第15話 混迷に続く深遠

 わたし達が現地に着いた時はすでに陽が落ちて久しく……山腹に開いたそのトンネルを照らしているのは、その前に停まった数台の車両のライトのみであった。


 その前に立っていた数人のメイドのうちの一人――四方院家のメイドの正装はメイド服、なので勤務時間内は外出時も当然メイド服着用だ――が、こちらに気付き歩み寄ってくる。


「お待ちしておりました、お嬢様。雷華様」


 出迎えたのは、シンプルな四角いフレームの眼鏡をかけた二十代半ばのメイド、倉橋だ。


「トンネルの前後には交通規制をかけてあります。元々交通量は大した事ないので、朝までは問題ありません。」


 普段なら自室で様々な事務処理を行っている彼女が現場に出ているという事は……


「……【先生】は居ないのね」


「はい。現場は私が引き継ぎました……昨晩も寝てないとの事でしたので、流石にこれ以上は厳しいかと」


 本来の現場責任者の不在はまあ不安要素ではある。しかし、普段からの激務を考えれば致し方ない所だろう。


「そう……今日は学校にも来てなかったし、挨拶くらいはしておきたかったのだけど……それで、例の奴はまだこの中に居るのよね?」


わたしの言葉に、しかし倉橋はかぶりを振った。


「いえ、結論から申し上げれば、ターゲットは既にトンネル内には居ません」


「ちょ……無駄足ってこと?」


 倉橋は再びかぶりを振りつつ、傍にある車――四方院家の所有する黒塗りの高級車だ――のボンネットに置かれたノートパソコンを指し示した。闇夜の下で光を放つそのディスプレイには、いくつかの写真画像が表示されている。


「出過ぎた真似とも思いましたが、お嬢様方が到着する前にトンネルの調査はひととおり終えてあります。……装備と人員の関係で流石に奥までは入れませんでしたが」


言いながらちゃき、と眼鏡の位置を直す倉橋。彼女が成果を報告する際のお決まりのポーズだ……デキる女アピールという奴だろうか?


 そもそも四方院家に仕えるメイド達はただの家政婦ではない。ひとりひとりが特殊な技能を持ったエキスパートの集団だ。平時から有事の際に至るまで、変わらず的確なサポートを完遂するのが彼女達の務めであり、誇りでもあるのだ。


「こちらを御覧下さい。」


 倉橋がノートパソコンを操作すると、表示されていた写真のひとつが拡大される。そこにはライトで照らされた壁面とその中心にある金属製のドアが写っていた。ドアにはかすれた文字で「高圧注意 関係者以外立ち入り禁止」と記されている。


「ここの地下にはライフラインケーブルが埋設されておりまして、トンネル内には点検用のアクセスポイントが存在します。ターゲットはそこからケーブル孔に侵入、潜伏しているものと思われます」


「貴方が言うからには、確かな情報なんでしょうね?」


「はい。衛星からの熱探知で大体の位置も判っています……先生が使用申請を通して下さった御蔭です」


 ディスプレイ上には既にこの周辺の地図と、それに重なるようにケーブル孔の配置が表示されていた。地図上に赤く灯ったマーカーが今夜のターゲットの位置だろう。流石の手際だ……仕事にそつが無い。


「場所までわかっているなら、ここでぐずぐずしている理由は無いわ……行くわよ、雷華」


「はい、お嬢様」


 トンネルに向かい歩きだすわたしに雷華が続く。


「行ってらっしゃいませ、お嬢様」「ご武運を!」「どうか、お気をつけて」


メイド達が一斉に頭を垂れ、わたし達を送り出す。情報は一通り得た。ならば、次はこちらの番だ。彼女達の仕事に報いる為にも、使命は果たさねばならない。


 ――――山腹にぽっかり開いた、人造の巨穴。わたし達はそこに向かって進んでいく。中は流石に暗いものの、一定間隔で常備灯が設置されている為、最低限の明るさは確保されているようだ。


トンネルに入る直前、ふと思い出した。携帯が使えなくなる前に先生に一報入れておこう。


「雷華、先生はもう寮に着いた頃かしら?」


「どうでしょう……ここからだと御実家が近いので、そちらへ帰ってらっしゃるかも……あ、」


「どうかした?」


珍しく言い淀む雷華。


「……お嬢様、御一報なさるのでしたら時をあらためたほうが宜しいかと。あの方が仕事上がりに真っ直ぐ帰るとは思えませんので」


 ああ……そうだった。わたしとした事がすっかり失念していた……仕事から開放された先生が酒の一滴も飲まずに帰れる筈がない。「あーしはこの一杯の為に生きているんだよ~」なんて話を何度聞かされた事か。あの人はその為に、自動車免許を持ちながらも自分の車をかたくなに持とうとしない。実に徹底している。


「……仕方ないわね。じゃあ、事後報告で。どのみち今夜中には片付けるのだから」


 再び、トンネルに向き直る。生ぬるい微風が内から吹き付け、わたしの髪を僅かに揺らした。



「ここですね。例の入り口というのは」


 オレンジ色の照明に照らされたトンネルの中、雷華が指差したのは壁面に開いた長方形の穴だった。本来そこに嵌められていたはずのドアはひしゃげた鉄塊となって傍に打ち捨てられている。


「地下ケーブル埋設孔、ね……こんな狭苦しい所に逃げ込むなんて、恥ずかしがり屋にしたって行き過ぎだわ」


火の精霊サラマンダーは人目を引きますので……他の精霊たちの様に、闇に紛れるとはいきませんから」


 ドアの残骸にはところどころ焼け焦げた跡がある。火の精霊の名にふさわしく、サラマンダーは常にその身に炎を帯びているのだ。逃げ隠れるのに全く不向きな性質を持った精霊……確かに、これでは地の底にでも潜むしかない。


「目標はここから南西に約400メートルの地点でしたか。衛星やら熱探知やら、ずいぶん便利な世の中になりましたね……ついこの間までは何でも自分の足で探していたものですが」


 しみじみと語る雷華。彼女は時折こうした年寄りめいた物言いをする……見た目からは想像できないが、彼女もあやかし。寿命という概念を持たない存在だ。わたしが知る限りでも数代前から四方院家の霊獣として仕えている彼女にとって、移り変わる人の世はさぞめまぐるしく映っているのだろう。


「衛星だって昨日の時点で使えていれば、危険な精霊を一日も野放しにする事はなかったのに……雨が降った程度で役に立たないんじゃ、まだまだ便利には程遠いわ」


 ドアを失った入口からは真っ直ぐ下に伸びる階段が見て取れる。しかし、それもほんの数メートルで漆黒の闇に呑みこまれ、その先を窺うことはできない。


「お嬢様、下手に明りを灯してはあちらに気取られます。ここから先は霊装して進みましょう……夜目が効きますし、空気の心配もありますから」


 確かに。霊装したわたしは霊獣・ぬえの身体能力をほぼそのまま得ることができる。闇を見通すことはもちろん、火の精霊のせいで薄くなった空気の中でも平然と動けるはずだ。


「それじゃあ、いくわよ雷華……戦姫霊装イクサヒメノヨソヲイ!」


「――了」


 わたしの全身を光が包み、純白と緋色の装束がその身を覆う。身体を走る“呪紋”の熱さが、わたしの意識を臨戦態勢まで覚醒させていく。


「さあ、狩りの時間よ!」


そして果てしなく続くその深遠に、わたしは足を踏み入れた――――

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