よ……ねー、灯夜~」
「え……あ、うん……」
いきなり振られても困る。そもそもぼくはお姉ちゃんの仕事についてよく知らないのだ。
最初はお役所関係のアルバイト?みたいな感じだったのだけど、今は出向先で寮生活という話を聞いたのは覚えている。ただ、肝心の仕事内容に関しては全く分からない。
愚痴の中から拾えるのも断片的な情報だけで、実際どういう仕事をしているのかまでは伝わってこないのだ。
ちゃんと聞こうにも、素面の状態のお姉ちゃんと話す機会自体がほとんどない為、結局何も知らないまま今日に至ってしまった……でも、苦労の多い大変な仕事なのはわかる。
「あーしが頑張れるのも、かわいい灯夜をこうしてもふもふできるからなんだよ~」
後ろからぎゅ~っと抱きしめてくるお姉ちゃん。ちょっと、いや結構苦しいけど……ぼくの存在が少なからずお姉ちゃんの心の支えになっていると思えば、このくらいは我慢しなくちゃ。
「もふもふもふもふ……あー、癒されるぅ……」
――――ぼくが眠りこけた蒼衣お姉ちゃんの腕の中から救出されるのは、それからさらに一時間ほど後のことであった……
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